ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

船橋に出て眼鏡を誂える

2016年08月31日 | 日記
○7時起床、起床時室温25℃。夏掛けでは寒さを覚えたほど。そろそろ血圧が高くなっていくのかな?気を付けよう、塩分控えめに!
○9時半自宅を出、17時15分帰宅。まだ疲れが抜けきらないのかな、左足がすごく重く感じる外出でした。
*船橋東武8階の梅の花にて、トドちゃんと昼食「秋美人」という名のコース料理。いろいろな豆腐料理が美味しいのはいうまでもないが、「焼物」の「黒毛和牛の朴葉焼」がえも言われぬ味わい。牛肉を避けてきたと言うこともあるのだろうか。(写真)
*JINSにて、メガネを購入。パソ専用も誂えた。これで視界がすっきりするわい。と、期待するワイ。
*その他諸々。紀伊國屋の臨時出店でパン等購入。
*小樽の人力車の車夫さんが、「千葉国体の時に食べた柔らかいピーナッツの美味しい味が忘れられません」とおっしゃった言葉が頭から離れなくて、今日、千葉ピーナッツ専門店に行き、「ゆで落花生」なるものを買い求め、いま口に放り込んだ。
 ・・・・我が家で落花生を収穫していた折(ウン十年も前のこと)、とれたての「柔らかい落花生」を茹でて食べたことがあるが、そのおいしさなのか、いま口に入れている「おいしさ」なのか、どっちの落花生のことを言われたのだろうか。少なくとも、いま口に入れているものは、お送りしたくない。
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終日休息

2016年08月30日 | 日記
○6時50分起床、起床時室温28℃。夜中の目覚め、何と4回!左脚の強烈な痙りの痛みで目覚め。
○午前中は、岩見沢からのゆうパックの到着を待つため、インターホーン音を聞き取ることができるリビングにて、研究史総括文あれこれに目を通す。
*9時過ぎに到着。コケちゃんのところにもほぼ同時刻に届けられたようだ。いろいろと手配をしてくださった村越氏に、改めて感謝。
○午後はDVD鑑賞〔「双頭の鷲」「嘆きのテレーズ」などフランス映画)。どの作品も途中で眠ってしまっている。
○残暑見舞いはがきをいただく。
○ぼくのリハビリ報告ーグッズ編
 通所では手指のリハビリ(運動・訓練)はプログラム化されていません。グッズはあれこれと取り揃えられていますが、どう使用するかは利用者に任せられています。ぼくが行っているコーヒー淹れはミルを挽きますが、左手がミルをしっかりと掴むので、知らぬうちに握力強化につながってきたように思います…という具合に、です。
 さて、自室には添付写真のような大小のグッズを揃えています。
1.一番大きな子ども用のサッカーボール。
 これは左手5本の指で持ち上げることができるようになったことはすでに報告しましたが、今日は、その状態で持ち運び〔移動〕、大きな揺り幅で上下左右に「振る」ことが出来ています。
2.黄色いボールは重さが1キログラム。左手で持ち、手首の運動に使いますが、このところは、左手5本の指で掴み上げ、ボールを下向きにして離します。素早く左手を下方に移動させ、5本の指でボールをつかみます。麻痺した腕の訓練にと考えつきました。俊敏性も求められるなかなかの運動です。5回中4回までは掴むことに成功しています。
3.ゴルフボール大のカラフルな2個の玉は手の中で指を使って転がします。中に入っている「オルゴール」が心地よく鳴り響きます。指のきめ細やかな運動のための訓練グッズとして、昨年の修善寺行きで購入しました。今年も、もうすぐ、そう、今度の土日に、修善寺に出かけるのです。楽しみ!
4.一番小さなのは、八重山杉で作られたコマ。左手親指と人差し指(あるいは中指)で回します。指の麻ひが結構強いので、なかなかうまくつかみ、ひねることが出来ません。でも、勢い良く回すことができると、とてもうれしくなります。

