ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

不治者救済院の調査着手

2017年08月31日 | 日記
○5時30分起床、起床時室温27℃。全景が茶系の街。前に見た夢舞台か。駅を降りて目的地案内看板を探すも見つからず。さまよい歩く。そもそも目的地がどこなのか、分かっていない夢。「いざ発たむ当てはなくとも秋の暮れ」 枕元に浮かんだ俳句。「秋」より「夏」の方がいいっすな。「いざ発たむ当てはなくとも夏が暮れ」としましょう。
71.8
125 68 52
○小雨の中を燃えるゴミ出し。左脚のぐらぐら感収まらず。
○足裏着地訓練、大股で歩行訓練。体がぐらつき気味。まっすぐ安定して歩きたい。
○じつに久しぶりに、終日フランス語。メガネをとっかえひっかえして、読み進めた。
*セガンが白痴教育を進めた場l’hospice des Incurables (オスピス・デザンキュラブル 不治者救済院) 法令上から実際を探る作業を進め始めた。
*セガンが、フランス時代の実践を詳しく綴っているのが、フォーブル・サン=マルタン男子不治者救済院の子どもたち10人の教育についてだ。1841年10月から1842年3月まで。その記録の最初の3ヶ月分の邦訳が中野善達氏によってなされているが、これによって、我が国のセガン研究が大きくゆがめられてきた。訳も誤りが多く解説も史実が捏造されていたりゆがめられていたりしている。このセガン論文を改訳する必要は当然あるが、ぼくには荷が重く、意思があっても筆がたびたび止まってしまう。この作業の助走になればと思い、改めて、「不治者救済院」調査開始。
*そもそもhopital(オピタル)とhospice(オスピス)との実質区別が、ぼくにはつきにくい。ぼくの意識は19世紀前半期以前のそれらなのだから、歴史用語として、前者が「施療院」、後者が「救済院」との訳語を当てることが出来る。その前身が修道院が担った巡礼者用宿泊施設に端を発する慈善施設なのである。
 前者は今日でいう「病院」だとすれば、後者は、たとえば「孤児院」、「養老院、「母子寮」などが当てはまろうが、それらの用語とて我が国では現在は使用することがはばかれている。「養護施設」など(各種の)「社会福祉施設」とでもいうべきなのだろうか。オスピスを「貧窮院」とする語り手もいるが、それでは実際を狭めて理解してしまうのではないか、と思ってきた。
*セガン研究で馴染みのある代表的なオスピス機関は、「ビセートル救済院」(男子施設)、「ラ・サルペトリエール救済院」(女子施設)だ。セガンを論ずるほとんどの人が、「ビセートル院」「サルペトリエール院」と呼ぶ。2003年初夏に、「院ってどういう意味ですか?」とセガン研究の大家・清水寛先生にお尋ねしたら、「病院のことです」とのお答え。しかし、セガン研究の文脈でいえば、ホスピスなのだから、先に述べたことからすれば、「病院」というのは正確では無い。現に、セガンが白痴教育に関わり始めた頃の「ビセートル」と「サルペトリエール」の公的呼称は、それぞれ「男子養老院」「女子養老院」であったのだから。
*関係法令は幾度も出されているが、基本は1805年。「ビセートル」と「サルペトリエール」は、「70歳以上すべて」「年齢を問わず、精神病者、癲癇患者、癌患者」を、「不治者救済院」は、「赤貧者」「不治の身体障害者」を収容するとした。要は、精神病者・不治者・ホームレスの強制収容所、および「姥捨て山」、そして罪人収容「監獄」であった。革命以降は、フランス社会の近代化政策(社会浄化政策)の一環としての性格を強く持つ。
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船橋東武へ

2017年08月30日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温30℃。3時頃からなかなか眠れず。6時頃から腰痛が襲う。ぎくっぎくっ。気をつけましょう。寝具の問題なのかなぁ。かと言ってもねぇ。
*元同僚たちと懇談。バー?スナック?店内に流れる静かな西洋音楽に合わせて長老S氏がバイオリンの音色。なかなかのもの。沈鬱な軍歌。若手S氏が朗々と歌う。現実ではこんなことは全くなかったのだ。
71.1
126 71 52
○ビニールゴミ出し。ヨロヨロという感じか。帰路の左足首はぐらぐら感。爪先を何度も引きずる。
○9時30分~16時 船橋へ 歩行につらさを覚える左脚の状況。
*主目的は携帯の充電の接続不良のため、本体に問題があるのか、充電器に問題があるのかを判別してもらうこと。充電器側の問題だったので胸をなで下ろし、たまったポイントで充電器を購入。
*東武物産展は福島・栃木。いろいろと買い物を楽しみました。お昼は「牛乳や」食堂でソーストンカツ丼。ボリュームたっぷり。とんかつもご飯も残しました。

