ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

【エデュアール・セガンが教えた子ども②】

2018年02月28日 | 研究余話
 公共機関(棄民救済施設)に収容されている以外の子どもについての情報を、セガンは、実践記録を綴る中でしたためている。その記録を読み解いていくと、子どもの所属する社会階層が見えてくる。
 例えばN,.D.という10歳の子ども(男児)。「私は、3か月間、1日当たり4時間、彼に筆遣いを身に着けさせるべく働いた」とある。男児を取り巻く人間として、「秘書」「女性たち」が登場する。極端に大喰らいの男児の直接関係者である。一般市民家庭ではなく中流以上の階級に所属ことが理解できるだろう。
 セガンは、このような家庭で子どもの教育に当たっていたと考えられる。19世紀半ばまでは中流階級以上の家庭に確実に存在した家庭教師をセガンはしていたと、推測することができる。もちろん、今日、日本の学生の間でいわれるカテキョなどとは大違いであった。 
 ちなみに、セガンは、中流以下の家庭で育つ子どもを綴っていない。そのような階層は、知的障害の子どもを養育することが極めて困難であったからである。(続く)
 添付写真は、この時代の一般的な「家庭教師」像。(『フランス人の自画像』より)
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【エデュアール・セガンが教えた子ども①】

2018年02月27日 | 研究余話
 セガンは知的障害を持つ子どもの「社会化」のための教育に世界で先駆けて成功し、その実践を体系化し今日の知的障害教育の礎を築いた。私はそのセガンの人生前半期を調査し、研究にまとめる作業を進行させている。

 実践の受け皿になっている「子ども」がどんな環境で生きていたのか、について、考えてみたい。

 史料的に確認できることは、フランス・パリ(セーヌ県)の棄民施設(公的救済機関)に収容されていた子どもたちである。捨て子・孤児、家庭での養育困難な子ども、ということになる。セガンは、これらの施設での精神科医たちの実験研究の補助的な任務を持った看護人あるいは「白痴の教師」として、雇用された。
 そのほかに、セガンが個人教授をしたと考えられる子どもたち。どんな子どもたちか。セガン研究の巷間では、この子どもたちの養育と教育のためにセガンはあらゆる仕事をして資金を稼いだ、とされている。いわば、棄民救済の個人版ということになろうか。その実態は、セガンの主体を含めて、全容はおろか細部に至っても不明のままであるので、私は「セガン神話」と呼んでいる。もちろん信認はしていない。
 何の肩書も権威も持たない20代の青年が、当時の知的障害児者たちの置かれている制度が「棄民」思想に基づいていたり、そのシステムで動いている社会に、どうやって、個人で子どもたちを集め、一定期間囲い込むことができるのか。できるはずはない。違法い行為だからだ。
 だとすると、別の視点を持たざるを得ない。  (続く)
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「セガン氏は人間性が富かで鉄の意志の人」

2018年02月21日 | 研究余話
再論であるが・・・
 唯一記録を残している、ピガール通りの学校の参観者は、セーヌ県(パリ)の医療や福利厚生に関わる諸機関(救済院、施療院)の統括責任者のフェリュスという人であった。彼は時の内務大臣の下命によりセガンの学校を参観・視察したのである。何度か訪問したようだ。その訪問記を内務大臣に提出している。
 それによれば、セガンは、救済院、施療院内で精神医学者によって白痴者たちになされている教育に携わりたい、いずれの機関でもかまわないので、是非この夢を叶えてほしい、と内務大臣に直訴している。大臣はそれを受けてセガンの適性、能力を試すべく、フェリュスに視察を命じたのだった。
 フェリュスは、報告書の中で、セガンの教育の特徴と達成とを具体的に述べ、結びに、「セガン氏の夢を叶えてやりたい、セーヌ県内の白痴たちのための、いずれかの公共の保護施設で。」とし、「セガン氏は人間性豊かで、鉄のごとき固い意志を持って、白痴たちの教育に当たっている。」と、人物評価を加えている。
 セガンの実践・理論の特徴は、たとえて言えば、知性の発達を支えるのは身体の発達である、ということにつきようか。あまりにも簡易な纏めであるので、発達論研究者のお叱りをいただくだろう。しかし、知性の発達も、身体の発達も大事だから、それぞれを組織立てて教育する、という通俗的な考え方ではない。このセガンの実践・理論の本質を見抜いたフェリュスは、精神病者のための治療改善を大々的に進めていた人で、セガンに強く共感し、以降、セガンの力強い支援者となっていく。
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その後のセガン研究-