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粋生倶楽部増尾通所リハビリ

2016年08月29日 | 日記
○5時30分起床、起床時室温26℃。
○燃えるゴミの日。両手にゴミ袋をぶら下げてクロ=パンソンの丘の上り下り。歩行はちょっとつらいものがあったが、これだけ重いものを持つことができたのは快挙。
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ
*今日は旅の直後ということで、むしろ体を安めることが主目的となった。
*暖か姫を頭に、続いて、コーヒー淹れ、全身マッサージ、レッグマジック少々、ハードル、再度暖か姫、自転車20分。
*終わり近く、ちょっと場を離れているうちに、所長さんから、Tさんに1年通所表彰式が行われました。Tさんから「いただいたのよ、表彰状」といううれし気なささやきがなされたのです。「頑張りましたものね。これからもご一緒に 頑張りましょう。」とお応えしました。Tさん、「川口さんみたいにね、足が動くようになりたいから!」
 ぼくもグダグダ言わず、リハビリを楽しく頑張っていきますよ。
○サッカーボール左手持ち上げ、振り下ろし、左右大きめの揺する等々ができるようになった。その他、左手機能の自宅訓練。
○㏸夜、宿で持った「会食」の仲間と。左から、中里明雄氏、村越摩弥氏、ぼく、村越含博氏、野田紘史氏

○上記「会食」仲間のお一人・村越含博氏がfacebookに、次のように、関連投書をしておられたので、記録として転載します。続いて、中里明雄さん。
*先週の木曜日、いつもfb上で私の研究や実践への応援や厳しい示唆を与えて下さる、川口幸宏さんと、川口さんの旅行をサポートした野田さんとお会いすることができました。
 ユンニの湯の待合室テーブルで1時間、個室(正式にはカラオケ室w)で、約3時間の計4時間ほど、たっぷりと懇談をしました。
 生活教育実践のこと、昨今の教育学のこと、川口さんのリハビリのこと、北海道のサークルの仲間たちのこと、川口さんから語られる教育論など、ここには到底書ききれないぐらい、色々なことを話すことができました。
 多元論(だったかな、多様論でしたか)や、生活綴方の根本、退職された苫小牧のさる実践家の話など、時間を忘れてしまいました。
 そして、フランスこぼれ話が面白かった。
 野田さんも法学の立場から教育を研究する道を歩んでおり、新しい視点を得た気がします。
 次の再会を約束して、お別れしました。北海道サークルのメンバーにもぜひ合わせたい方が、またまた一人、増えました。
*目から鱗が落ちる場面は多々あったのですが、二つほど。一つは、先生の「セガン研究」の著書の作り方になぞらえて村越さんが「単なる歴史人物書ではなく、生活綴方的手法で描かれている」とし、川口先生も「児童生徒の作文作品があるから『生活綴方』ではなく、それは『作文』教育だ。」とのやりとりの場面。二つ目はやはり、「多元的価値」に関するやりとりですね。時折見せる先生の(鬼の姿も垣間見えましたが)無邪気な子どものような表情にも見入っていました。ああ、ボイスレコーダーで録音して原稿化すればよかったですね、村越さん。
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北海道の旅より帰宅 終日休息

2016年08月28日 | 日記
○6時40分起床、起床時室温25℃。
○昨夜11時半帰宅。やはりPCの不調は変わっていない。いつまで続けられるか、この日記。
○北海道の旅の簡単な振り返り。
*24日、ジェットスターにて道入り。エアーポケットに入り急降下というアクシデントに見舞われ、旅に不安を感じた。
 札幌にて昼食の後、北海道の光景を存分に楽しもうと、タクシーにて宿へ。あいにく天気は思わしくなかったが、それでもタンチョウヅル数羽が佇んでいるのを目にすることができた。
 6時から、相馬契太氏を迎えて「漂流教室」の聞き取りと会食懇談。相馬氏と野田君の「対談」の様子。

*25日、 休養日もあり得ると考えていたが、小樽行きを実施。かつて訪問したことのある街だが、「観念」ばかりがあり、「実感」は消えていた。昼食を堪能したあと、人力車にて運河を中心とした史跡巡り。日射がきつくその暑さは2003年来のスイス・フランスの真夏と重なった記憶が蘇った。車中でごく軽い熱あたりを覚えた。
 昼食会場外でヒグマ剥製と野田君との「にらみ合い」。

