ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

き・ん・え・ん きんえん 禁煙

2015年06月25日 | 日記




1.
  CTスキャンで撮った写真群を前にして医師とぼくとの会話。
「肺が壊れてますねぇ。ほら、この白いのが壊れているところです。」
「新生細胞が芽生えているのではなくて、細胞が壊れているのですか。」
「そう。そして壊れたものは元には戻らない。」
「なるほど。じゃ、治療は無し、ということですね。やった!」
「これ以上肺が壊れるのをストップかけるのは、あなた自身で。」
「治癒はできないが進行を遅らせることができる、というわけですか。」
「生活習慣の改善ね。」
「今結構まじめで規則正しい生活振りですから、飲む打つ買うの習慣づくり・・・じゃないですよねぇ。」
馴染みの看護師さん、大笑い。先生も、苦笑い。してやったりのぼく。
「余生幾ばくもないというのなら、そういう習慣へと改善したいなぁ。」
「タバコをやめなさい。野菜を取りなさい。睡眠をきちんと確保しなさい。魚類の摂取も勧めます。以上、生活習慣の改善。詳しくはパンフレットをあげるから、それをしっかり読んで。」威厳正しい、ヤナ先生だ。
案の定、タバコをやめろ、だと・・・ねぇ。
 2月末に倒れて以来何度禁煙宣言をしたことか。どれほど多くの人から禁煙を強く要請されたことか。それでもやめることができなかったこのぼくに、肺の細胞が壊れるのを促進するおそれがあるから喫煙をやめなさいというのは、なにほどにか効果ある医療指導なのだろうか、と思う。パッケージに、ドクロの絵が描いてあろうが、肺ガン、心筋梗塞等々を促進させるおそれがあるという警告文が書いてあろうが、愛する者を悲しませ意に染まぬ巻き添えにしてしまうおそれが強くあると認められていようが、それでも喫煙をやめない人がゴマンといる。自宅、自室という空間での喫煙でさえ疎んじられ、屋外へと追いやられてしまうという屈辱に耐えてまで喫煙するのだ。事実は、やめないのではなくやめることができない人が大半だろう。もちろん、ぼくはその一人。自慢しているのではなく自嘲して言っている。だから、この日の医師の言葉によって禁煙を決意はしたが、病院での支払いを済ませて表に出たとたん、じつに紫煙が美味しかった次第である。
 ふと気付いたのが「路上喫煙禁止」マークの真上で煙をくゆらせている、ということ。この後味は、まずかったです、ハイ。 
2.
 来る10月16日は手術の日である。盲腸さえまだ身体につけているこのぼくにとって、入院を伴う手術なるものは生まれて初めての経験。病院から渡された「入院するにあたって」のさまざまな書類を繰り返し読む。誓約書の類の書類の中に、禁煙誓約がある。病院敷地内では喫煙いたしません、という誓約である。これを見る限り、病院敷地外での喫煙は良し、ということである。術後がどのような身体状況になるか不明であるけれど、この誓約書を見るたびに、病室を抜け出し、点滴をぶら下げ、喫煙可能な空間を求めてさまようぼくの姿を想像する。みっともないような、なかなかかっこいいような・・・。ぼくの意識内に「禁煙」の二文字はどうしても定着しそうもない状況が続いていた。
 入院準備書類を、念のためにと、隅から隅まで読んでいたら、「入院1週間前からの喫煙は禁止します」という文字に釘付けになった。「敷地内では喫煙いたしません」との誓約書とは趣旨が違う喫煙禁止命令である。そっと病棟を抜け出し・・・というぼくの目論見は、どうやら実現不能のようであった。なぜ喫煙禁止なの?もし喫煙したらどうなるの?こういう素朴な質問に対して、ちゃんと回答が書いてあった。「喫煙によって手術に重大な影響を及ぼす可能性もあり、手術延期もあり得ます。」 要するにですね、タバコを吸うたら手術せえへんでぇ、ということなのですねぇ。うーん、それは困る、今さら困る。職場には10月16日手術、入院は10月13日から10日(予定)、と届けてある。それなのに、タバコを吸ったために手術が延期になりました、なんて、恥かきを得意とするぼくであっても、たいそう困る。