2018年02月16日 | 研究余話
 邦訳作業を終え、気が付いた。自分はセガンの「周辺領域」をうろちょろしているだけで、セガンの内奥には踏み込んでこなかった、と。セガンの白痴教育の具体については、それこそ、何をいまさら自分が、という気持ちが強いが、セガンという傑人の存在を成り立たしめているものについては、「科学的実践的創造的探究者」という、やや大げさな風呂敷に包むことはできるが、じゃあ、そのよって立つ哲学は何であるのかについては、せいぜいのところ、フランス革命及び近代主義を生み出した18世紀啓蒙主義とは異なる文脈で語らなければならない、あえて言葉化すれば19世紀の新啓蒙主義だ、ということになろう。だが、その実質は誰も具体的に語っていない。いや、セガン研究第2期の人々(清水寛、松矢勝宏など)は、セガンを、マルクス主義への変革過程を作り上げた人物、と評価している。サン=シモン主義者であったが、その枠を超えようとしていた、というところの人だ、という。
 ぼくはこうしたセガン評価には触れないできたが、セガン研究書を著し、翻訳書を上梓した研究者として、やはり、触れないままでいるのはセガン研究者の名に値しないと思うようになった。今こそ明言する、セガンは、終生、敬虔なクリスチャンであった、と。その宗教者性が白痴教育実践や理論上で、どのように顕れているのか、その探究の日々を送ることで、セガン研究の梯子から降りることはしないでおこう。このことが具体的に文字化されているのが、セガンの業績を代表する1846年著書(「白痴などの精神療法、衛生ならびに教育」)なのである。翻訳するのではなく、改めて言う、セガンを存立させた哲学を読み解くために本書を紐解く日々を送っている現在である。
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「医学博士 エドゥアール・セガン氏」(1839年公文書記述)

2018年02月10日 | 研究余話
 ぼくは、日本のセガン研究者はセガンを、医学博士でもなかったのに医学博士として理解し続けてきた、と綴った。そういうセガン研究者の理解の文脈とはまったく異なるところで、セガンを医学博士だと前提している当時の文書(当事公文書)が何編か見つかっている。たとえばこんな具合にー。
 「評議会は、白痴児が、衛生治療のみならず、声の、すなわち話すことの習慣を得、知性を啓かれるという観点で、知性を伴った教育指導を果たすような施設を、ウニヴェルシテの監督の下、自費で、自身の責任で創ることを許可されんとの医学博士エドゥアール・セガン氏の要望に鑑み、初等程度の教師を1人、その施設で雇うとの条件で、要望された許可に同意して当然であると決定した。」
 これは、セガンが、白痴教育の場を創設したいので許可して貰いたい、と公教育大臣に請願したことに対する、審査を担当した「公教育に関する王立評議会」決定である(1839年12月20日=セガン27歳)。公文書の中で「医学博士」の肩書きを持つセガンの初登場であった。
 セガンの虚偽申請が出発点にあるのか、それとも、当時の白痴教育と言えば精神医学専務のことであったから審査を担当した評議会の思い込みによるものか、あるいは意識的な所業か、それらを知る史料は見つかっていない。とにもかくにも、「医学博士・セガン」が公式肩書きとして使用された時期があったことは事実である。
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闘う白痴の教師・セガンの誕生

2018年02月09日 | 研究余話
 セガンを「白痴の教師」(l'insttuiteur des idiots)として雇用したのは、「パリ救済院等総評議会(略称)」(le conseil général des hôpitaux, des hospices, et des secours à domicile, à Paris)という、言わば、パリ中の医療機関・救済機関の総元締め機構。セガンから、その統括大臣である内務大臣のところに、「白痴の教育に携わりたい、どこでもいいから世話してほしい」という嘆願書のようなものが出されていた(セガン28歳)。当然、「身体検査」があれこれとなされたことは言うまでも無い。その結果、男子不治者救済院と女子不治者救済院の2院に「白痴の教師」との肩書きで、白痴の子どもたちの医療に関わる精神科医の下に配属されることになった。精神科医の医療プログラムの一環としての教育実験を、医師の管理の下で行うというのが任務である。
 セガンは、女子不治者救済院では勤務することがなかったが、男子不治者救済院での教育活動報告書の冒頭で、このように綴っている。「予め定められたプログラムに沿って教育を行うべきだったのでしょうか?いえ、私はそうは思いません。私が築き上げた方法ならば確実に子どもたちは発達するのですから。」
 医療計画に造反し、自ら開発してきた教育内容と方法とで白痴教育を実践するエデュアール・セガンはこうして誕生した。雇用条件の低劣さに反して志は極めて高い青年であった。まさに、「ボロは着てても心は錦~♪」である。もちろん無風であるはずもない。
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「白痴症は不治である」という見解批判

