ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

セガン、謎の勤務状態(2)

2018年01月07日 | 研究余話
(承前)
 セガンが男女それぞれの不治者救済院に収容されている白痴の子どもたちの教師として雇用されることが決定されたのが1840年10月1日。彼が実際に「白痴の教師」として勤務するのは、翌年の1841年10月1日からで、しかも男子不治者救済院のみ1日4時間である。セガンが書いているところは、「男子不治者救済院と女子不治者救済院に呼ばれましたが、教育方法の問題からではなく、私の力がなかった故、男子の方のみの勤務となった。」であったこと、続けてそれは1日4時間のみであった、というのである。
 雇用辞令より勤務開始が1年遅れ、全日勤務の雇用条件にもかかわらず4時間のみ。現在の我が国ではとても考えられないことだ。一体どういうことなのだろう?
 1年間の空白は、開設していた白痴学校を閉鎖せざるを得ないわけだから、その処理のために時間が必要であったとも考えられるし、その学校医の訴訟を決着付けなければならなかったとも考えられる。(しかし、こうした「個人的問題」が「公的決定」に優先する、というのは、ぼくにはとうてい考えられないことなのだが) 着任しても「私には力がなく」と、女子不治者救済院での教育に携わらなかったことを綴り、男子の方はわずか4時間しか教育活動をしていない。
 これらの諸問題を解くべき史資料は皆無である。従って「謎」としか言えないのだ。
 「力がなく」というのは、能力(適性)がなかった、というのか‥始めこの記述を読んだときには、ぼくは、セガンの女性コンプレックスの表れなのか、と疑った。しかし、1843年論文には女児に対する実践例が幾つか綴られているから、コップレックスという考え方はしまい込むことにした。では、「力がなく」というのは適訳ではなく、「力及ばず」ということなのか。勤務可能をあれこれ探ってみたが、男児に4時間割くのが精一杯だった、ということなのか。おそらく、このことをいっているのだろう。しかし、その実態を知るには資料がないのだ。
 「謎」は「謎」として残しておくしかないのだろうか。

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2 コメント

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Unknown (tomo)
2018-01-08 09:08:17
「力がなく」・・・
白痴の子どもたちに対してではなく、
同僚、同じ立場で療育する仲間たちに対するものでは?
私の身の回りにも、能力の優れた人が、無能な人に遮られて「力」を発揮できない人が要るもので、・・・。
余計な妄想、失礼いたしました!
「力がなく」について (川口幸宏)
2018-01-08 14:29:53
tomoさん、貴重なご示唆をありがとうございます。セガンのこの場合は、史上初めて「白痴の教師」という肩書きをつけたただ一人のセガンの言葉であること、従って「同僚」や類似の職種の者は雇用された職場にはいないということ、などを考慮しなければなりません。やってみたけどだめだった、という「力がなく」という解釈にはどうしても至ることが出来ないのです。やっていない、のですから。

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