ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

翻案 パリ・コミューンと少年(12)パリ・コミューン成立の日

2018年09月25日 | 研究余話

 何という陽気さ!ぼくはこれほど集まった人を見たことがない。市役所は、正面が規則的でありながらもたくさんの窓が複雑に入り込んだ、真っ白の建物だ。
 広い広場の上には、ぼくが知る限り、赤い旗が三色旗以上の数あるというのはない。
 おじいさんは喜んでいる。彼は大きな真っ赤なネッカチーフをほどく。それは彼が汗を押さえるために、いつも首の回りに結びつけているものだ。戦争の前に、彼は、時々、そのきれいなネッカチーフを、誠実な人のシャツであり、シャツ以上にしばしば取り替えることができる、と言っていた。
「君は見たか?二人のガリバルディの義勇兵を!」
 二人の男が大きな黒い羽のついた、くたびれきった、とんがり帽子をかぶっている。
 おじいさんが感嘆して付け加える:
「彼らはイタリアの自由のために戦ったのだ!」
 ぼくたちは、演壇に近づく。演壇のまわりは国民衛兵隊と市民とでいっぱいに溢れている。銃剣が太陽で煌めき、広場を照らす。
「見たまえ、坊や、そこここにいる人みんな、私たちが選んだ人たちなんだよ」と、一人の衛兵がぼくに言う。
 三色の綬を帯びた一人の男の人が進み出る。:
「私はスピーチをする喜びで胸一杯です。パリの人々が生み出しつつある偉大な手本に対して、ただただあなた方を誉めたたえることをお許しください。」
 別の男の人が、すばやく、席に着き、選ばれた人のリストを読みあげる。楽団がラ・マルセイエーズを演奏する。大砲が轟音を発する。音楽が再び奏でられ、大衆が歌い出す。旗が、銃剣が、ケピが高く掲げられる。音楽が終わり歓声に変わるまで、おじいさんとぼくは、それぞれのネッカチーフを振りかざす。
 演壇で、最初の人が話を続ける。:
「人民を代表して、ラ・コミューンが宣言されます!」
 ものすごいどよめきが上がる。「ラ・コミューン、万歳!」いたるところで硬貨がその輝かしい文書に投げつけられ、太鼓が打ち鳴らされる。人々がキスをしあう。ある人たちは踊る。なんという日だろう!
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翻案 パリ・コミューンと少年(11)

2018年09月23日 | 研究余話
3-4
 パパは休憩中だ。ママンはぼくたちが長い間食べてないような濃いスープを作ってくれた。それに指二本分の厚さのある大きな脂身の薄切りを添えて。三人の大人が同時にしゃべり出す。おじいさんは、軽蔑して、ティエールがパリを離れてヴェルサイユに向かったと言う。パパはモンマルトルの公共の建物の中庭で銃殺された一人の将官について話す。ぼくは、それほどのことを知るのにパパはどこにいたのか、パパに尋ねる勇気がない。パパは選挙のことを思い出し、もうぼくから離れない言葉をはじめて口にする、ラ・コミューン。おじいさんが説明する:私たちはコミュナードだ!ぼくが知っているすべての言葉の中で一番美しいと思うひとつの言葉、その言葉に、何もない人々と何でも持っている人々との間の世の中の冨の公正な分配を見いだす。しかも持てる人々が、ぼくたちのように、まさに生活しなければならない人々に。
 ママンは、ぼくたちがデザートの代わりに食べる一切れのパンに塗ることになっているジャムの、壺をまだ開けていなかった。そのパンはウジェンヌが急遽台所で作るのだ。
「もうすぐ勝利だ!明日中に、オテル・ド・ヴィル(市役所)へ!」
 5人揃って、ぼくたちはママンのおいしいジャムを少し食べる。パパがすぐに出かけなければならないのは残念だ!
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翻案 パリ・コミューンと少年(10)