2018年02月08日 | 研究余話
 セガンは、「白痴症は不治である」という時代的趨勢に対して批判的に挑戦し、「かなりの重症で無い限り、白痴は教育によって社会参加能力を習得することができる」ことを示した。
 1846年著書に、そのことが、しっかりと綴られている。
 我々はイタールの「アヴェロンの野生児」実践で「人は発達する」という命題を確認することができ、20世紀を人間観の新世紀としてとらえることができるようになった。しかし、イタール実践の意図と成果をていねいに見ると、イタールは、白痴が発達する、とは認めていない。もちろん、教育作用による多少の「変化」のあったことは認めているが、それは、イタールがそもそも考えていた「教育による発達」の果実なのではない。そこを出発点として、セガン白痴(教育)研究は成立する。
 セガンは言う、「残念ながら信じられているが、白痴症は不治であるという見解は、誤った見解である。」と。不治論は、実は、科学に基づかないし、医療として不治を根絶するという見通しの元にあれこれ手段を講じてきたけれども、やはり不治なのだ、という結論に至ったのではない、とセガンは厳しい。セガンの言葉で、その論拠となるところを、尋ねてみよう。「これらの誤った見解は次に因る(その1):この問題に関する一般的な医学の無能さ、従って特殊研究の不足ならびに訪問式の不足、勤勉な研究がなされないままになされる拙速なやり方、諸個人のやり方にゆだねられた精神療法の試みによる。それらは薬餌療法というものの出番でも習慣でもない。しかし、薬剤師に送られる事実そのものがあり、いとも簡単にそうされてしまうのである。」
 時代の精神医療科学に対する厳しい批判、それはつまり、セガンの師匠とも言われ、同時代を代表する精神医学者エスキロールに向けられた批判でもある。
 これに、セガンの「宗教性」がどう絡んでくるのか、楽しみとなってきた。
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L’Evangile(福音書)に関わる記述文節

2018年02月06日 | 研究余話

• pp.204 -205de Idiotie
4° L'état de sainteté et d'impeccabilitc, attribue au pauvre idiot par quelques personnes pieuses, les détourne de le faire traiter et instruire; parce que, dans leur opinion, s'il devenait plus intelligent il pourraitpécher, et perdre ainsi le bénétice de la nature impeccable que Dieu lui a accordée en naissant ; perdre le ciel pour gagner un peu d'intelligence selon le monde, mieux vaut, au dire de certaines personnes, l'idiotie; et moi, je me hâte d'ajouter, non pas en mon nom, car je n'ai pas qualité pour parler dogme, mais de l'avis des théologiens eminents que j'ai consultés sur ce point : la doctrine quiétiste du laissez faire l’idiotie est anti-evangelique et réprouvée par tout ce que le christianisme compte de docteurs pieux et éclaires. Voilà réunis contre les idiots les quatre grands ennemis de toute amélioration : la routine des praticiens, la sensibilité des mères, l'indifférence de quelques parents, le préjugé religieux des personnes dont la Foi et la Charité ne sont pas éclairées par les véritables doctrines de l’Evangile. N'en voilà-t-it pas plus qu'il ne faut pour faire ajourner indéfiniment l'Institution des idiots? Devant les mêmes préjugés, au sujet du mutisme, Pierre Pons a échoué ; Pereire est mort pauvre et dans l'oubli ; après deux siècles passés en tentatives avortées, ii a fallu à l'abbé de l'Epée pour réussir un décret de l’Assemblée Nationale : c’est-il-dire une Revolution.
Sexの章 p.251
3° Enfin, dans l'idiote, il ne reste plus de la femme, telle que Dieu l'a faite, que la femelle ; et c'est à elle seule que peut encore s'appliquer l'antique definition : Propter solumu multier est quod est . La femme, telle que l'a faite l'Evangile, est au-dessus de ce portrait, qui ressemblait sans doute à la Vénus Pandemos et à ses initiées, mais qui ne ressemble plus qu'aux malheureuses que l'on est oblige d'enfermer, quand on n'a pas, à temps, cherché à rallumer en elles le feu sacré de l'intelligence et de la moralité.
Idiotieの章 p.658
Mais, tout le monde n'a pas des yeux pour voir dans le monde moral, beaucoup sont nés qui meurent sans attacher le moindre sens aux phénomènes psychiques qui ne peuvent être escomptés contre la monnaie courante; aussi peu de personnes accepteront la tâche d'élever des idiots avec le sentiment élevé , qui doit présider à cette entreprise. Les uns n'y verront qu'un lucre momentane, les autres qu'un moyen de continuer leurs études, etc., etc. … Mais l'homme capable qui dépensera sa jeunesse à élever un idiot est difficiIe à trouver, et l'homme qui consacrera aux idiots son existence, aura besoin de se rappeler tous les jours cette parole de l'Evangile : Le bon pasteur donne sa vie pourson troupeau.
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これ、どう理解する? 続