*おかず類はベーコン。
*主食類は耳うどん(前にも買ったっけ?)。そばは多くの店が出していたが、ぼくはそばそのものをあまり好まないので、唯一の耳うどんを。
*朝食用にロールパン 他。
*料理用に日本酒(1合) 高級な日本酒なんだそうだが、よく分からない。
*5階の文具店でルーペ。新しいセガン研究のためのツール。これでペーパー辞書を「読む」ことが苦痛ではなくなるはずです。
○大阪のきっちゃん関係情報を、facebookで偶然、知った。
 2018.1.20.土〜1.21.日
 第15回全国病弱教育研究会全国大会@大阪大会
*ぼくが「知的障害教育の開発者・セガン」研究に関わり始めた時、パリの「病弱児施療院」(現在のパリ児童病院)内に、同病院の(1802年)創設当初から、入院児童のための普通教育が組織されていることを知って、病弱教育の歴史の深さ、重さを痛感したものです。2005年秋のこと。セガン研究の大物N氏がガセネタをまき散らした機関。この機関の第2代院長ゲルサンが、入院児童アドレアンの教育の相談をイタールにした、それをきっかけとしてセガンが白痴児と思われたアドレアンの教育に携わるようになった、というN氏の論。どうしてそういう荒唐無稽話が出来るのか、研究者品性を疑うしかない。でも、その論を前提とした「セガン研究」がなされてきたことも事実である。調査のために誰一人、この病院を訪れ史資料調査をしてはいないのだから。
*「セガン研究」での資料調査で、セガンの白痴教育過程を示す公文書を閲覧する端緒となったネッカー子ども病院の創設門(1802年)。歴史門であるが、現在も活用されている。

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ハナモモ2番摘実

2017年08月29日 | 日記
○7時20分起床、起床時室温29℃。昨夜もたばこ吸いの夢。歩行時の火の付いたたばこは手ですっぽり覆うようにして人に触れないように気を配っていたが、夢でもそう。禁煙をして11年になるが、喫煙要求が起こってきたのか?夢以外のぼくはたばこに誘惑されることはない。
*刺すような痛みが左腰に襲い来て、しばしば目覚める。この痛みは起床後少しの間ある。
71.5
126 69 46
○まるで空襲警報。空襲警報ってのは予告なんで、直前直後に警告を鳴らして、どうする?恐怖と危機感をあおって戦争体制に一気に持って行くのか?同時に、シェルターなど軍事産業を一気に肥大化させるか?戦争殖産体制。とんでもない時代に誘導されつつある。
○庭のハナモモが、ようやく全体的に色づいてきた。我が部屋に桃のかぐわしい香りが漂い来る。しかし、実を摘むには十分ではない。

○山羊肉ブロックが余っているので、角煮に挑戦しました。
頼りにするのは、自分の頭の中にある味覚情報と調理情報だけですので、できあがりは、自己満足したいなあ!であります。
骨付き山羊肉ブロックをお店で適当に切り分けてもらったのを使用。ごま油を熱し肉を転がしながら表面全体に火を通す。
別鍋でカツオ、コンブのだし汁を作っておき、肉の鍋に入れる。
醤油、みりんで味付け。
根気よく煮る。
途中で、少々の味の変化を求めるため、あれこれと(他人様からすれば手当たり次第、でたらめに)小量ずつ、ぶち込む。後は、火から下ろしたり、火にふたたび掛けたり・・・・。
早めの夕食前に盛り付け(写真)。肉に色物を添えました。
 デザートはもちろん、今朝摘み取ったハナモモ。

○セガン 史上初の知的障害児者学校の創設者  余録】
 私自身、著書において、セガンを「知的障害教育の開拓者」と表記している(『知的障害教育の開拓者セガン~孤立から社会化への探究』新日本出版社、2010年)。だけれども、こうした「レッテル」貼りは、セガンは望まないだろうという思いが心の奥にある。
 私のような俗人は「それは○○が一番最初に試みたことで、一番最初に成功したことだ、だから○○を大いに顕彰しよう!」という思考と行動とをする。平たく言えば、「偉人」史観だ。
 だがセガンは、1866年に刊行した著書冒頭で次のように言っている。
 「畏敬の念に値するような新しいことが起こる場合には人類にとってたくさんのすばらしい大きな変化がある。ある特定の時期に、時の流れが望んでいたものが非常に多くの地域でいっせいにその変化が起こされる。いつも、その変化を発見したのが特定の個人であるということが議論されるが、明らかにそれは、人間を通して顕示されたもうた神の御心のままなのであると思う。」
 セガンが敬虔なクリスチャンであったことはほとんど知られていない。彼がいずれの教会にも属さない「平信徒」であったということを、どのように理解するか、という問題なのだが、「セガン研究40年」のお方などは、セガンを限りなく唯物論の世界に近づいた人、という理解をしておられる。
 知的障害教育方法のあれこれの分析・研究はその専門家に委ねて、私は、現存の能力が許す限り、思想研究に深入りしようと思っている。
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通所リハビリ