 人力車観光写真

 夕刻より、村越夫妻、中里明雄氏と懇談・会食。これは、そもそもの今回の北海道の旅の主目的から派生したこと。2006年8月、法政大学を会場として開かれた日本生活教育連盟夏季全国集会のレセプション会場で同一テーブルで初対面した村越含博氏にたいし、心身共に不調であったこともあり、大変非礼な対応ぶりを見せていたこともあり、そのお詫びを申し上げたい、ということがきっかけであった。今回の会食で、たぶん、その「お詫び」はできたように思う。お会いいただいて本当にありがたく思った。
*26日・27日
 釧路へ。ただ、路線に自然災害が発生し(台風が大暴れ)、日程に狂いが生じたが、そのことで、予定より早く釧路入り。埼玉大学勤務時代のゼミ生大森修二・幸子夫妻にお目にかかることができ、無上の幸せであった。
写真は大森ご夫妻と。幸子夫人とは実に40年ぶりにお目にかかった次第。お二人のご結婚式の立会人を務めた、その日以来の再会である。少しもお変わりない。

大森氏のご案内よろしく、阿寒、釧路、厚岸を車観光。やはり、厚岸の牡蠣は大きく美味しい!写真は夕日が沈む釧路。

*身体のトラブルもなく、無事3泊4日の長旅を成し遂げることができた。通所施設からご指示いただいたストレッチで身体をほぐし、温泉に浸かり気分を安らげ、そして多くの人情に包まれて至福の時を過ごすことができました。ちょっぴり自信がついた旅でした。
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旅の前日 明日より当日記、28日まで休みになります。

2016年08月23日 | 日記
○5時35分起床、起床時室温28℃。3時以降の目覚めしばしば。
*アラーム音で目覚めたというより、時間まだなのかな?と目覚めた次第。うーん・・・。
○資源ゴミ出し。今日は町会の当番。ぼくはとうていできそうにないから、夢さんが。
*クロ=パンソンの丘4往復。初めてのこと。最初の2往復は身体に負担感無し。最後の1往復は、つらさを感じた。今日のこの身体感覚は本当に嬉しいモノがある。作業量を増やすことができたこと、そして負担感がない坂の上り下り。この調子で前進しよう!
*50メートル上り50メートル下り、を4回繰り返した、ということ。上りは両手に各種資源ゴミをぶら下げ(抱え餅の方が多かったかな)、下りは空手。意外とビッコは小さかった。脚のだるさ・痛みも無し。
○高沖さん(奥尻)、大森夫妻(釧路)に「最終講義ノート」(完全版)を郵送。
○次はどうかな?・・・・・
 ボールを指先五本で持ち上げることができるようになった。
 じゃあ、持ち上げたボールを空中移動させてみよう。
 手首を振って、腕を動かして・・・・。
 ハンドボールみたいに、手首スローはできるかなぁ?
 投げることはまだ難しいようです。ハイ。
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PC,そろそろ限界かな 粋生倶楽部通所リハビリ

