キリスト教文化圏(カトリック)では、子どもが誕生すれば、所属教区教会の神父から洗礼を受け、洗礼名がつけられる。セガン家も、おそらくなのだが、カトリック家庭であることから、セガンには洗礼名が施されている。
セガンが誕生したのは1812年。フランス革命によって、地域の納税や出生などの諸業務が教会から世俗行政に移管され、出生届は教会業務とは無関係となっていることから、出生届には洗礼名は記述されるはずはない。小教区教会であるクラムシーのサン=マルタン教会の信徒簿のようなものには洗礼名が記帳されているであろう。だとすれば、戸籍簿のほかに信徒簿を確認・検証せねばなるまい。これは大仕事で、ぼくには不可能だなあ。
そんな思いを持って、改めでセガンの出生届を眺めていると、Onezime edouard Seguinとの名前で父親が届け出ており、Onezime edouardはファースト・ネーム(prénom)だと明記されている。これだけしか史料がないので、洗礼名問題は脇に置くしかないだろうと思っている。
しかし、Guy ティエイエは「Onezime edouardと洗礼された(a été baptisé)」としている。フランス革命以降に戸籍関係が教会から役場に移されたことから来ているのだろうと、思われる。つまり、新しく誕生した赤児に名付けることを、「洗礼」とは関わりなく、baptiséという言語習慣があるのだろうか。
この問題はこれでおしまいかな。フランス革命以降は、よほどの意味を持たない限り、「洗礼名」は脇に置いて論じてよろしかろう。市民それぞれの生活(家族史)には意味深いことなのだろうとは推測するが。
セガンが誕生したのは1812年。フランス革命によって、地域の納税や出生などの諸業務が教会から世俗行政に移管され、出生届は教会業務とは無関係となっていることから、出生届には洗礼名は記述されるはずはない。小教区教会であるクラムシーのサン=マルタン教会の信徒簿のようなものには洗礼名が記帳されているであろう。だとすれば、戸籍簿のほかに信徒簿を確認・検証せねばなるまい。これは大仕事で、ぼくには不可能だなあ。
そんな思いを持って、改めでセガンの出生届を眺めていると、Onezime edouard Seguinとの名前で父親が届け出ており、Onezime edouardはファースト・ネーム(prénom)だと明記されている。これだけしか史料がないので、洗礼名問題は脇に置くしかないだろうと思っている。
しかし、Guy ティエイエは「Onezime edouardと洗礼された(a été baptisé)」としている。フランス革命以降に戸籍関係が教会から役場に移されたことから来ているのだろうと、思われる。つまり、新しく誕生した赤児に名付けることを、「洗礼」とは関わりなく、baptiséという言語習慣があるのだろうか。
この問題はこれでおしまいかな。フランス革命以降は、よほどの意味を持たない限り、「洗礼名」は脇に置いて論じてよろしかろう。市民それぞれの生活(家族史)には意味深いことなのだろうとは推測するが。