2017年08月28日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温26℃。2度目ざめ。腰痛に責められた。
*昨夜もまた母が夢に登場。「すぐに迎えに来い」と電話。朝まだ暗いうち。交通機関が動いていない、と答える。場面は男4人が雑魚寝しているところに知った顔の若い女性が「私の寝るところを作れ」と強い口調で現れた。それでどうなったのかの夢の結末はない。
71.4
124 70 48
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ
*腰の痛みが時々襲い声を上げてしまったが、瞬間的な痛さ故、訓練・運動は中止することはなかった。ただし、「手抜き」ならぬ「足抜き」加減。
*麻痺による左足首から先の変形はだいぶん改善されてきていることをスタッフさんに確認していただいた。これからも頑張ろうという気概が生まれた。
*このところ「大学名」についていろいろと声かけをされ、会話をするようになっているXさんが、今日も語りかけてきた。「工事、建設などの仕事のもっとも基礎労働にあたる人たちをもっと厚遇し、多くを養成しなければ、日本は、本当にひ弱な者が支配する国になってしまう。大学生が多すぎると思わないか?」 「おっしゃるとおりです。大賛成!」 意気投合した次第。
*ハードル歩行訓練、やはり今日も左足を引っかけてしまった。ステップ、レッグマジック、踏み台、スクラッチングボード。左足裏着地訓練、左手で1キロボールの投げ受け。マッサージ、あったか姫。
○今日のお昼
*味噌カレー煮込みうどん 麺汁に、ニンジン、タマネギ、トマト、白味噌、カレー粉。トッピングに、半熟卵、茹で茄子。 
 いろいろと試みてみるものです。おいしい。

○【セガン 史上初の知的障害児者学校の創設者 3】

 史料等の調査によって、セガンによる「白痴学校」は、公教育大臣の認可によって、1840年1月3日に発足したことが理解できた。啞で痴愚の8歳男児、水頭症で白痴の21歳男子、単純白痴で13歳女子が生徒であったという記録が、第3者によって、なされている。
 セガンは規模の拡大を願っていたが、虐待等があるという流言によって生徒は集まらず、セガンは損害賠償を求めて裁判を起こした。セガンに有利な裁判が進められていた模様だが、結末については、それを明確に知る史料は未発見である。
 学校情報は大衆紙や専門紙に掲載され、多くの人たちの関心が向けられ、注目を浴びるようになった。セガンに倣って、白痴教育に関わる教育施設の設置も、幾つかの国で進められるようになる。知的障害教育が水流となってヨーロッパ社会に浸透していくようになったわけである。セガンはまさに「開拓者」と呼ばれるにふさわしい存在であった。
 しかし、未解明なことが少なくない。基本問題だけを指摘ておこう。
 学校開設の請願者は「エデュワール・セガン氏」。
 ただし、請願内容を審査した結果の報告文書には「医学博士
エデュワール・セガン氏」とある。
 開設認可を受けた者は「医学博士セガン氏」。
 開設条件として、公教育大臣は「医学博士セガン氏」に、「初等程度の教師1人を雇用すること」とある。
 しかし、セガンは医学はまったく学んでいない。そして開設された学校には、1人の「介護人」が雇用されているだけであった。つまり、「医学博士セガン氏」は虚偽存在なのである。
 セガンの半生史(1812年~1850年)には、こうした不可解な事柄が少なくない。セガンを巡ってさまざまな理解や評価がなされてきている根源が、このようなところにある。理解するには、難しい人だ。
                (終わり)

