ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

言論弾圧

2018年11月15日 | 研究余話
 言論弾圧は、なにも、政治の世界だけにあるゆゆしき事件なのではない。

「褒めるのは誰でも出来る。研究者らしく批判的な書評文を綴ってほしい」という著者先生のお言葉を真に受けて(この業界では、その言葉を正面から受け止めてはいけないんだ、という暗黙の了解があるなんて、「アホな川口」は知らないから)、誤字脱字はさすがに具体は目をつぶり、短歌・俳句に関する基礎教養に関わる問題指摘、そして著書主題人物礼賛一辺倒でいいのか、という歴史認識批判、主題人物評価として、国権主義者であって生活教育教師という評価は困難ではないか、などという「研究批判」を混ぜはしたが、教養書としては良書である旨、濃厚なリップサービスを綴った。
 原稿を編集部に送る前に見せろ、とのお声が先生様よりあり、ファックスでお送りしたところ、激怒の返電。「まるでぼくが低学力者みたいじゃないですかっ!ぼくをおとしめるつもりですかっ!書きなおして再度送ってください、早急に!」
 好きですね、この人、言論弾圧が。かつてぼくもやられているし、けっこう、いろんな人に、やっているという話を伝え聞く。弾圧対象は学界力関係でいえば「無名」ないしはそれに近い人。
 周りでちやほやされて脂下がっているけれど、本質は、底の浅い浅い人物でしかないことを、痛いほど知りました。
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慶賀申し上げ候

2018年11月14日 | 研究余話
 かの清水寛氏が2017年秋の叙勲で、瑞宝中綬章を受章召された。自称(というより、ぼくに向かっての口癖)「セガンを研究して40年」「近藤益雄研究を仕上げなければ死んでも死にきれない」氏にとって、この受勲によって、ローマ法王から「白痴の教師」称号を送られた(と清水氏がいう)セガンや、かの大正皇后のフランス語家庭教師を務める栄誉を得た(と清水氏がいう)セガンゆかりの石井亮一と、肩を並べることが出来た感慨をお持ちのことだろう。慶賀申し上げる次第。って、ちょっと話題委するのは遅すぎますねぇ。
 「勲章を受けるご意志はありますか?」という事務方の問いから受勲が始まるのだから、清水氏は、勲章もらいたいでーす!と手を上げたのだろうなぁ。
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後期高齢者入門の心

2018年11月13日 | 研究余話
 あるものを無いと言い、無いものをあると言う。
 普通の感覚だったら、それはおかしい、と思い、さらに、その間違いは正されなければならない、と思い、行動に移す。
 こんな当たり前のことを基本においてきた我が人生。
 そのとっかかりが「生活綴方」という教育遺産との出会い。これで随分鍛えられた。先人・先哲の言説にもの申す、という恐れを知らぬ行動に。
 
 X大先生「おまえには敬意を払うという人としての礼節がないのか!」
 小人「だって、先生、先生たちが「間違っていることは間違っていると言わなければいけないんだ」と、指導する子どもたちにおっしゃってきたのではないですか?」
 Y尊師「常識というものがあるだろう!」
 小人「常識を疑えと綴っておられますね。」
 Zペテン師「私が真実なのですっ。」
 小人「そんな、アホな。」

 「すこし黙ってろ!」と言われんばかりの境遇に追放され、発言する場も少なくなり、言われなくても黙るしかなくなって、いつしか「たこつぼ」に入り込んでしまっていた。長かったなぁ。おかげで、それまでとは無縁のいろんな世界、いろんな人との出会いもあり、私のものの見方が随分と広く深くなったようには思う。

 フレネに出会ったことをきっかけに、パリ・コミューンに出会い、そしてセガンに出会って、「普通の感覚」で対象と向かい合うことの自由を再び得、歩き回って実物に触れいつくしむという喜びに没入することができるようになった。ただし、リアルな発言の場は得にくいことには変わりが無い。
 幸い、世はインターネット時代に入った。綴り表明する機会と道具は存分にある。職場同僚から「宇宙のゴミの量産」と揶揄されようとも、「死が我々を分かつまで」、生活綴方人として、事実をありのままに捉えありのままに表現することの喜びがある。
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セガンをパワポで表現してみる⑨

2018年11月09日 | 研究余話
 講演パワポ、最終面。サン・シモン教とサン・シモン教徒セガン。彼の新しい人生の土台が形成された。その出発宣言としてパワポを作成。

 
 講演まであと1か月。パワポ完成が執着ではない。ここからこそ講演の準備が始まる。我が人生最後のしゃべくりがパワポだなんて、悲しいなあ。音の言葉からいろいろと創造を巡らせてもらいたいのだけど、無理なのかなあ。
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セガンをパワポで表現してみる⑧

2018年11月08日 | 研究余話
 セガンとサン・シモン教との出会いをどのように表現するか。
 1830年革命終結の翌日、アンファンタンとバザールは新国王の準備中のルイ・フィリップを訪ね、新た示威国家建設について、提言したとか。その提言内容は、直ちに、ポスターとしてパリ市中に張り出されている。
 セガンはそれを読み、特級コレージュから離れ、自由度がきく法学部に方向を転じた。しかし、その法学部は、硬い決意と脂肪があったのではないはずだ。要するに、腰かけ。セガンがサン・シモニアンに進路を定めるには、ほとんど時間を要しなかった。
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ぶんぶんぶん 蜂が飛ぶ♫