2016年08月22日 | 日記
○6時半起床、起床時室温29℃。夜中の目覚めたびたび。
*予行練習を目的として、今朝は5時半起床の予定だったが、目覚ましのアラーム音設置を忘れたため、大幅な寝過ごし。
○24日の自宅出発を6時15分に変更のこと。新鎌ヶ谷での乗り換え所用時間を計算し忘れた。オレは健常者ではないのだ。
○嵐の中を粋生倶楽部通所リハビリ。嵐と言ってもまだ本格的ではない。
*Iさんに写真をお渡しした。お返し?にみかんを頂戴した。うーん・・・。
*Iさんのケアマネさんが来られた。コーヒーをお淹れしのんで頂いた。彼はぼくが脳梗塞だと知って、「回復ぶり」に感嘆しておられた。外見では判断できない、とのこと。確かに、この通所施設のお仲間の中では、軽い方なのだろうな。
*Sさんが歩行訓練に精を出しておられた。随分と自立歩行の力がついてきたように感じたので、率直にその旨を申し上げたら、ニコリとされ、さらに歩行姿勢もスピードもよくなった。少し自信を持っているところを褒められると、よし、もっと、という意欲と行動が出てくる。よい声掛けだったかな。・・・いや、ひとによりけりなのかも。
*旅行前なので、あまり無理しないように心掛け、訓練。レッグマジック、控えて40回。自転車30分ゆっくりと、5.7㎞。踏み台、いろいろと工夫して。横に踏み上げ下ろしはけっこう脚の筋肉の外側を使うようだ。マッサージ。あったか姫。全員揃ってのストレッチ体操。所長さんに手を添えられること数度。とにかくぼくは硬いのだ。痛くて涙がにじんだけれど、悲鳴はあげませんでした。これが学校だったら、間違い無く、翌日は登校拒否なのだが…。
*旅の間にする手足ストレッチマニュアルを頂きました。ありがとうございます。
*メガネを荷物置き場の前に落としてきたかな。黒のケースいり。Iさんから包みモノをぼくのビニール袋に入れていただいたおりに、落としたと考えられます。
○台風との絡みで問題が起きる可能性も考えなくてはならず、野田君と電話で打ち合わせ。いよいよだなあ。明日一日、身体を休めて、明後日早朝出発。
○「善が片付けアルバイトに来てくれる。」と、弘美君が嬉しそうに、ぼくに伝えた。訓練から帰ったらまだ完了していなかったけれど、だいぶん、片付いた。ありがとう。弘美君がアルバイト料出すのだけれど、ぼくからは感謝の印を差し上げましょう。
○ちょっぴり、いや、本音を言うと、かなり、うれしいこと。
 幼児用のサッカーボール〔空気はパンパンに張ってあります〕を左手5本の指で、一定時間持ち上げることができるかどうか、試してみました。右手にはスマボカメラを構え、パチリと写しました。浮き上がってますよーという証拠のアングルを求めてしばしカメラがさまよいました。
指先に力が入っている!ボールを持ち上げることができる!
毎日タイピングをしていること、通所施設・家庭でコーヒーミルを左手でしっかりつかみ挽いていること。などなどが指先機能訓練に繋がっていると思います。これは自己流リハビリですから、そういう意味でもとてもうれしいことです。
もっともっと力が入り、動作が細やかになることを目指して、これからも頑張ります!