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セガン 史上初の知的障害児者学校の創設者 2

2017年08月27日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温28℃。
*夢に母が登場。研究室を訪問した。あれこれ世話を焼いてくれた学生数人(実在)、女性老教授(こちらは仮想)。夢の中でも母は・・・・!
71.9
125 69 48
*どうもjcomメール関係の受信が不調のようだ。ま、いいか。
*携帯の充電口関係が接続不良。買い換えの時期か?
○足裏着地訓練、足首柔軟化体操、両膝屈伸、偽装ストレッチングボード、その他。
*13時~13時50分 児童公園で運動。駆け足もどき、サッカードリブルもどき、鉄棒周辺でいろいろ。まだ足は引きずります。ギッタンバッタンです。
○【セガン 史上初の知的障害児者学校の創設者 2】
「セガンが世界で初めて白痴の子どものための学校を創設した。」
 それがいつのことなのかの確定情報は無い。それがどのような内実を伴っていたのかの確定情報も無い。となると、「へー、そうなんだ、すごいねー、立派だねー。」という世間話程度の「セガン研究の到達」でしかないわけだ。「盲学校」や「聾唖学校」のような、教育史実とはまったく違うとしか言えない。
 じつは、セガンの死後100年祭(1980年)にあわせて、在野の社会史研究者(ティエイエ)が著名な精神医学博士(ペリシエ)との共同で、「白痴学校」の基礎情報史料(の一部)を発掘し公刊していた。「セガン研究40年」の大先生をはじめ多くの人がその情報を手にしていなかっただけだ。それによると、当該の学校は、パリ・ピガール通り(現在のパリ9区)の共同住宅の屋根裏部屋2室に置かれた、との「推定」がなされていた。開設時期については明言されていないが、よく読むと、1843年以降の時期を想定している。それは明らかに史実ではない。
 屋根裏部屋2室!そういう空間が「学校」になり得るのか?(19世紀半ば以降の)パリ大改造以前の共同住宅の屋根裏部屋の、住む人にとっての劣悪な状況一般については一通りの知識があるので、この「推定」にはいささかの疑問を抱き続けており、現在の私は、別の「推定」をしている・・・。
 「聾唖学校」や「盲学校」のような寄宿型(強制収容型)か、それとも通学型(自主就学型)か。当時の白痴への処遇から考えると通学型はあり得ないのだが・・・。
 「学校」か「私塾」か。「私塾」ならば公権力によって開設認可がなされていないが、「学校」ならば公文書が残っている可能性がある・・・。
 「セガン研究」に深入りする動機も意欲も能力も無かった私にとって、「セガンが創設した白痴学校」史実の調査は、最終的に、「セガン研究40年」の大先生に、「力及ばずまったく不明です。申し訳ありません。」と報告するに、何のためらいもなかった。しかし、他のフランス近代教育史研究課題(1871年のパリ・コンミューン下の教育改革・学校創設)のためには、19世紀に私人が「学校」を創設する、ということの必要な手続き等情報については、知っておきたいことだった。「それなら、国立パリ古文書館で調べたらいいですよ。」と、フランス人知人が示唆してくれた。

 同古文書館には、2005年~2008年、勤務大学の授業休暇期間を利用して通った。同館の門をくぐった延べ日数は10日ほどになる。毎度毎度、入館手続きをし、レファレンス係に調査趣旨を述べ、関係周辺史料を出してもらう・・・。フランス文字筆記体が踊る変色した史料の束(化粧箱大の箱数個)から当事・関係資史料を選び出す作業に、絶望感が襲ってくる。
 2008年11月初旬、AJ 16 156と分類記号・番号が記された史料箱の中に、求めて止まない史料類を見いだした。心臓が飛び出る!
 公教育大臣が視学長官に宛てた諮問文書(書簡)
 視学長官が公教育大臣に宛てた答申文書(書簡)
 公教育大臣が視学長官に宛てた決定文書(書簡)
 これらを総合することによって、セガンの「白痴学校」の設立経緯、設置条件等がくっきりと浮かび上がってきた。セガンが公教育大臣に、「学校設立の許可願い」の書状を出したことに端を発している。残念ながら、その書状そのものは見いだすことが出来ていない。
 1838年にセガンの請願(直訴)がなされ、1839年12月31日に公教育大臣による設置許可がなされていた。
 これらのことを明らかにした先行研究類の存在を私は知らない。
(以上の文書詳細は、拙著『一九世紀フランスにおける教育のための戦い セガン パリ・コミューン』(2014年、幻戯書房)に、綴った。)
       (続く)
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通所リハビリ

2017年08月26日 | 日記
○6時起床、起床時室温30℃。雨戸を立てずに寝てこの室温。腰痛に悩まされた。
*久しぶりに夢。電車に乗り乗り換え。何線?秩父線のような気もするが。乗換駅ホームで喫煙行動。
71.9
129 72 54
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ
*訓練開始前に、所長さんのご案内で、百日紅の林、所長さんのご実家、上娘が在学した中学校、農村光景、そしてカタクリの群生地を、車窓から楽しんだ。いつもながら、ありがとうございます。
*今日は腰の痛みがあるので、マッサージ、あったか姫をプログラムのはじめに設定していただいた。すっきりした体で、
*バードル歩行訓練、踏み台、足裏着地訓練、足首柔軟体操、ステップ、レッグマジック、ストレッチングボードなど。
○やっと色気づいた!】
 庭の「桃」がやっと色気づいた。去年は8月15日に初もぎをしているから、10日以上の遅れ。
 君のその恥じらいのポッ、その色気を待ちに待ったのだよ。
 さっそく皮を剥いていただきました。みずみずしい!甘い!

