○6時45分起床、起床時室温24℃。夜中の目覚め1回。昨夜ほどの脚の痛み、痺れ、だるさを感じることなく眠ったが、眠りが浅いのは変わらず。
○ビニールごみ出し。クロ=パンソン、上り下りとも立ち止まることはなかったが、脚の運びは重いのは変わらず。
○自主ゼミ男子会のMくんが、東京大田区内高校の公民科の期限付き講師として採用されたとの連絡。不安定な身分ではあるけれど、教師の門が開かれたわけで、よかったと思う。頑張れ!
○9時から10時、近在の広い児童公園で、運動リハビリ。今朝は、誰も使用していないので独占。
子ども用サッカーボール〔とても固い〕とゲートボール用のボール〔これもこちんこちん〕を用いて。サッカーボールは左脚で蹴りながら公園を回る…、ゲートボールは左手指5本で握り、落とし、しゃがんで拾う…。
・サッカーボール蹴りは勢いをつけて蹴ろうという意思と行動が現れた。2メートルほどの距離を置いてボールを蹴るわけだが、身体の方が勢いつけることができないのだからお笑い種。それでも何度もチャレンジ。まあ、根性だけは買いましょう。
・柔らかいボールの場合には空中にボールが浮き上がり、やったぜっ!なんて喜んでいたが、今日のは子ども用とは言え重くて硬い。勢いよく【気分だけね】蹴るっ!…ちょっとだけ、そう、ホンの心持ち地面から高く遠く離れ、後は悲しそうにコロコロ…。でも、脚の力がついているなあ、と思っていいんじゃないの、と自分を慰めました。
・ゲートボール球は5本の指でコロコロ回したり、手首スローイングの真似をしたり、腕全体を使って投げたりして、「もてあそんだ」。壊れた方の左腕のリハビリです。
・投げたボールは当然拾わなければ次の行動に移せない。地面から拾い上げるわけだから、しゃがまなければならない。
第1球、拾う体制に入りました。…おっと、体がスーッと前方に、ゆっくり倒れていきますっ!両手をつき頭から落ちるのは防ぎましたが、立ち上がれませんっ!どうしたっ!頑張れっ!…てな実況放送を脳内でしながら、いったん身体をごろんと地面に転がし、横倒しの状態になって、布団から起き上がるときの要領で、体を起こし、エイヤっと立ち上がりました。くそっ!誰もいないからやれる芸当でしかない。
第2球以降は何とか前屈姿勢でボールを拾い上げることに成功し続けましたが、しゃがんでボールを拾うという訓練目的からはそれてしまいました。根性ねえなあ、お前。
こんな調子で、まあのんびりと、自己流リハビリをしました。
○ 歴史と菓子屋(パティッセリー)
2003年夏、障害児教育学者・埼玉大学名誉教授、清水寛氏に導かれた日本人40人ほどの一行が、フランス中部地方の小都市クラムシーを訪問した。一行が大歓迎されたことは、休日だというのに、市長ほか市の関係者が歓迎レセプションを開いたことで理解できる。一行は、市とロマン・ロラン、エドゥアール・セガンとのかかわりを詳しく知った喜びのほか、市長あいさつの中で触れられたクラムシーの歴史を象徴する「薪材で作る筏(いかだ)とその建築家・運航者の筏師(いかだし)」にすこぶる感激した。
「薪材で作る筏を象徴したチョコレート菓子が売られていますが、クラムシーのお土産にいかがですか?」という案内があり、ほとんどの者が希望の意思表示。パリに向かう準備をしていた一行のところに、一人のご婦人が小学生の子どもを連れて、段ボールを抱えてやってきた。そこには我が国の「小枝」と称される菓子によく似たチョコレート(箱詰め)が希望の数だけ入っていた。
「一年分の売り上げがたった30分で売れちゃった!」マダムのはしゃぐような声が印象に残った。
さて、2009年6月、比較的時間がゆったりと取れる旅であったこともあり、旅の道すがらくだんのチョコレート菓子を手に入れようと、菓子(兼パン)屋(添付写真)を覗いた。しかし、求める形状のチョコ菓子は売っていないが、カリントウ菓子のようなものは売っている。マダムに2003年の時のことを訊ねたら、覚えている、との返事。「小枝」チョコのことをききこんだら、あれは子どもにあまり人気が出なかったので、新しい商品を開発した、と返事。そして、大人や教師にはあまり評判は良くないが、子どもには大人気で、売れ筋だ、とニコニコ顔。なるほど、と私は納得し、心行くまで食べたいし、学生の土産にもしたいと、大量に買い込んだ次第。
「小枝」の時には歴史案内は何もなかったが、2009年入手の時には「筏師哀歌」という里謡付きの栞までついていた(添付写真)。