2018年09月22日 | 研究余話
3-3
 何というにぎわしさ!朝3時頃に、ラ・ビュットの近くに集められたティエールの雇われ者たちの思うままにさせないように向かい合っている数千の兵士たちが、丘を登るつらい作業に取りかかり、シャン・デ・ポロネを埋め尽くし、曲がりくねった道を通って大砲を降ろすことに着手している。「走れ!ピエロ!警報の発令だ!」ぼくは一瞬ためらう。ぼくは自分の父親のことが心配だ。しかし彼はすばやくぼくのおでこにキスをし、引き返す。
 ぼくはブドウの木の中に走り込み、傾斜を駆け下りる。街が目を覚ます。警鐘が打ち鳴らされはじめる。太鼓が街全体に打ち響く。鎧戸が開く。人々が、家々の戸口の上の、店の戸口の上の窓から姿を見せる。グループが形成される。
 ぼくは着くのが遅すぎる。女たち、子どもたち、男たちはもうラ・ビュットに姿を見せる。ぼくは彼らと一緒にいく。ぼくたちは、馬がないのでまだどの大砲も移動させていない兵士たちの集団に、向かい合う。
 一人の将官がわめく:
「ゲス野郎!この役立たず!」
 一人の下士官が叫ぶ:
「皆!銃を地面に置け!」
 兵士たちが銃を降ろす、そして彼らから武器を取り上げた将校たちに突然飛びかかる。
 ぼくは将官の身を案ずる心持ちなどない。群衆は誰彼かまわずキスを交わし喜びを分かち合う。
 兵士、老人、女、そして子どもが馬の引き綱を切り、すでに移動させられた大砲を回収し、シャン・デ・ポロネまで再度登るのに、ぼくがパパのいるところを知らないのは残念だ。パリの大砲はヴェルサイユに似合わないだろう。
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翻案 パリ・コミューンと少年(9)

2018年09月21日 | 研究余話
3-2
 ぼくらは再び歩き出した。
 「ここがシャン・デ・ポロネだよ。」
 灌木の茂みがぼくたちの前に立ちはだかっている。それは、パパと同じ制服を着た男たちによって管理されている空き地の手前だ。ぼくは太陽で光る大砲を数える。一つひとつ、先頭から、数を繰り返し足していく。ムッシュ・パタンから教わったように。20の2倍、もっと…。弾薬の運搬車…・。数え直す。違う。ぼくは間違えた。ぼくは、ある日、おじいさんが言ったことを思い出す。「どうして男たちはいつも大砲を必要としているのだろう?」その瞬間、ぼくは、パパは同じ考えではないという気がした。パパはそれを、国民衛兵隊の大砲を、愛している、と思う。多分、パパが嫌っているティエールやプロシャ人のせいで。
 「ピエロ、大砲は私たちのものだ。私たちは国民の募金で大砲を買ったんだよ。」パパは大砲の筒に手を置き、それをやさしくなでる。
 「こいつは、私たちが、私たち国民衛兵隊、おかあさん、おじいさん、ウジェンヌ、ムッシュ・パタン、アンドレとアルフレッドのおかあさん、マティウのおばあさんが集めた、何千何百という小銭で作られたものに違いない。それで、考えてごらん、ピエロ、ビュット・ショーモンに、シャペルに、ベルヴィルに、ヴォージュ広場と同じ広場があるということを。けっしてプロイセン人には私たちから大砲を奪いとらせることはない。」それでもぼくは、パパが誰かを殺すなんて、信じない。
 ぼくが別の方向にパリ中を見渡すにはあまりにも遅すぎる。ぼくはパパと一緒にそのままいた。

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翻案 パリ・コミューンと少年(8)

2018年09月20日 | 研究余話
3-1
 パパは簡単な洗濯を終えた。ぼくはパパに、ママンが、燃やした木の灰で洗濯してくれた、それから刺繍模様の飾りの付いた穴いっぱいに白い蒸気を立てている大きなアイロンを使ってあてたばかりの、下着の入った小さな包みを渡した。アイロンはまるで、貨車を引っ張る機関車のようだ。機関車は、シャティヨン通りを横切っているんだけど、我が家から数百メートルのところではっきりと見えるんだ。
「ジュール、おまえはいい男の子を持った、もじゃもじゃのブロンドの髭を生やした偉人の話をさえぎっている。やつはいつもおれたちの忠告を聞かなかったのに。この子はおまえが我が大砲を見せてやるのにふさわしい。」
「おれがこの子に大砲を見せてやろう」
 ぼくたちはラ・ビュット(モンマルトルの丘)を一歩一歩よじ登る。不揃いな二つの壁にはさまれた不完全な石畳の道の端に、突然現れた水車に驚く。
散歩道の印象を受けた。なぜだか分からないけど、戦争の前の夏のある日曜日のことを考える。その日、ぼくたちはロバンソンの森に行った。そこには大きな木の股にのっかったとても小さな小屋があり、そこからぼくたちはイシーの丘の水車を見かけた。
 パパが立ち止まり、振り返る。眼下にパリ全体をとらえる。何という眺め!山の頂上でもこんなふうに違いない。
「ご覧:ノートル・ダム、ル・パンテオン、それに、遠くに、水平線の方に目をやると、ヴァンヴの丘やイシーの丘、ブドウ並木のあるシャティヨンの丘。それらは水平線に点々としている。:おまえはロバンソンの森のことを覚えてるだろう?」
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特報!セガンの実践の場の写真

