ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

雑事。

2017年02月28日 | 日記
○7時起床、起床時室温10℃。二度寝。
*理性が勝るか感覚が勝るか。医学博士は感覚が勝ると言い、かつ、「教育学者は安っぽい理性主義者が多い。」と、今野晴菜という女性の口を通して語らせる。なかなかシビアで現実そのものの夢。夢に登場した女性は実在しないはずだが、妙に存在感があった。
○11年前の今日、2006年2月28日、みぞれ交じりの朝、パリ、凱旋門にほど近くのところで、体に大きな異変を感じ、死ぬかもしれないという意識の中で,濡れたベンチでしばらく時を過ごした。大量と思える吐下血の結果だった。S先生から受ける得も言われぬ脅迫的な研究協力命令とセガン研究の難題を超えられぬ苦しみとのはざかいにあった時の頃のこと。この直前に、ふたりの女子学生のパリ滞在案内に神経を使ったこともある。この年の秋にも、やはりパリで倒れ救急車で運ばれているから、ぼくの人生の中では、本当に苦難の年だったのだなあ、と今更ながら、思う。それにしてもよくぞ生き延びたものだ。映画「パリの朝、雨に死す」さながらなのだなぁ。
○エッセイ「・・・それはある日突然やってきた。」
○今日のお昼もカレー。オムカレー。添え物に、ブリ照り焼き(のつもり)

○午後の一時、タビチョが肩の上をねだった。うつらうつらしているし~♫

○女優ジェニファー・ジョーンズ。しっとりした美しさ。
*ジョニィの肖像、聖処女、終着駅、そして・・・。
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通所リハビリ、その他

2017年02月27日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温12℃。夜の目覚1回。
*理学に開かれた音楽、3コマ担当。初回いずれの会も教室側kらずうろちょろ。3コマ目は教務職員に尋ね案内されるが、教務職員を見失ってしまった。あり得た夢だから笑える。
○燃えるごみ出し。脚が重い。やっこらやー.
○粋生クラブ増尾通所リハビリ。
*コーヒー淹れ、レッグマジック、ハードル歩行、マットで左脚着地訓練、踏み台、左脚踏み出し着地訓練、ゴム紐膝先強化訓練、芋虫ゴロゴロ、自転車、大きなボールに座り腰回しなど訓練、マッサージ、暖か姫。
*「左脚が思っていた以上に硬いですね。」とマッサージの後。今日のように冷える日には自覚する。運動頑張ります。
*「車の迎えの前に、運動しているの?」とWさん。「階段の上り下りとか空気のかなり抜けたサッカーボール蹴りとか、ちょこちょこやってます。15分ぐらいかな?」とお答えした。
*Tさんがこれで3週顔を見せていない。こけて腰を痛めたというつらそうなお声を拝聴してから姿が見えない。どうしておられるのかな。
○今日のお昼は、讃岐半生うどん。カレーうどんにしていただいた。トッピングは半ゆで卵。
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セガン翻訳、諸々

2017年02月26日 | 日記
○7時30分起床、起床時室温11℃。夜の目覚め2回。
*文教大のお嬢さん2人、宿までお出迎え、文教大での講演のため。昔懐かしいことの夢見。
○朝食の後、軽い運動。左足裏踵から着地。左膝先ゴム運動。ボール蹴り。ボールが地面から浮いて飛んでいくのを見るのは気持ちいい。
○セガン関係翻訳で午前中。
○昼食は、卵掛けご飯、タマネギ、にんじん、椎茸焼き。軽く塩胡椒、ちょっと高級なオリーブオイルで焼きました。おいしいですねー。
○午後も、ちょくちょく、翻訳と運動。翻訳はフランス語入力を併せて行っている。理解をより深めたいため。
*ピガール通りの白痴学校の参観検証を行ったフェリュスの内務大臣への報告書で新たに気づいたこと。彼はアドレアンに関わるセガンの実践は実際に見ておらず、セガンの記録文書だけを判断材料にしている。それによると、彼自身がアドレアンの発達の判断をしているのではないことが理解できる。さらに、新しく知ったことは、教育に取りかかる前の確かなデータが存在しない、白痴病のどのようなルイなのか不明、と疑問を呈していることだ。重大な疑念と出会った。かといってフェリュスは数少ないセガン理解者となるのだなあ。
*水頭病の登場。医学の教養の無いぼくにとって、難題となる。
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通所リハビリ 午後雑事