○【ある旅の思い出】
 この時期、記録を見ると、毎年のごとく、あちこちに出かけている。昨年は嵐の北海道。研究仲間であり、FBFでもあるお人たちと歓談の一時をいただくという幸せがあった。
 今年は残念ながら、無い。
「過去帳」をひっくり返すと、なかなか味わえない旅がある。あれはもう5年も前になるのかー。
 この年のぼくの授業「道徳教育の研究」でM君という数学科の学生がいた。全盲者。研究室には週に1度顔を出していた。夏休み前7月の頭に、彼が言う、「マジでよ、先生と、外国に旅してえんだなぁ」。以下の会話文言はその時のそのままの略記である。
 私(難聴老人)「観光ってのは風光明媚、歴史遺産の観賞だよな。目で楽しむのが基本だろ。失明者が観光って、俺の人生で無いことだから、何すりゃええんかいな。聾のオレは観光ガイドは、お断り、だしな。」
 M君(4歳頃からの完全失明者)「触れりゃいいっす。」
 私「あのな、大抵、お触りお断りだぞ、ストリップと同じ。」
 M君「じゃ、食い物がいいっす。」
 私「いちんち中、食ってるってのか?」
 M君「いいっすねぇ」
 私「おめーはいいたろうが、こちとら、どうせオレにたかる気だろうが、財布が干上がってしまぁな。それに、血圧が上がって動けなくならぁ。」
 M君「えへへ。楽しみっす。」
 結局、M君と、しばしば研究室に出入りしていた他大生のK君(やはり完全失明者)、それにM君の同級生のS君がサポーターとして加わり、S君の母親がボランティア通訳者として、加わった。釜山及び慶州。私が行き慣れている、ということで決まった。
 ・・・観光本の意味不明記述と格闘しながら、若者のお触り観光に適う名所旧跡を捜し続ける・・
2泊3日。原則自由行動のパックもの。旅のタイトルは、カニ大食らいの旅。観光ガイド的なことはS君のお母さんが務めてくれるというので、ぼくの役割は、若者たちが満足!というまで食べるに値するカニの安食堂探しと、観光タクシーの手配。後者はこれまで何度も務めていただいた方に、格安でお願いした。カニ食堂の紹介もいただくという。ぼくの役割は、M君とK君の何でもやってやろう!という冒険の行き過ぎ行動と、彼らの見事な食べっぷりとに、やきもきするぐらいのことだ。
 彼らが、まるで幼子のように歓喜の声を挙げて、何度も何度も「経験」を求めたことは、ぼくにはまったく予想できなかった「風を感じる」ことであった。
 海から吹く風が埠頭の建築物の間を抜けていく・・。
 強く吹き抜ける風は、彼らを吹き飛ばす、あるいは引き戻すほど。風が通り抜ける空間(ビルの狭い谷間)で、二人は、体をくるくる回して楽しんでいた。30分ほどもそうしていたろうか。S君もつられて二人の仲間入りしたが、すぐに抜けた。「たんに強い風が吹いているだけですけれどね。」
 何度も何度も「経験」を求めたことは、もう一つある。埠頭の歩行空間脇に建てられている「オモニ像」の「お触り」行為である。S君のお母さんに、触って確認してよいと聞いたとたん、台座に上り像の頭の頂上を確認することから始まり、足先まで、しっかりと「お触り」していた。「どうだった?」と感想を求めたら、「満足です!」と、二人同時に返答した。もう少し詳しい感想を聞き出したかったのだが。S君が、後刻、「お触り観光がもっと楽しめればいいのに、と言っていましたよ。」と報告してくれた。そのお楽しみは、翌日の慶州観光で味わうことになる。明き目のぼく(たち)も大いに楽しんだ。
 こうした観光も新しい経験でステキだったが、夜、寝室を同じくして語り明かしたことは、さらにステキだった。それぞれの生育史や出自についての語り合いは、詳細を書くとしたら虚構表現でしかすべきでないので、この場では綴らないが、ぼくの人間観、歴史観、世界観をさらに広げてくれたことはたしかである。
 M君はコンピュータ・プログラミングの世界で、K君は大きな企業の社員として、S君は公立中学校教師として、現在を生きているはずである。K君は、最近、スポーツ情報に華々しく登場していたが、これからはそうもいくまいが・・・。 
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(回想エッセイ)白痴学校の創設者セガン 1

