ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

翻案 パリ・コミューンと少年(6)

2018年09月17日 | 研究余話
2ー1  妙なことなんだけど、ぼくはママンとパパ、おじいさん、ぼくにとって幸せでありたいと、将来のことを思えば思うほど、ますますぼくは過去のことを考えてしまう。ぼくの頭の中ではたくさんの光景が押し合いへし合いしている。ママンは言う、ぼくたちがつい先月体験したことすべてが思春期の人間にとってはあまりにもつらすぎるのさ、と。パパは言う、人間であるために苦しむんだよ、と。パパは、生まれること、ママンのおなかから出ること、人間ばかりじゃなく、おかあさんの胎内から生まれることは、他のことよりずっとすばらしい出来事だ、でも生まれてからは争いが絶えることはない、と言い足す。ぼくはそれらのことがよく分かったわけではない。だけど、それらのことは正しいと感じた。ぼくは二人とも愛している。
 地区の友だちの、アンドレやアルフレッド、マティウと話し合うことがあった。誰も学校に行っていない。彼らは両親を愛していると認めることが、時々、つらくなると、ぼくは思ったことがあった。パパは、ぼくが学校に行っているんだから恵まれている、それにぼくの家には本もある、と言う。おじいさんの本、中でもヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』。彼は国会の下院議員を務めている人で、流刑者のことを書いた人だ。ぼくもその本が好きだが、両親もおじいさんも、そうだ。だって、彼らは、その本の全部を話してくれるまで、途中でやめないもの。
 ぼくは、時々、ムッシュ・パタンのことを知らない友だちのことを考える。だって、彼らはいつも、食べることでさえ簡単ではない。寝るところの苦労をしている。アンドレのママンとアルフレッドのママンは他の家の洗濯している。マティウは自分の父親も母親もまったく知らない。彼はおばあさんと一緒に暮らしている。おばあさんは、戦争の前、大きなお店の下請けの仕事をしている家で、刺繍をしていた。
 それにほら、ぼくたちが小プチ・ナポレオンによってはっきりと戦争に負けてしまってから。ティエールとその政府が、ぼくたちに、プロイセン人に従うように言いふらしているだろう!奇跡的にも、ぼくの友だちがおなかが空いたときに食事をし、本当のベッドで眠り、そして学校に行くことができる、決して貧しくはないプロイセン人とティエールが、そのようにするかのように。