2018年02月05日 | 研究余話
ravaux sur l'idiotie antérieurs aux miens.
 このmiensをめぐっての思考・・
 まずは、字義通り「わが身内」と理解した。セガンの身内に先天性の白痴がいた、という理解だ。それを助けるがごとく、文の途中で、「私は知らなかったが、わが母はそれを知っていた。」と訳出しうる一文があるからだ。しかし、それは思い違いであろうと、考えた。なぜなら、症例が数多く出されているからだ。
 そうだとすると「わが身内」という直訳ではなく、「私が直接療育した先天性白痴」なのではないかと考えられもする。
 今日、療育例の記述を追っかけてみた。すべて女性だ。しかもサルペトリエール救済院(女子施設)と深くかかわっている。セガンは女子救済院では仕事をしていない、とぼくは断定してきた。その断定と矛盾が生ずるから、研究の一からやり直し、ということになる。これは大変。
 記述章の書き出しはピネル、そしてエスキロール、さらにベロームの名が見られる。いずれも、サルペトリエールで精神病理の研究をし、白痴について歴史的な転換を示すことになる業績を上げている。ピネルの弟子がエスキロール、エスキロールの弟子がベローム。セガンは、エスキロールと深くかかわったことを書き残している。この人物群を「白痴」の療育という観点で結んでみると、ピネルは「白痴は病気であり、しかも終生治らない。」と規定した。エスキロールは、「白痴は終生変わることの無い状態症だ」とした。病気ではない。この二人の規定では、白痴に教育は意味をなさないことになる。ベロームは「白痴は教育によって発達する」と論じた。ただ、発達の程度は、社会に適応できるまでには届かない、としている。
 また、セガンがこの章で療育例として挙げているのは、じつはセガンのそれではないことがわかる記述がみられることが分かった。
 こうしてみると、miensというのは、白痴を療育の対象として取り組んだ人たち、という意味なのだ。白痴を正面からとらえて研究し提言した<先輩><仲間>という意識が、セガンにはあったのだろう。ただ、ピネルについてはほんの入り口程度の記述だし、ベロームについては実質記述をしていない。残るエスキロールが、セガンが取り上げた症例にかかわる。ということは、miensの実質は絞られ、エスキロールということになる。要は、エスキロールが療育した対象の先天性白痴について、事例を取り上げた章、という結論に落ち着く。
 今日のところは、この程度。しかし、大きな気づきであると思う。、
 
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これ、どう理解する?!

2018年02月04日 | 研究余話
Travaux sur l'idiotie antérieurs aux miens.
 セガン1846年著書より。
 素直に辞義に従えば、「わが身内の先天性白痴に関する仕事」となる。
 セガンの身内に「先天性白痴」がいたのか? 読み取りを深くしなければ、いけないな。
 記述内容に登場するイニシャル数から見て、療育した対象が「身内」であろうはずはない、と思う。ひょっとして、「私のもの」、つまり、セガンが直接教育に携わった子どもたちのことを綴っているのか?そうだとすれば、「私が直接療育に関わった者たちで先天性白痴に関する仕事」となる。各事例を検討しよう。
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