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終日のたりのたりかな

2016年08月21日 | 日記
○6時半起床、起床時室温27℃。夜中の目覚め1回。
○起き抜けに通所仲間のIさんにお渡しする写真のプリント。
○24日の自宅出発時間の最終確認。6時半と心得よ。
○セガン、芸術評論、入力作業。第1論文。1836年8月3日、ラ・プレス紙。数段落入力し、今日は息切れ。プリントアウトしてスペルチェック。
○相撲の「蹲踞の構え」を意識して、しゃがんでみた。両脚裏をつけることは困難だが、爪先をつけてしゃがむことは、多少のぐらつきはあるけれども、時間を取ってしゃがむことができる。ただし、立ち上がりには、補助が必要。
○いろんなファイルディスクをどこにしまったか。パソを代えようと思うけれど、ファイルは使い回しをしたいのだ。パソからディスクファイルまで全部買いそろえるとなると、こりゃあ、大事だべさ。しかし、みつからんなあ。
*頭に来て、映画鑑賞。この映画DVDディスクは手に取るところにある。今回は「逢びき」。汽車の音が何とも言えない、白い蒸気も。今の人にはこの情景はわからんだろうなあ。1945年製作、イギリス映画。BGMに全編にわたってラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が流れる。これがまた、いいんだなあ。ストーリーそのものは陳腐だけど、それは今という時だから言えるのかな?
○続いて「哀愁」。女湯から女性が一斉に姿を消した時間帯の放送がラジオ「君の名は」。この名作ラジオドラマの下敷きとされたのが、1940年作のこの映画。アメリカ映画。若き2人がクラブで舞い踊る最後の曲が「別れのワルツ」。「蛍の光」です。学校音楽のそれとは心に響くものが違いますね。それにしても、モノクロ時代のアメリカ、イギリス映画には、ダンスの場面がよく登場する。さすがに下層社会では登場しないけれど。品格と教養のある階層の常識社交文化なのだろうな。
*暁・イアンの結婚披露パーティーで、新郎新婦が華麗に舞い始め、ぼくは大きな拍手を送って冷やかしていたが、続くのが新郎新婦の両親によるダンス披露ということになり、そんな教養・文化など一切身につけていないから、断固拒否。イアンのお母さん、困ったでしょうねぇ。結婚式に参加せよ、という命令は届いていたけれど、ダンスを披露せよ、という命令はなかったのだ!しかし、これで、日本の学者というのは何と下品なんだろう、と思われたことでしょうね。イアン君の父君は亡き人だったので、弘美君のお相手はイアン君の長兄が勤めてくれました。弘美君、ちゃんと踊ってたなぁ。どこでそんな技、身につけたの?とあとできいたけど、フフフ。例によって例の含み笑いだけが帰ってきたのでした。
*1940年アメリカ映画に「レベッカ」という作品がある。「哀愁」と共通していることといえば、伝統の家柄の大邸宅を継承する男性に対して、底辺層を地で行っている女性が結ばれるということ。ぼくが青年時代に鑑賞した映画「絶唱」(1966年作品)、舟木一夫、和泉雅子)も、男性が大山林地主の跡継ぎ、女性がその山林の山番という最下層の娘。この映画の舞台設定は戦前期。この映画よりちょっと前1963年作品の「泥だらけの純情」は、女性が大国大使の娘、男性がチンピラやくざ。いずれにしても、これらに共通しているのは、「身分差のある者同士の恋」であり、その結末は、レベッカを除いて、全て身分低き者の「死」で終わる、所謂悲恋モノである。レベッカとて家屋敷を失ってしまうという点で結末は悲惨である。この手のものは、身分低き者の「栄達」はあってはならない、という「約束」(観念)に支配され、観衆は、それでもって、涙を流しながらホッと安堵しているのだろう。日本の「昭和」的なものは、欧米においても、同年代扱いができるのかもしれない。「貧しさに負けた~、そうよ、世間に負けた~♪」(昭和枯れすすき)なのだなあ。大好きなちあきなおみさんのうたごえでどうぞ!

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通所リハビリの日

2016年08月20日 | 日記
○午前3時40分目覚め、目覚め時室温29℃。眠れないのでそのまま起きてディスクワーク。
○昨夜、facebookでTさんとつながった。学女出身者。北海道奥尻高校に勤務し始めたとか。僻地校勤務は念願だったとかで、生き生きした英語教師ならびに高校教師を務めておられる雰囲気を高校のHPで拝見した。我が教職課程履修者であったが、「窓口」ミスを救われず、失格者となった。別の大学で教員免許を取得された。この「ミス」に際して、ぼくと教職課程全体とが対立関係を生んだ。ぼくは今でも僕が間違っていたとは思っていない。その証としての今のTさんがあるではないか。Tさんは、野田君たちの前の世代の自主ゼミ生。
*最終講義ノート(全文)をTさんにお送りすること。
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ
*いつも通り、コーヒー淹れから。そのあとは身体に強い負荷をかけないようにと、のんびりと取り組んだ。レッグマジック、自転車、踏み台、滑車、脚もみ機械、平行棒周りでいろいろ。あったか姫、全身マッサージ。
*コーヒーが勢いよくさばけた。
○北海道行きの準備。とりあえず荷物の目安。黄色のリュックで大丈夫。
○アメックス関係の処理。
○お昼は焼きうどん。オリーブオイルで。味付けは粉のかつお節(写真中央部に盛ってあるやつ。) ピーマン、ニンニク、ハム切り落とし、他。添え野菜にトマト。

