ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

翻案 パリ・コミューンと少年(13)

2018年09月26日 | 研究余話
5-1 
 パリの壁は色刷りのポスターが貼られて、陽気な雰囲気を醸し出す。そしてすべてのパリジャンは、ラ・コミューンによって採用された重要な決定を知らせる新しいポスターの前に、ひとまとまりの集団を作って集まり、急に勉強熱心になったように思われる。時として、政治の問題でしかなかった。そしてぼくはそれがほとんど分からない。共和国がフランスの人々の幸せのために帝政に取って代わるのはまったく当然だ。
 読むことができる人がそうでない人に代わって読む。ポスターは子どもたちみんなのための学校を約束する。無料の学用品、男の子も女の子も同等の職業養成をも。ぼくは、何日も会ってないアンドレやアルフレッド、マティウのことを考える。一人目のアンドレは錠前屋になり、二人目のアルフレッドは看板屋になり、三人目のマティウは大工か指物師か、ことによると高級家具師になるはずだ。ぼくは片手に道具、もう片手に板材を持つマティウを思い浮かべる。そしてぼくは、長鉋が削る古びた木から解放される自由の匂いをほとんど感じない。、
 数週間前から学校に行けなくなっており、ぼくは学校に戻ることができればいいと願っていた。ぼくは退屈することはないけれど、ときどきひとりぼっちになってしまう。何日か前から、ママンは我が家から遠くに仕事に行っている。彼女が出かけるのは夜だ。彼女が戻ってくるのは夜だ。他の女の人と一緒に、彼女は薬莢を作っている。
 ぼくたちは大騒ぎだ。ぼくたちは階段席にテーブルを取り付けている。男の人たちは箱を積んでいく。ある箱は銅でできた薬莢がいっぱいつまっており、他の箱は火薬や鉄砲のおくり、鉛が入っている。一つの箱が薬莢でいっぱいになると、男たちはそれを取りに来て、舞台の上に降ろす。
 ママンのきれいな手は、それからは、火薬で黒い。
 おじいさんは印刷所に行く。彼はそこで活版印刷工をしている。ときどき彼はパクティエ(およそ一ページ文の活字を組み立てる印刷工)という。それはあまり学術的でないものを作ることをいうんだけど。傾いた大きな家具の前に立って、片手で文字を選び、もう片方の手に持っている植字架に入れる。文字行「当然の」、彼がそう言いながら、彼は次の文字行に取り組む。彼がいくつもの文字の組み合わせに取りかかりながら、文字を板の上にきちんと並べる、「ゲラ」だ。それからおよそ30行のひとかたまりの端に、彼は一本のひもの「包み」で取り囲み、「組み付け台」の上に置く。おじいさんはその仕事が好きだ。そしてぼくが大人になって彼と同じようにすることをぼくに勧めてくれる。「世の中の仕事の中で一番すばらしい仕事の一つだ、」とよく彼は言う。「一度におまえの手とおまえの頭を使って仕事をする。そしておまえは世界中の人たちの前で新聞を読む。」
 『人民の声』というその新聞を、おじいさんは家に持ち帰ってくる。おじいさんはよくジュール・ヴァレと議論をする。その人は編集長であり、ヴィクトル・ユゴーほどには有名ではない作家だ。でもぼくはそうした文学で生計を立てるには向いていないのではないかと思っている。ぼくは、その新聞を読んでいて、サン・ジェヌヴィエール教会が再びぼくたちの偉人のパンテオンになったということを、知った。その一番高いところでは赤旗がはためいている。ラ・コミューンが死刑を廃止したことで、11区区役所前のヴォルテール像の一番下で、不要になった古いギロチンは燃やされた。