2018年11月07日 | 研究余話
 千葉県市川市、法華教寺にて、秋探しの一日


 残念ながら、銀杏の木は台風による塩害の被害を受け、「半身」が無残な姿。他の木々も、高揚処ではない、という感じ。
 寒々として、我が研究の心のよう。
 改題の片隅の菊の花々に、蜂など、小生物が集まっていた。蜂の飛翔ぶりの撮影。残念ながら後ろ姿。それでもきれいに写せたと自画自賛。

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あの人は半可通で学者だとか

2018年11月03日 | 研究余話
 セガンに関する情報収集を2003年以来行ってきた。そのほとんどがさる人からの「下命」に基づくものだったが、いくつかは、本当にそうかい?という疑問を持って自分の意志で調査をしてきた事柄がある。セガンが「サルペトリエール院で白痴教育をした」、「セガンは物書きなどの仕事で費用を工面し白痴の子どもたちを養育し、教育し、成果を上げた」などの、「セガンの白痴教育の本質に迫ることから始まり、「セガンの自画像、油彩画」「写真が張り付けてあるから自費出版だ」などの史資料の理解に及ぶなど、じつに、これで「セガンを研究してきて40年。ライフワークだ。」と虚勢を張って見せるお人を一言でいうとなんというべきか、と考えてきたが、そうそう「半可通」というとても素敵な言葉がある。そのお人には、「半可通学者ぶり」とビッグネームを付けよう。
 そしてあと一つ、人の褌で相撲を取る人であり、その褌に自己流の模様を描いて褌の値打ちさえ下げてしまうという、曰く言い難いキャラの持ち主。それでいて学会賞をもらい勲章まで受けているのだから、もうなんというか、あんぐりなお人、というしかないなあ。
 人の褌云々の話を少し詳しく。
 セガン1846年著書に次のような一節がある。
l'on ait faites dans ces derniers temps, comme aussi elle est écrite dès la première page du premier livre, du livre par excellence;
 セガンのこの著書の抄訳が出されている。その抄訳では、l'on ait faites dans ces derniers temps, の部分が抜け落ちている。で、以下の部分が「あの卓越した本の、人類の最初の本の最初のページに書かれているのと同じ」となっている。
 これを「半可通学者ぶり」先生は自身の著書に引用なさった。フランス語を読めないから引用したわけだが、全部ではない、「あの卓越した本の、人類の最初の本」に、よしゃあいいものを、(聖書ー筆者注)との文字を付け加えた。
 半可通学者先生の著書からしかセガンの情報を得ようとしない人たちは、「あの卓越した本の、人類の最初の本(聖書ー筆者注)」としてのみ、セガンを理解しないことになる。そうか、そうなのか…。フランス語を読めもしないのだから余計なことをしなければいいものを、と思う。
 原典の訳文の再点検をすると、訳文提供者も余計なことを付け加えている。「人類」というフランス語単語は原文にはないのだ。そうなると、意味がまるっきり違ってくる。さらに、先に印した原文すべてをキチンと訳出すると、「近年」という重要なキーワードの訳出がされていないことに気づく。
 もう、めちゃくちゃですね。「そのことは、近年刊行された最上の、代表的な書物の第1ページから書かれている」というのが、原文に相当近い日本語になるはずだ。

 セガン研究を一からやらないとだめだ、という理由がここにも存在する、ということ。
 
 
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セガンをパワポで表現してみる⑦

2018年10月31日 | 研究余話
 朝、病院に出かける前に、これまでの講演パワポを点検。昨日作成の面は、どうも気に入らない。法学部校舎がまったく意味をなさないでいる。それで、作り変えることにした。タイトルも「第二の誕生」ではなく、まさにエリート街道から降りたこと、そしてその実態の表示。
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セガンをパワポで表現してみる⑥

2018年10月30日 | 研究余話
 講演パワポ、「第2の誕生」の章に突入。セガンが法学部に進路を変えたのは、どういう意向がったのか?「人権に目覚めたから!」(清水寛氏) アホな。フランス社会を「人権宣言の国」という「光」だけでしか見ようとしない妄言だ。パワポは極めて単純に。

 障害児教育プロパーの原田収氏から2本のご論文をいただいた。
1.教育への「日の丸・君が代」の矯正で何が問われているか。『人権と部落問題』833号2012.9
2.「不当な支配」とたたかう東京の二大教育裁判 『経済科学通信』120号、2009.9
 ありがとうございます。
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セガンをパワポで表現してみる⑤

2018年10月29日 | 研究余話
 1830年革命。セガンは功労賞を授与されている。この史実をどう受け止めるか、コレージュ生活との連続性はあるのか、革命後のセガンの人生にどう反映しているのか。人生の結節点。
ぼくのセガン研究の、象徴点でもある。
 この革命参加の後、彼は法学部に在籍登録をした(1830年11月)。家h理「ぢ2の誕生」のメルクマールとして理解できよう。次のようにパワポに表す。
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