ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

翻案 パリ・コミューンと少年(7)

2018年09月18日 | 研究余話
2-2  学校、そこでぼくたちは時々、プチ・ヴァンヴの石切場の白い石鹸石を一つ使って、一緒に楽しむ。学ぶのはとてもやさしいから、誰でもできる!それにとても楽しい。
 パパとママンはドイツ人に対してどんな憎しみも持っていない。おじいさんはアルマーニュのマインツの出身だ。ドイツの第一議会の代議士で、おじいさんは、逃げなければならなかった。1848年の革命の驚きが過ぎ去り、封建制は、彼が言うように、再び支配力を取り戻し、民主主義者を監獄に入れた。印刷業者だった彼はフランスに隠れ場を見つけた。それにも関わらず、ぼくたちの不幸の原因であるビスマルクとプロイセン人とを彼が非難することに変わりはない。彼はプロイセン人と他のドイツ人とのあいだの違いに気づいている。
 ぼくは彼ら、プロイセン人たちがシャンゼリーゼを占拠しているのを見かけた。パリの他の界隈では、窓に黒い旗が垂れ下がっていた。おじいさんは、老練なティエールが美しい街を彼らに引き渡すはずがない、と言っていた。まったく、彼が、プチ・モントロージュやベルヴィル、フォーブル・サンタントワーヌ、ラ・ビュット・オー・カーユ、モンマルトルといった要所を、彼らに渡すはずはない。
 「ピエロ、忘れるんじゃない、ティエール、ナポレオン、それにビスマルク、みんな同じだよ。彼らがフランス人であるとかドイツ人であるとかということはどうでもいい。おまえとしては、働くための手の他は何も持たない人々の側にいるのは誰なのか、あるいはすべてを持っている人々、なぜかって、彼らは卑劣なやり方で私たちの労働で暮らしているのだから、そういう人々の側にいるのは誰なのかを知っているために、いつも 目を開けておきなさい。」
 ぼくは黒の色が好きだ。それは生活のために身を守る激しい意欲以外の何ものをも語っていないのだから。