2017年08月25日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温30℃。
*ぎっくり腰風の腰痛。
71.4
116 70 52
○車庫屋根塗装工事、今日から後半に入るとか。室内でさえ30度を超えている暑さ、職人さん、本当にご苦労様です。
○足裏着地訓練、足首柔軟体操、つま先立ち訓練。偽装ストレッチングボード。根っからの体の硬さを根気よくほぐしていきましょう。
○昼前、細君と上娘が揃って、昔の活動家女子学生風ファッションで、出かけた。「夜遅くなるからお願いね」という言葉を残していった。どこに何しに行ったのやら・・・。
 ということで、今夜も孤食。
 山羊肉タイカレー。あまり辛いのはちょっと心配なので、辛さは控えて作成中(写真)。山羊肉は時間を掛けて煮込みしばらく漬けおかないと硬いので(それはそれでステキな歯ごたえなんだけど)、ご婦人方がルンルンとお出かけになった直後から仕込み開始。
 初の試み故、おいしいかなぁ~?

☆☆じつにおいしい!隠し味のリンゴの甘さとタイカレーの辛さとが絶妙なハーモニー♫ もう一回作れますでしょうか?なんせ「出来心」と「勘」が選ぶ素材です。
○【セガン 史上初の知的障害児者学校の創設者 1】
 エデュワール・セガンが世界初の白痴学校(知的障害児者対象の学校)の開設者であることは、しばしば語られるが、その経緯や実際については、ほとんど語られていない。そのことを直接語る史料の発掘・発見がなされて来ず、セガンの実績をよく知ると思われた人の語りだけが根拠となってきたからだ。
 「セガンを研究して40年」を口癖にしておられた先生から、「セガンが開設した白痴学校の実際を知るべく詳細な調査をせよ」とのご下命をいただいたことを直接のきっかけとして、上記の語りがなされている原典、セガン自身の著作そして公文書の類いを探索した。
 その結果、驚いたというか呆れた実情を知った。それは、セガンは著書に明確に綴っているにもかかわらず、誰も、それを確かめることなく、言いたい放題だった、ということだ。もちろん、「セガンを研究して40年」の大先生もその一員でしかない。
 セガンは、創設年月は明記していないけれども、白痴の子どもの個人教授に続いて、小規模だけれど白痴学校を創設した、と書いている。続けて、妨害する者がいたので、白痴の子どもが収容されている公共機関(今でいう病院の付置施設)に身を移し、白痴教育を引き続き実践した、しかしそれも、ひどい処遇を受けることによって実践が出来なくなった、としている。
 セガンのこの「回想」の検証こそが研究の出発でなければならない。しかし、誰一人として、それを手がけていない。世界のセガン研究の実態である。
 歴史研究ともセガン研究とも障害児教育ともまったく無縁の、私の研究者人生への導きの、故倉澤栄吉先生(国語教育)が、「いつも、何度も、元のところに戻れ、足を運べ、繰り返し運べ、そして目線を変えてみよ、無駄紙だと分かるのは結果であってプロセスではない、無駄紙を可能な限り掴む努力をせよ。」と、修士論文作成にあたってご指導いただいた言葉を再び噛みしめて、「世界初の白痴学校」の事実を求めて、フランス・パリをさまよい歩いた。2005年から2008年のことである。 (続く)
 余計な付記
 「セガン研究40年」の大先生と私とは師弟関係でも、研究分野を同一にする先輩後輩関係でもない。自分の足を使わないで研究業績を積み重ねてこられたお方に、断る勇気さえ持たない気の小さな私が、奴隷のごとく服従し続けた、ということなのだ。
○【フランスの旅 こぼれ話  「泥棒サン気分」】
 ブルゴーニュ地方の小さな町クラムシーの教会に入った。ここの教会はロマン・ロランの文学にも登場する歴史の香りある建築物、ロラン自身の葬儀もここで行われている。(Romain Rolland 1866-1944)
 教会事務所もなく、人気が全くない聖堂内を、キョロキョロウロウロ、気がすむまで見学をし、なおかつ、演説台に上りひとかどの弁士気分を味わった。

