エデュアール・セガンの文章は詩的で美しい、という人がいるそうだ。清水寛氏がそういっていた。だが、私に言わせれば、とても分かりにくい文章を綴ることが多い人だ。言っちゃなんですが、セガンさん、思い付きの(連想する)人なんですな。
例を挙げると、「白痴の子どもには華美でない専用の子ども部屋を用意すべきだ」という主張文に、突如、「私は父親から祖母の家の子ども部屋を取り上げられた」という一文が挿入されている。これは1846年著書に見られる。清水寛氏はこの体験はクラムシーでのことだと綴っておられる。これに対して、ぼくは、強い違和感を覚え、「祖母の家探し」のために戸籍調査をし、実際の居住地の特定のためにフィールドワークを重ねた。言うところの「祖母」とは母方の祖母であり、その家は、クラムシーではなくオーセールであり、現存していることを明らかにした。その研究成果は「知的障害教育の開拓者セガン~孤立から社会化への探究』(2010年、新日本出版社)第1章で詳述した。次の写真は、現存するオーセールの祖母の家である。
さて、セガンは、計量・数値の教育は大事である、という論の中で、やはり、突如、「ニヴェルネ地方の小麦市で、7種類のマスで小麦を量って売っているのを見ていた」という一文が挿入されている。『教育に関する報告』1875年刊行の中で綴られている。この検証は誰も行っていない。ぼくがほんの触りとして前記著書で触れておいた程度だ。
ニヴェルネ地方というのはセガン家があったクラムシーを含む地域名。「小麦市」というのが立っていた、という理解が可能だ。クラムシー市には「グラン・マルシェ」(大市=常設市)と「プチィ・マルシェ」(小市=定期に立つ市)とが立っていた、そして「プティ・マルシェ」では各種麦の販売がなされる「麦の市」が立っていた。さらに、セガン家の前を走る道路名が「下・小市(オーバー・プティ・マルシェ)通り」であるわけだから、セガンの叙述は、自身の生活史の中ではっきりと刻まれている印象表現であることが分かる。
この麦の市を実感的に知る方法はないか、セガンの目線を追体験できるだろう…。
添付写真は、パリの古書店で見出した古絵葉書。20世紀初頭の麦の市光景。アーケードの下で市が開かれた。
道路右側のアーケードに市が立てられた。次はその拡大。
実写写真は市が開かれたアーケードからセガン家方面を覗き見た光景と旧セガン家正面光景。
現地に行きもしないで、自分の観念だけで分析することの危険性を痛感したフィールド・ワークである。とくに、既述のように、まるで連想的思い付きのようなセガンの記述にぶつかると、このことを痛感する。そして、やはり、セガンってやな奴だ、と思う次第。自分だけわかっている、というタイプだからだ。
例を挙げると、「白痴の子どもには華美でない専用の子ども部屋を用意すべきだ」という主張文に、突如、「私は父親から祖母の家の子ども部屋を取り上げられた」という一文が挿入されている。これは1846年著書に見られる。清水寛氏はこの体験はクラムシーでのことだと綴っておられる。これに対して、ぼくは、強い違和感を覚え、「祖母の家探し」のために戸籍調査をし、実際の居住地の特定のためにフィールドワークを重ねた。言うところの「祖母」とは母方の祖母であり、その家は、クラムシーではなくオーセールであり、現存していることを明らかにした。その研究成果は「知的障害教育の開拓者セガン~孤立から社会化への探究』(2010年、新日本出版社)第1章で詳述した。次の写真は、現存するオーセールの祖母の家である。
さて、セガンは、計量・数値の教育は大事である、という論の中で、やはり、突如、「ニヴェルネ地方の小麦市で、7種類のマスで小麦を量って売っているのを見ていた」という一文が挿入されている。『教育に関する報告』1875年刊行の中で綴られている。この検証は誰も行っていない。ぼくがほんの触りとして前記著書で触れておいた程度だ。
ニヴェルネ地方というのはセガン家があったクラムシーを含む地域名。「小麦市」というのが立っていた、という理解が可能だ。クラムシー市には「グラン・マルシェ」(大市=常設市)と「プチィ・マルシェ」(小市=定期に立つ市)とが立っていた、そして「プティ・マルシェ」では各種麦の販売がなされる「麦の市」が立っていた。さらに、セガン家の前を走る道路名が「下・小市(オーバー・プティ・マルシェ)通り」であるわけだから、セガンの叙述は、自身の生活史の中ではっきりと刻まれている印象表現であることが分かる。
この麦の市を実感的に知る方法はないか、セガンの目線を追体験できるだろう…。
添付写真は、パリの古書店で見出した古絵葉書。20世紀初頭の麦の市光景。アーケードの下で市が開かれた。
道路右側のアーケードに市が立てられた。次はその拡大。
実写写真は市が開かれたアーケードからセガン家方面を覗き見た光景と旧セガン家正面光景。
現地に行きもしないで、自分の観念だけで分析することの危険性を痛感したフィールド・ワークである。とくに、既述のように、まるで連想的思い付きのようなセガンの記述にぶつかると、このことを痛感する。そして、やはり、セガンってやな奴だ、と思う次第。自分だけわかっている、というタイプだからだ。