かくして、「手術してほしいから禁煙する」という宣言を自分自身になし、10月1日より禁煙生活に突入した。
3.
 初めてタバコを吸ったのは17歳の時だったと記憶する。それはあくまでも「大人への背伸び」の儀式の一つであり常習化するものではなかった。
 喫煙を常習するようになったのは浪人中のこと。きっかけは有楽町でばったり高校時代の同級生と会ったことである。彼からパチンコを教わり、タバコを教わった。いや、ビリヤードも教わったと記憶している。彼は女の子によく持てた - 正直に言えば、ぼくと「相思相愛にある」とぼくが思いこんでいた2歳下の女の子が、いつの間にか、彼の恋人となっていた。高校時代の思い出の一コマ - が、彼にあやかりたいという思いが心の片隅にあったのだろう。
いつまでも「女の子に持てた彼にあやかりたい」という気持ちで遊興や喫煙にうつつを抜かし続けたはずはないが、常習となった。つまり、ぼくの生活のリズムの中に位置付いてしまった。それら無くしてはぼくではないというほどである。
 そして、やはりなのだが、いつまでも「パチンコやビリヤードがぼくのアイデンティティだ」とするところとは大きく矛盾する具体的な日常生活が到来するようになって、パチンコもビリヤードも完全に足を洗う日々となる。しかし、タバコ生活だけは抜けることができないできた。正確に言えば、長期禁煙を2度試みたことがある。20代後半から30代後半までの10年間、40代後半期の5年間、禁煙生活を送った。「それだけ禁煙をしたことがあるのなら、禁煙なんて簡単でしょ?」と言われるし、自身でもそう思いたくなる。だが、それは単なる過信である。長期にわたって禁煙を続けたということは、タバコが自身にも回りにもよろしくない、ということを知っているからであって、たいそうよろしいものであるのなら禁煙ナドする必要はないわけである。要は、それほど長く禁煙ができていたものが、いとも簡単にその生活習慣を破ってしまう、それほどに喫煙習慣というのは恐ろしいものだ、という自覚を持ち続けなければ禁煙はできない。「いつでも禁煙できる」は「禁煙しない」宣言と同じである。
 今、禁煙生活が破られた瞬間のことを思い浮かべて、喫煙への誘惑と戦っている。タバコの味を覚えた人間は、恐らく、終生、その味わいのよさを忘れないと思う。だからタバコの味わいを楽しみたいというのは、生きている限り、常についてまわる誘惑感情である。禁煙生活が破られる瞬間はその誘惑感情に負けることなのではない。もっと情緒主義的で即物主義的でだらしない感情である。ぼくの場合で言えば、禁煙生活から喫煙生活に戻るきっかけになったのは、「オレって、意志が強いんだぜ」と強がってみせるために、大勢の前でタバコを口にしたことにある。それを正当化するために言えば、そういう強がりをしなければならないほどに心理的に追いつめられるような環境下に置かれていた、と言ってもいい。が、それはナンセンスである。本当に「意志が強い」のならば、目の前で煙を吹き付けられようが、どれほど美味しそうに紫煙をくゆらせている光景を見せつけられようが、「オレが許すと言っているのに」と脅迫されようが、「じゃ、一本だけ。絶対大丈夫だから。」などという展開にするはずはないのだから。あとは哀れ、「その一本がブタになる」 ブヒッ。あ、ブタに悪いね。「その一本は永久に春無しドクロ道」。
 「この一本だけ」で始まった失敗の道から何とか逃れようと、精神的にあがきはする。「最後の一本!」などとつぶやきながらシケモクを繰り返す。「明日から禁煙だ!」とタバコを買い求め、すぱすぱやる日が永遠に続いていく。
仕事に疲れ心身を休めようとする時と、何もすることを見出し得ない時とが、喫煙への強い誘惑の時となる。「最後の一本!」と今にも叫びそうなぼくが、今、いる。そしてその叫び声を今絶たないと、未来永劫叫び続けるに違いない。それほどに、「オレって、意志が弱いんだ」と、はっきりと認めてかからないと、喫煙への誘惑とは戦えない。
今さらながら思うことである。