 さあ出ようと、粗末な潜り戸を押したが、開かない。んと、引くんか? 開かない? もう一回押す 開きまへん!!
 ということは、閉じ込められた?!誰が、何のために? いや、たんにオレがドジなだけで誰の益にもならない現象を引き起こしたのだろう、との解釈結果に行き当たったが、さて、どうする。どうすればいいか? 粗末な潜り戸を蹴破る?いいや、現実はターミネーターのごとしではない。外を通りかかる人にと、取り敢えず強めにノックしてはみる。 無駄。 さあ、どうする、どうする。
 戸は親指ほどの太さの棒が横に差込まれていた。くだんの棒は戸の手前もしくは戸の外側に据えられているのではなく、厚みのある戸の中程にえぐられた空間にあった。戸本体と戸を囲む部位とのかろうじて存在する隙間を利用して、棒を左右させた。
ゴニョゴニョ、ガチャガチャ。
 開いた!!ちょいとした泥棒さん気分、ね。
追記 つい先日、この教会は、フランス革命以降、クラムシー・コミューン(市)の所有物であることを知った。荘厳なゴチック建築様式を12世紀以降保っているカトリック教会であったが、今は、市が主催する儀式や演説会会場として要務を持っている。
 添付写真のように、教会塔の最先端に三色旗がはためいている謎はかくして解けたのである。

*注記
 フランスの教会の扉はたいてい半開きになっている。誰でも自由に入れるようにとのことからの配慮だと思っている。クラムシーの教会へは、半開き状態で入って、習性からすぐドアを閉めてしまった。これがことの始まり・・・。「ドアはちゃんと閉めましょう!」という日本のお節介ご指導は、不幸を招きかねないこともあるんだなあ。


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朝食忘れて、通所リハビリ

2017年08月24日 | 日記
○5時45分起床、起床時室温29℃。
71.6
121 71 55
○燃えるゴミ出し。左脚、やや脱力感。
○粋生倶楽部通所リハビリ 振替日
*つま先立ちや足踏みなどが出来ることを所長さんはじめスタッフの方々に披露。驚かれ、喜んで下さった。帰り際、伊藤さんから、「後退することなく現状を維持して下さいね。」とのお声掛かり。これからの季節で寒気のために筋肉の働きが硬くなる。それに負けない筋肉の柔軟性を保持していきましょう、との暖かいお気持ち。頑張ります。
*朝の体調検査の時に朝食を摂っていないことに気づいた。ということは、服薬もしていないということ。初めてのこと。しっかり気をつけましょう。
*自転車、ハードル歩行、踏み台、足裏着地訓練、ストレッチイングボードなど足首柔軟化訓練、ステップ、レッグマジック、バランスボール、マッサージ、あったか姫。
○今日のお昼は、豚脛肉シチュー、たっぷりのニンジンとブロッコリーを添えて。

○17時現在室内温度32℃。これまでの最高気温だ。でも、というか、やはり、扇風機を使う気が起こらない。使わないで済むのなら使わないで済ますぞ。
○亡き義父の家(弘美君の実家)処分によって弘美君が持ち帰ってきた義父とのソ連(当時)の旅写真とロシア語修了証書が、リビングに置かれているのを、今朝ほど見つけた。
 義父のシベリア抑留生活を親子で検証したい、との旅であったが、我が母の「私も連れてって~」というまったくわがまま放題の要求を受け入れた旅でもあった。つねに猜疑心でしか人の行動を見ない母であったから、弘美君はこの旅のことを、その後一切語らないのも、たぶん、我が母の「目」と「口」のせいだったろうと確信している。それにしても、義父の若々しい整った顔立ちは、いつ拝見しても、うっとりするほどだ。
 ロシアの学習・・・。弘美君の旺盛な学びの姿勢とその成果は、賞賛を超える。図書館司書資格、運転免許取得、手話・点字修得などなど。ぼくはこのどれも資格を有していないし、学習もしたことがない。
 改めて、妻君のすごさを知った今朝。
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ついに、誘惑に負けた

2017年08月23日 | 日記
○7時起床、起床時室温28℃。
71.3
119 71 56
○ビニールゴミ出し。車庫内にあった2袋と朝整えた1袋とを出す。坂の上り下り、膝が不安定を覚える。
○今日から工事が本格的に入った。
○偽装ストレッチングボードで直立並びに前屈訓練。足裏着地訓練、足首柔軟体操、つま先立ち静止、足踏み。左膝ががくんがくんとなることが多い。体が崩れてしまうことはない。まだ膝周り筋力が未発達段階ということか。にもかかわらず、左つま先立ち試み。1分間は耐えられる。いろいろと試みて、無理ならば当分の間実施しないことを心がけていく。焦りは禁物
*外階段昇降運動。暑い、とにかく暑い。
○10時30分~11時40分 新柏東武ストアに買い出し。
*歩行状態の確認のため。左爪先が上がりにくいときがあるが、おおむねびっこ状態は改善の方向にあるようだ。
○夜7時になっても室温が30℃を切らない。これから数日は車庫屋根塗装工事のため南側雨戸の立て閉めが困難になる。それらを考えて、ついに、仕舞いこんであった扇風機を引っ張り出して稼働させた。とりあえず27℃設定で部屋を少し冷やし、就寝時には電源を切る。長い間使用していなかったせいか、故障箇所もあるようだ。足首から先の冷え感覚が強い。氷の脚になるぞ、気をつけよう。
○ハナモモの現状。 実の色は変わらず青いまま。そして熟しないまま落果。雨続きの天候のせい。