2017年02月25日 | 日記
○7時起床、起床時室温11度。
*大空がまるで巨大水槽の如し。水族館写真をあれこれ見たためか?楽しくもあり怖くもある夢。
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ。
*コーヒー淹れ、レッグマジック、ハードル、マットを使った歩行訓練、大股で踏み出し訓練、踏み台、ゴム紐を使った左脚鍛錬、ゴロゴロ尺取り虫、自転車、マッサージ、あったか姫、平行棒体操。
*コーヒーはブラジル、コロンビア、エチオピアブレンド。評判がいつもよりよかった。
*Sさんが挽いて下さった。麻痺で不自由な左手でミルをしっかり握って。
*手作り梅ジュースをいただいた。
○お昼はマグロ血合いのステーキ。ニンジン、タマネギ、椎茸を添えて。
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むずからず我慢を・・・

2017年02月24日 | 日記
○7時30分起床、起床時室温12℃。二度寝。
*広い空間で20世紀初頭の西洋風ドレスに包まれた女性に囲まれて時を過ごしているオレ、オレがどんな恰好をしているのかは夢では見えなかった。一転、和歌山大学を去る時に松浦先生の仕掛けで催されたゼミ送別会。女子学生がいなかったぼくのゼミだったが、他のゼミから二人だったか(その二人だけは鮮明に覚えている、他にもいただろう)、女子学生が参加してくれた、その夢。これまた松浦先生のリードの下で、女子学生とチークダンス。後にも先にも経験のないこと故、チークダンスなんだろうなあ、と思っただけのことだし今もそう思っているのだけれど、なかなかリアリティのある夢でした。お相手下さったNさん、地元の郵便局にお務めになったというお便りを後年いただいたが、どうしておられるだろうか。夢と思い出とがごっちゃになった昨夜でした。
○朝のうち2時間ほど翻訳作業。フェリュスが幾たびかセガンに会いに行ったことを知る。
○新柏東武ストアーへ買い出し。ティッシュ、朝食用食料。マグロ柵、調理用ワイン、ダシ。お菓子。
○マグロ赤身の柵が中トロ部を多く含んでいたので、お昼は、マグロステーキにした。焼きタマネギ、焼き椎茸を添えて。マグロはニンニクスライス、醤油、みりんでしばし漬けおいてから焼いた。なかなかいい味わいでした。外見は美しくありませんが。
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船橋にてランチ

2017年02月23日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温10℃。夜の目覚め1回。
*見た夢は二つ。まず、野球をプレイ。背中にデッドボールを受け一塁へ。塁に向かっている途中次の打者の打球が足許をかすめていった。ンナアホな、と思うが場面は進。二塁から3塁へと走るが気持ちだけ、少しも進まない。次なる夢は研究会にT君とK君とバスに揺られて向かった。東大本郷赤門を過ぎた辺りで揃って下車。じゃあ、とそれぞれに挨拶を交わして別れ、別々に赤門をくぐる。で、オレはどこに行くんだ?不明のまま構内をうろつき、売店を覗きして、ああオレは研究会じゃなかったんだ、帰ろう!で、目が覚めた。なんかわびしいね。
○日ビールごみ出し。ほんの少し、脚が軽く感じた。
*登りの折、2人の女子中学生とすれ違った。登校途中の彼女たちの手にはビニール袋。ポイ捨てされたタバコの吸い殻をていねいに手で拾い上げていた。大人の不始末を子どもにさせる学校ってのも、変だと思う。
○9時外出、帰宅16時。
*郵便局により新柏から船橋へ。東武の地下食品売り場を歩き、いくつかの買い物を楽しむ。11時トドちゃんと落ち合い、初めてのお寿司屋さんへ。なかなかの握りでした。船橋で寿司が食べたくなったら源へ行こう!ランチ価格はとてもよいです。もちろんボリュームも。その後はのんびり飲茶。オープンカフェみたいな中国茶の店、落ち着いてとてもすてきです。その後は夕餉のお買い物等をし、お別れ。セガン研究で知った研究者たちの力の無さという無様な姿と、どれほど優れていても世に認められてきていない北海道の先生、という対極を改めて正視すことができた。
○この「お酒」は子どもの頃から飲めるのだ。