2018年09月19日 | 研究余話
 2012年10月下旬に、フランス、ニエヴル県クラムシーで開催された「セガン生誕200周年記念シンポジウム」会場に展示さえていた写真の数々のうち、明確な史実として確信することができていなかった2葉の写真の被写体の具体を特定することができた。(今頃、なんだよ!)
 ビセートル救済院内の精神病棟エリアには児童病棟がある。白痴、癲癇、精神病などの子どもが収容されていた。白痴と転換は混住、精神病他と区別されている。写真はその児童病棟の全容。19世紀末のものと思われる。この児童病棟には「セガン棟」と名前が付けられていた。

 そして、セガンが働いた主要な場である「白痴学校」。その正面写真。
 児童病棟と白痴学校との位置関係の具体はわからない。それを明らかにするのも、セガン研究の宿命なのだろうか?白痴学校は精神病治療の一環とされていたから、ビセートルの治療部門(第1セクション)内の「児童部門」で当て、管理対象としては、「児童病棟」ではない。今後詳しくしていく課題である。

「ビセートル史」記述に、次のようなことが書かれている。精神病棟エリアが第1セクションから第5セクションまである。その第1セクションにかかわって。
「十分な広さの1つの中庭の両端には、2つのホールがある。1つは36床があるホールである。そこは回復期にあって労働をしている人たちの寝るところである;もう1つは、石塀で囲まれており、塀に添って道が通っている。ただ、不衛生故に、患者を通行させることができない。つい最近、このホールは利用されるようになった。そこに食堂と学校とが一つずつ設置された。」
 つまり、「白痴学校」はホールの利用であり、児童病棟との関係はないようだ。不潔で通行できないようなところ。要するに日陰であり、治療等に要する「水」などが垂れ流されていた、ということだろう。ヴォアザンがこの不使用建築物に目を付けて、「学校」を設置した。1839年のことである。
 さあ、こうなると、当時のビセートル救済院の見取り図が欲しくなるなあ。
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翻案 パリ・コミューンと少年(7)

2018年09月18日 | 研究余話
2-2  学校、そこでぼくたちは時々、プチ・ヴァンヴの石切場の白い石鹸石を一つ使って、一緒に楽しむ。学ぶのはとてもやさしいから、誰でもできる!それにとても楽しい。
 パパとママンはドイツ人に対してどんな憎しみも持っていない。おじいさんはアルマーニュのマインツの出身だ。ドイツの第一議会の代議士で、おじいさんは、逃げなければならなかった。1848年の革命の驚きが過ぎ去り、封建制は、彼が言うように、再び支配力を取り戻し、民主主義者を監獄に入れた。印刷業者だった彼はフランスに隠れ場を見つけた。それにも関わらず、ぼくたちの不幸の原因であるビスマルクとプロイセン人とを彼が非難することに変わりはない。彼はプロイセン人と他のドイツ人とのあいだの違いに気づいている。
 ぼくは彼ら、プロイセン人たちがシャンゼリーゼを占拠しているのを見かけた。パリの他の界隈では、窓に黒い旗が垂れ下がっていた。おじいさんは、老練なティエールが美しい街を彼らに引き渡すはずがない、と言っていた。まったく、彼が、プチ・モントロージュやベルヴィル、フォーブル・サンタントワーヌ、ラ・ビュット・オー・カーユ、モンマルトルといった要所を、彼らに渡すはずはない。
 「ピエロ、忘れるんじゃない、ティエール、ナポレオン、それにビスマルク、みんな同じだよ。彼らがフランス人であるとかドイツ人であるとかということはどうでもいい。おまえとしては、働くための手の他は何も持たない人々の側にいるのは誰なのか、あるいはすべてを持っている人々、なぜかって、彼らは卑劣なやり方で私たちの労働で暮らしているのだから、そういう人々の側にいるのは誰なのかを知っているために、いつも 目を開けておきなさい。」
 ぼくは黒の色が好きだ。それは生活のために身を守る激しい意欲以外の何ものをも語っていないのだから。
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翻案 パリ・コミューンと少年(6)

