荒井聡という方が、私のセガン研究書(2010年著書)をお読み下さった。その上で、幾つかの問いをお出しになっている。いずれ「方程式的解は無い」とコメントを差し上げた。
解が無いからそれでおしまい、ということは許されない。予断や妄想で解があるかのようにしてきたこれまでの諸々のセガン研究の轍を踏むという愚は犯してはならないと自戒しつつ、解を求めるための方程式の作成作業が、私には残されているのだろう。
荒井さんから出された問いのひとつーー
「セガンの障害教育をとりくもうとしたきっかけというか意欲の源は、何なんでしよう?」
「きっかけ」については、実証性は無いけれども、セガン自身が「著名な児童病院の院長を介して白痴と思われる子どもの教育に携わることになった」旨を回想している。
19世紀半ば頃は、ブルジョアジーや貴族階級では、子弟の初等教育は、そのほとんどが個人教育で行っていたから、セガンもその教育に携わることになったと、判断していいだろう。この個人教育は、たいていの場合、家庭教師が住み込んで行って、子どもと家庭教師が24時間起居を共にしていた、という時代であった。セガンの初の実践記録は、そういう教育のあり方で無ければ理解できないような状況が綴られているから、私は、セガン家庭教師説の立場にある。・セガンのところに子どもが通ったのでは無く、セガンが子どものところで教えた住み込み教師を務めた、ということ。・・
と、こんなところから「方程式」を作成している次第。(これまでのセガン研究の諸々では、まったくこういう作業は為されてこなかった)
先が遠い「解」への道。・
解が無いからそれでおしまい、ということは許されない。予断や妄想で解があるかのようにしてきたこれまでの諸々のセガン研究の轍を踏むという愚は犯してはならないと自戒しつつ、解を求めるための方程式の作成作業が、私には残されているのだろう。
荒井さんから出された問いのひとつーー
「セガンの障害教育をとりくもうとしたきっかけというか意欲の源は、何なんでしよう?」
「きっかけ」については、実証性は無いけれども、セガン自身が「著名な児童病院の院長を介して白痴と思われる子どもの教育に携わることになった」旨を回想している。
19世紀半ば頃は、ブルジョアジーや貴族階級では、子弟の初等教育は、そのほとんどが個人教育で行っていたから、セガンもその教育に携わることになったと、判断していいだろう。この個人教育は、たいていの場合、家庭教師が住み込んで行って、子どもと家庭教師が24時間起居を共にしていた、という時代であった。セガンの初の実践記録は、そういう教育のあり方で無ければ理解できないような状況が綴られているから、私は、セガン家庭教師説の立場にある。・セガンのところに子どもが通ったのでは無く、セガンが子どものところで教えた住み込み教師を務めた、ということ。・・
と、こんなところから「方程式」を作成している次第。(これまでのセガン研究の諸々では、まったくこういう作業は為されてこなかった)
先が遠い「解」への道。・