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確定申告はしなくていいようだ

2017年02月23日 | 日記
○7時起床、起床時室温12度。
*ピガール通りの白痴学校が置かれたすぐ側に数年前まで駅馬車の発着場があった。それはどんな建物でどんな雰囲気だったのだろうかと考えている自分の頭の中に、日本の馬方や西部劇の駅馬車が浮かんでは消え消えては浮かんできて、もともとの駅馬車イメージとは違う風景が夢の中を駆け巡っていた。目覚めて、2010年著書の当該箇所を書き改めなければと強く思った。
○燃えるごみ出し。左脚膝のねじが外れたみたいな脚感覚。力が入らないように思え、歩くのに苦労。昨日の疲れ?
○確定申告の書類作成の準備をし始めたが、よくよく書類に目を通すと、おらっち、貧乏だで、申告せんでええだ、という内なる声が聞こえてきた。今年はこの声に従ってみよう。
○宗さんから、曽田君や平野君が会いたがっているとの連絡。平野君は最近宗さんから近況を聞いていたけれどーなんたってご夫婦だからー、曽田君はまったく音信不通だったから、とても嬉しく、ありがたいことだ。彼らの都合の日時に柏であうことになろう。姫さまたちの世代の自主ゼミ生。ゼミというまとまりはほとんど無かったけれど、深い交わりを持つ君たちが何人かいたね。楽しみだなあ。
○埼玉新聞の吉田君とfbで顔合わせ。編集局長だと。偉くなっていることは少しも知らなかった。奥方の健康はその後どうなのだろう。
○セガンの白痴学校の生徒についての観察評価記録を訳出しはじめたが、目の不具合が邪魔をする。くそっ!
○猛烈に旅に出たくなった。しかし、年金生活者には先立つものの工面は困難。いや、それよりも、身体状況の困難性には、借金で工面する、ということもできない。
 行きつけのスーパーの鮮魚コーナーを覗いたらムール貝が黒光りしていた。パリのピラミッド近くサン・トノレ通り沿いの魚屋の店先に山盛りされていたムール貝1㎞を衝動買いし、その近くのスーパーで、白ワイン、ニンニク、トマト、バケットと深鍋、スプーン、電熱コンロを買って、ホテル自室で調理をした10年ほど前の光景が、頭の中を走り抜けた。
 せめて旅愁を味わいましょう、とムール貝料理の再現。あのときと違うのは具材にたっぷりのタマネギと黒胡椒が入っていること。
 白ワインで酔っ払いました。
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ゴロゴロ・・・

2017年02月21日 | 日記
○8時起床、起床時室温11℃。身体の節々が重く痛く、幾度も寝返り、目覚め。久しぶりに最悪の夜。
○誰がために鐘は鳴る 1943年
ガス燈 1944年
ジャンヌ・ダーク 1948年
 いずれも、スエーデン出身の女優イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman、1915- 1982)主演映画。「ガス燈」を観て他の二つの作品を観た。特に追い詰められた心理描写が見事な演技者だと思った。
こういう俳優さんをもっともっと早くに知っていれば、ぼくも映画鑑賞者になれたろうになあ。
○たぶん、タビチョとマヌの共同作業だろう、炊飯器の蓋を開けて、今日のお昼ご飯用に予定していた飯が半分ほどに減っていた。いい知恵は働かず、悪い知恵は多いに働く我が家の乱暴者。お昼はやむを得ず、うどんに転換。カレーうどん。コンブでダシ取り、ニンジン、ジャガイモ、鶏肉ほんの少しを使って作成。なかなかいいんでないの。

○エデュアール・セガンってどんな人?(最終回)「セガン氏は人間性が富かで鉄の意志の人」
 ピガール通りの学校の参観者は、セーヌ県(パリ)の医療や福利厚生に関わる諸機関(救済院、施療院)の統括責任者のフェリュスという人であった。彼は時の内務大臣の下命によりセガンの学校を参観・視察したのである。何度か訪問したようだ。その訪問記を内務大臣に提出している。それによれば、セガンは、救済院、施療院内で精神医学者によって白痴者たちになされている教育に携わりたい、いずれの機関でもかまわないので、是非この夢を叶えてほしい、と内務大臣に直訴している。大臣はそれを受けてセガンの適性、能力を試すべく、フェリュスに視察を命じたのだった。フェリュスは、報告書の中で、セガンの教育の特徴と達成とを具体的に述べ、結びに、「セガン氏の夢を叶えてやりたい、セーヌ県内の白痴たちのための、いずれかの公共の保護施設で。」とし、「セガン氏は人間性豊かで、鉄のごとき固い意志を持って、白痴たちの教育に当たっている。」と、人物評価を加えている。
 セガンの実践・理論の特徴は、たとえて言えば、知性の発達を支えるのは身体の発達である、ということにつきようか。あまりにも簡易な纏めであるので、発達論研究者のお叱りをいただくだろう。しかし、知性の発達も、身体の発達も大事だから、それぞれを組織立てて教育する、という通俗的な考え方ではない。このセガンの実践・理論の本質を見抜いたフェリュスは、精神病者のための治療改善を大々的に進めていた人で、セガンに強く共感し、以降、セガンの力強い支援者となっていく。(終
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粋生倶楽部増尾通所リハビリ

2017年02月20日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温10℃。布団を1枚減らして寝たため夜中に寒さのため幾度も目覚めてしまった。まだ早かった。
*地下ホームに降りたが「初台」駅でしかも新宿方面の特急が止まっていた。慌ててホームが違ったよ、と声掛けをして階段を登り直した。同行者が女性だったのは覚えているが誰だったかは不明。そこだけ鮮明な夢の記憶。
○燃えるごみ出し。脚がとても重い。
○通所リハビリ
*コーヒー淹れ、レッグマジック、ハードル、マットを使った歩行練習、ゴミヒモを使って左脚強化君連、踏み台、自転車、マッサージ、あったか姫。
*今日もギンナン頭を褒められました。
○今日のお昼は久しぶりにうどん、コンブ、カツオのダシ取りから、塩味、ニンジン、溶き卵。