2018年09月17日 | 研究余話
2ー1  妙なことなんだけど、ぼくはママンとパパ、おじいさん、ぼくにとって幸せでありたいと、将来のことを思えば思うほど、ますますぼくは過去のことを考えてしまう。ぼくの頭の中ではたくさんの光景が押し合いへし合いしている。ママンは言う、ぼくたちがつい先月体験したことすべてが思春期の人間にとってはあまりにもつらすぎるのさ、と。パパは言う、人間であるために苦しむんだよ、と。パパは、生まれること、ママンのおなかから出ること、人間ばかりじゃなく、おかあさんの胎内から生まれることは、他のことよりずっとすばらしい出来事だ、でも生まれてからは争いが絶えることはない、と言い足す。ぼくはそれらのことがよく分かったわけではない。だけど、それらのことは正しいと感じた。ぼくは二人とも愛している。
 地区の友だちの、アンドレやアルフレッド、マティウと話し合うことがあった。誰も学校に行っていない。彼らは両親を愛していると認めることが、時々、つらくなると、ぼくは思ったことがあった。パパは、ぼくが学校に行っているんだから恵まれている、それにぼくの家には本もある、と言う。おじいさんの本、中でもヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』。彼は国会の下院議員を務めている人で、流刑者のことを書いた人だ。ぼくもその本が好きだが、両親もおじいさんも、そうだ。だって、彼らは、その本の全部を話してくれるまで、途中でやめないもの。
 ぼくは、時々、ムッシュ・パタンのことを知らない友だちのことを考える。だって、彼らはいつも、食べることでさえ簡単ではない。寝るところの苦労をしている。アンドレのママンとアルフレッドのママンは他の家の洗濯している。マティウは自分の父親も母親もまったく知らない。彼はおばあさんと一緒に暮らしている。おばあさんは、戦争の前、大きなお店の下請けの仕事をしている家で、刺繍をしていた。
 それにほら、ぼくたちが小プチ・ナポレオンによってはっきりと戦争に負けてしまってから。ティエールとその政府が、ぼくたちに、プロイセン人に従うように言いふらしているだろう!奇跡的にも、ぼくの友だちがおなかが空いたときに食事をし、本当のベッドで眠り、そして学校に行くことができる、決して貧しくはないプロイセン人とティエールが、そのようにするかのように。
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翻案 パリ・コミューンと少年(5)

2018年09月16日 | 研究余話
1-5  昨夜、ママンはウジェンヌに尋ねた。「うちの人が今いるところは、どこだろうねぇ。」
 モンマルトルに!彼女は教えてくれた、モンマルトル!って。モンマルトルの丘の上。シャン・ド・ポロネに。パパは大砲を守ってる。
―それで、ぼくはママンにせがんだ。お願い、ぼく、パパに会ってきていいでしょ。会いに行かせて。パパはきっと下着が必要だよ。ママン、いいでしょ?
 ママンの父親であるおじいさんも、ぼくに味方して口添えをしてくれた。「いいよ」。ママンはとうとうぼくたちに応えた。それからぼくは、ぼくの先生、ムッシュ・パタンに会いに行った。先生にはモンマルトルにはどうやっていくのか、聞きにいったのだ。先生は、黒鉛筆を片方の手に、もう片方の手に赤と緑を持ち替え持ち替えして、すっかり描いてくれた。両方の手を使って同時に書いたり描いたりするような、そんなすごい能力を、ぼくはこれまで一度も見たことがない。
 ぼくはすっかり興奮してしまって、ほとんど寝なかった。目を覚ましたとき、ママンは一晩中、起きていた。ママンは、パパのために、この下着の小さな包みを用意してくれたんだよ、パパ。ぼくがプチ・モントロージュを出たときは、まだ夜だった。ラ・セーヌを渡ったとき太陽が昇った。
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翻案 パリ・コミューンと少年(4)

2018年09月15日 | 研究余話
1‐3 「さあ、おれのピエロ?みんな見てくれ、これがおれのピエロさ!」パパはとても自慢げに言い、近くにいた仲間たちの方に幸せそうな顔をぐるりと回した。仲間たちは噴水の水で下着を洗っていたのを中断した。
 パパはまだ嬉しくて心が高ぶっているようすだ。男たちはほほえんでいた。彼らの一人が言った。
「へえ、なるほど、この子がおまえのピエロかい!ああ、みんなこの子のことを話題にしているし、おまえがおれたちにこの子のことを話しているよね。で、まったくいきなりこの子が来た!
 で、君、ピエロ、なぜ君の父親がここにいるのを知ってるのかね?」
 男の人は、ぼくの父親とまったく同じようにひげ面で、無愛想に見えた。その人も父親も、口元にいっぱい笑みを漂わせ、うなずいて、ぼくに応えるように促した。
「パパ、ウジェンヌが、昨日の夜、うちに来てね、パパがモンマルトルにいるって教えてくれたんだ。」

 
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