○【毎度お騒がせ、セガンです】
 セガンの生育を綴るさる研究論文に「(セガンは)父母の愛に包まれて、幸せな幼少年期を過ごした。」とあった。そのことの前段に、セガンは「父母、とりわけ父親の、『エミール』に倣う子育てを受けた、と綴られている。セガンが最晩年に幼少年期を回想して綴った短文情報を根拠としている。そうなのか、『エミール』に倣った子育てを受けることは「幸せ」なのか!ふ~ん、というのが、当該論文を目にしたときの第一感想である。
 時は1810年代だ。セガンが生まれたところはクラムシーという独特な産業文化を有することで名は知られていたが、大半の住民は強い貧困階級であり、特権階級による搾取と抑圧に苦しめられていた。その特権階級とて、未だ『エミール』を手引きとした教育をするところはなかったと判断しうる。セガンの回想以外に、当該地の諸記録には、『エミール』準拠の子育て記録はまったく見受けられないからだ。
 上記のことを「セガン研究」の先達に申し上げると、次の反応が返ってきた。
1.セガンが嘘つきだというのですか!何でもかんでも疑って掛かればいいってものじゃないでしょ!
2.それだけセガン家が進歩的だったということでしょう。だからこそ、セガンが白痴教育を開拓することに繋がったのです!
 1.はもう、セガン盲信の立場でしかないので、ハイハイ、と聞き置けばすむ。
 しかし、2はそうはいかない。「進歩的」?そのことが「白痴教育の開拓」に結びつく?果たして、そうでしょうかねえ。2の立場を貫こうとすると、「ガセネタ」を生み出して歴史を偽造する、ということに行き着いてしまいませんか?
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クラムシー、サン=マルタン教会

2017年08月22日 | 日記
○7時起床、起床時室温27℃。目覚め1回。
*元は一大工業地帯を思わせる土地に弘美君と夢さんを伴ってさまよい歩く。モントレーの沿岸をモザイクしたのだろうか。工場引き込み線路を越え廃墟を見る。19世紀のあらゆる映画のセットのような光景でぼくは興奮状態。和風の家屋が続く地帯は飲食店をはじめとして混み合った商店街。護国寺近くの一角を偲ばせた。やっと職務から解放された夢見だ。
71.2
123 69 44
○資源ゴミ出し。坂の上り下り歩行は相変わらずノロノロ。
○ストレッチングボード訓練。足裏着地訓練、足首柔軟訓練、両脚腿筋力強化訓練、両脚屈伸訓練。今日はやや体が硬いようだ。ゆっくりやっていきましょう。
*つま先立ち足踏みが出来る!捕まらないでつま先立ち(静止 10秒ほど)。その勢いを借りて、つま先立ち歩行を試みた。左脚がガクンガクンとなるが、歩けなくはない。左足首先強化の課題がはっきり見えた。
*ストレッチングボード用の読書スタンドが壊れた。大体のものは大型のハードカバー本をメインに書物利用が可能。引き続き、訓練が出来ます。
○FBFのカトリック信者から、クラムシーのサン=マルタン教会聖堂写真について、「ルター派のプロテスタント教会ですね。」というコメントをいただいたので、朝から、関係資料を閲覧。サン=マルタン教会がクラムシー市所有の史跡保存対象建築物であることを知った。それで、教会塔の上に翻る三色旗に対する疑問は解けた。しかし、ソフト面、つまり宗派等についてはまったく不明。カトリック教会だと思い込んできたが、聖堂の椅子の様子などからカトリックではないのだ、と。
*多少の調査結果:
 11世紀初めに、ロマネスク建築様式の教会コレージュ(参事会)として設立され、12世紀には現在のゴチック様式の建築物として建て替えられています。ローマ・カトリック教会を起源に持っているということです。/次に張りつけた写真の聖堂内部の様子は、現在すでに宗教団体による宗教的儀式を主とするところではなく、公的な講演会会場(市主催の諸儀式)などに使用されています。それで、祈りの場としての様式を持っていないわけです。プロテスタント教会という性格を持った時期があるかどうかまでは不明です。なお、この教会に関する記録を見る限り、タンプルと称することは一度もなく、エグリーズを貫いています。(
*サン=マルタン教会とその塔

*サン=マルタン教会聖堂正面

*サン=マルタン教会聖堂マリア像

*サン=マルタン教会聖堂フロアー

*サン=マルタン教会聖堂ステンドグラス(一部)
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