○エデュアール・セガンってどんな人?(16)知的障害教育施設の創設者・セガン③
 セガンがピガール通りの学校についてその名を出して綴っているのは、数多くの著作の中でただ一カ所のみ。次のように言う。「・・・理解者によって教育の実際が報告されたのだが、ピガール通りのつつましい施設で、ただ一人で、生徒たちと学びあった・・・」(セガン「1846年著書」)
 セガンが「つつましい施設」を置いたというピガール通り6には家族用住宅建築物(アパルトマン)があった。セガン関係の史資料を精力的に発掘したフランス精神科医ペリシエ(故人)と地方史研究家テュエイエは、玄関、調理場、廊下、寝室、書斎、サロン(応接間)、食堂、暖炉部屋各1の家族用居住空間であり、そのアパルトマンにはかなり広い庭が付置されていたことを、登記簿などによって明らかにしている(シャワールームについては記載が無い)。「定職」を持たない30歳前のセガンが800フランで借りるには「身に余る」ほどであるので、子どもの教育をセガンに委ねていたH家がパトロンとなっていたのだろうと、ぼくは推測している。
 セガンは、白痴のための教育施設を出発させたのは女児を含む3人の生徒であったが、セガンが言う「理解者」による実地参観報告書には、他に「男性監視人」1名がいたということ、この施設は関係者全員の寄宿型教育施設であったと推測されること、生徒をつねに追加募集していたこと等を考え合わせると、さらなる家族居住空間が準備されていたとみなすべきであろう。
 しかしながら、募集に対する問い合わせがたくさんあったにもかかわらず、門番や大家の妨害―「セガンは子どもを虐待している!」「窓から落としている!」などの流言―があり、学校の規模拡大はできなかった。それがためにセガンは訴訟を起こしてさえいる(判決は、1841年2月に出され、セガンの勝訴であった)。
 次なるセガンの教育実践への手立て・目論みは、じつは、上記の参観者の報告書にあった。
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終日在宅、セガン。

2017年02月19日 | 日記
○8時起床、起床時室温10℃。明け方両脚が攣り目覚め、その後再び眠る。
*少年と二人で旅の夢。
○午前中、マットを使って足裏着地訓練、ゴム紐を使って脚動作訓練、外階段を使って上り下り訓練、その他。
○セガンが1840年に創設したピガール通り6の白痴学校の、フェリュスによる内務大臣に宛てた参観記録書を久しぶりに読む。彼が実際に目にしたのは、20歳の水頭症の白痴男性(外見が12歳ほど)M...Aと、12歳Aの白痴の女児。この内務大臣への報告書の末尾には、「鉄のように固い意志を持って白痴教育に打ち込んでいるセガン氏の願いを叶えてやりたい、セーヌ県内のいずれかの公的な療養施設が適切だと考える」とある。このことから、セガンは、ピガール通りの白痴学校での実践の限界性を悟っていたのだろうと、推測されるわけである。
○エデュアール・セガンってどんな人?(15)知的障害教育施設の創設者・セガン②
 パリ、ピガール通りに知的障害教育施設がセガンによって創設されたことは、関係する分野の歴史語りにあまり登場することはない。セガン研究史においても事項として触れられることはあっても、その時期や対象者等関係者などについて詳しくないか誤っているかがほとんどである。
 これまで述べてきたおさらいになるが、白痴(知的障害者)に対する「教育」は、19世紀においては、精神医学の治療実験の一環でしかなかった。そういう制度条件下において、実質的には精神医学の占有から離れた、自立した学校として、ピガール通りの白痴学校が出発したのである。
 しかしながら、だからといって、諸手を挙げて歴史賞賛をすることもできない諸々の問題があることも、事実なのである。
 一つは、公教育大臣から得た設立許可では、セガンを医学博士としていること、その治療管理の下で初等程度の能力を持った者が教育に当たることという条件が付いている。つまりは、やはり医療実験の一環としての「教育」という行政認識だ、ということである。
 あと一つは、学校の創設・存続の期間についてが不詳のままであり続け(詳述は避ける)、当事者による詳細な記録が残されていないこと。生徒であったアドレアン・Hと20歳の男,12歳の女計3名の就学記録も残されていない。参観者の手によって観察された記録がやっと見つかった、という程度である。
 セガンほどの「記録魔」がこの学校についてほとんど語っていない、ということも、後の人に興味を持たせないままになっている、ということなのだろうか。 (この項続く)
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