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柏に出る

2016年08月19日 | 日記
○6時40分起床、起床時28℃。4時にトイレに起きて部屋に戻るとマヌが入り込んでいた。どうしても出ないのでそのまま布団に入ったが、出せ!というのでもなくニャーニャーと、時折声を挙げるのでそのたびに目が覚めてしまう。繰り返し。タビチョを極端に怖がるこのネコの逃避場がぼくの部屋になってしまった。
*和歌山大学勤務最後の年度という設定の夢。ゼミ室にたどり着くのも大変ならゼミ室の整備も大変。何が大変って、訳が分からない構造になっているから。お隣のゼミ室とは空間共同使用。居酒屋の大テーブル二つ、背中を向けあってゼミをする羽目に。とにかく集まってきた学生たち、頭も赤なら着衣も赤という男が、ゼミより野球の方が面白い時には野球を見る、と発言。「ほかのゼミを探せ。ゼミはゼミだ。」と応じると、半数ほどが席を立っていなくなった。残った10人を相手に、ゼミ開始前に質問は?と尋ねたところ、テキストや方法について聞きたいという。応え始めたが誰も聞いていない風で、口々にああだ、こうだと、方法についての自説を垂れている。「質問に答えているのにそれを聴こうともせず自説を展開するのなら、質問の意味はないだろう。答えを聞いてから自説を述べよ!」と怒鳴ったら、みんな出ていった。…なかなかリアルだな。夢の舞台装置がなぜ和歌山大学なのかは不明。実際の和歌山大学は天国でした。
○新築なったトド家、今日、お引越し。おめでとうございます。
○セガン話続き
 昨日、セガンが知的障害教育着手の前には、「芸術評論」(芸術批評)を専らとする意向であった、と綴った。セガン24歳、パリの法学部在籍中のことである。
 セガン研究は、「知的障害教育」がもっぱらとされてきたし、そもそもその哲学的根拠はルソーの『エミール』、つまり自然主義教育論にある、ということ以外には考察されてこなかった。これはほぼ世界的研究動向であった。
 しかし、セガンがサン=シモン主義者(サン=シモン教徒)であったということをどう理解するのか、という研究的な問いが出されることによって、その視点からの史料発掘の試みがなされ始めた。「芸術評論」に関する発掘もその一環であり、現物を手にとって読んだのは、日本人研究者では、群を抜いて世界的水準のセガン研究を進めてこられた北海道在住のF氏と、そのF氏とはほとんど面識のないぼくだけであろう。
 原典を入手するにはなかなか困難な手続きが必要なので、現在、「芸術評論」の原文を入力作業中である。「史料公開」原則を主張するぼくとしてできることは、こんなことぐらいだが、病を持つ目と故障中の手の機能との障害にめげずに、やり遂げようと決意して作業進行中。
○朝から、北海道行きの訓練を意識して、柏へ。
 歩いて、電車に乗って、歩き回って、ランチを食べて、歩き回って、電車に乗って、歩いて帰宅。9時半に自宅を出て、12時半に帰宅。3時間の行程。
 何度も、徘徊老人じゃないか、あいつ?という目線を送られて光栄ではあったけれど、世間様には迷惑な話だろうなあ。ランチの店の会計で、「タカシマヤカードをお持ちですか?」と聞かれたので、「カードを持つどころではないね、胸に大きく名前住所連絡先を書いたゼッケンを縫い付けることの方が、先だね。」と言ったら、店の人、そうよねえ、と本音が出た。笑うしかないね。
 おーい、北海道の人、現況見た目接触した感覚、こんなだかんね、覚悟おしよ。
○北海道の旅、道入り初日は石狩川川辺散策。三橋美智也のヒット曲「石狩川悲歌〔エレジー〕」。青春の思い出の歌だ。歌声でよく歌った。ユーチューブで聴いてみたら、どうも音程がうまくとれない。ぼくが変なのだろうけど、青春の心がねじ曲がって聞こえてしまう。やむなく、三木さんのmidiで。
○生まれて初めての議員立候補者の応援文
*ふたみ伸吾さんは、心から信頼できる、万人の友
ふたみ伸吾さんが府中町議選に立つ!という知らせを聞いて、心が躍りました。
私はふたみさんと面識があるわけではありません。
しかし、数十年前に上梓した拙著と近年出版した拙著のまこと良き読者として、その人間性、感受性、ものを温(たず)ねようとする積極性に感服させられました。
それで、私はふたみさんのものの考え方、感じ方、行動の仕方が具体的にどのように発信されているのかに、強く興味を持ちました。
現実に根差した強い正義感、その正義感を具体的に行動に移す実行力がふたみさんの人生の根底にどっしりと座っているではありませんか!この人が地域、草の根で人々の願いの実現のために立ち上がってくれたらなあ、と思っていたところへ、府中町議選に挑戦するという知らせが飛び込んできました。
すぐにでも応援・激励にはせ参じたいところなのですが、悔しいかな、病を得て闘病中の身。
せめて言葉だけでも、二見さんが素晴らしい根っこの政治家であることを、お伝えしたいと思い、応援の筆を執った次第です。


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終日体休めのつもりではあるのだが・・・

2016年08月18日 | 日記
○8時起床、起床時室温29℃。寝苦しくて何度も目覚め。あきらめて布団から出たが、身体は横になりたがる。
○燃えるゴミ出し。クロ=パンソンの丘、上下ともに、脚に大きな負担感無し。
○お出かけ前の自室大掃除。
*左脚がすぐにだるくなる。作業能力が極めて乏しい。ゆっくりのったりやりましょう。
*この狭い空間のモノの移動及び掃き掃除で午前では終わらない。悲しくなりますね。北海道の旅、途中で半日ほど体休めが必要かと思い始めた。真面目に考えよう。候補日としては小樽の日かな。宿近辺の丘陵で寝っ転がるのも悪くはない。野田君は解放!朝のバイキング料理の出し物からいくつかを昼食用に回す(アメリカ、フランスの旅の習慣 笑)。
○掃除もどきをしながら、時々、レッシング、という人名が頭を抜けていく。前々から気になっている18世紀ドイツの啓蒙主義者(Gotthold Ephraim Lessing, 1729年 1月22日 - 1781年 2月15日)。セガンが彼を引用している意味、もっと言えば、「レッシングが言うように、そして私が言うように・・・」という1846年著書及び1843年論文のフレーズの一句は、レッシングとセガン自身とを同格においているという意味において、「ルソーの影響を受けた」という虚妄よりはるかに重いセガン観を導くはずである。セガンがレッシングに言及しているのは1836年の『ラ・プレス』紙に連載した「芸術論」においてであるから、白痴教育のためににわかに身に着けた教養ではなく、セガン自身の哲学に内在しているものと見なければならない。それはすなわち、サン=シモン主義哲学!
* セガンは1831年5月に、サン=シモン主義者組織の一員となった。わずか19歳である。この年、ヴィクトル・ユゴーが『レ・ミゼラブル』で描いた学生集団による革命蜂起が起きているが、セガンがそれに与した様子はない。が、その前年の1830年7月革命に共和主義派の一員として加わり、革命後、立憲国王から褒章が与えられている。サン=シモン主義者組織への加盟は、この流れに位置付くのだろう。
 サン=シモン主義は祖サン=シモンの哲学を教義とした(新キリスト教】。神と科学とは矛盾しない、科学のあらゆる側面は神が創造させた、という。それに基づき、彼らは「新百科全書」体系を構想し、次々と公刊していった。その主張は、「芸術、科学、産業の三位一体」にある。
 セガンは、知的障害教育の道に入る前は、「芸術」分野でサン=シモン主義を担おうとしていた。1836年8月9月に、『ラ・プレス』という新興新聞に、「芸術評論」を発表している(第1論文から第4論文まで)。『芸術論』という単行本出版予告も出されているから、かなり、構想は錬られていたのであろう。
 しかし、その直後だと思われる、「死を覚悟する」ほどの病に襲われた(いろいろと調べてみると、この年、パリをインフルエンザが襲い、人口の1/2の人々が罹病したという)。病から立ち直って、偶然の出会いがあり、知的障害教育の道に進むことになった。
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