○5時50分起床、起床時室温24℃。
71.2
120 69 48
○お出かけ前のショート・・・
雨の日の診察。心も陰鬱。
今日は、採血、レントゲン、心電図の後でそれらの結果を受けて、脳神経外科の診察。
それが終わると眼科。白内障の進行状況の診察と、なにやらややこしい名前の不治の眼病の進行状況の診察。
オレって、こんな診察のためにだけ、生きているって訳?と、つくづく思ってしまう朝。
○9時~14時 脳神経外科及び眼科診察
*血圧が異常に高い。朝の測定では正常なのだけどな。「様子を見ましょう。きちんと記録を取って次回持参すること、運動をしましょう」とのご指導。
*眼科は変化無し。
*次回、10月4日
○今日のお昼はメガランチ。もちろん、今夜から、いつも通りの節制食事。

○「ルソーはとても人見知りをし、その一方で非常に奇行癖があった」(セガンによる評) へー。ぺらぺらぺらぺら、よう、しゃべる人だと思っていたな、ぼく。
ルソーのアパートに仕事に行ったガラス職人メネトラがルソーと仲良くなり、話しをしたり、遊んだり、ワインを飲んだりしている記述がある。メネトラとルソーが出かけていく先々に人の輪ができたことも綴られている。「ルソーさんだ!」「あれがルソーか、じゃ、隣にいるのは弟か」などという記述によって、ぼくは、ルソーがパリの民衆の間での「名士」(というより人気者)であったことを知った次第である。迫害、逃亡がルソーの人生史のメインだとインプットされていたぼくにとって、彼が人々の輪の中に入り、あるレストランでは人々がルソーを一目見ようと大理石でできたテーブルの上に乗ったためにそれが壊れてしまった、それ以降、ルソー様入店お断り、ということもあったらしい。(パリでルソーとかなり親交のあったガラス職人メネトラ談を元に)
ーテレビやラジオ、週刊誌などがない時代でも、「追っかけさん」という現象は誕生していたんだな。
☆ ジャン・ジャック・ルソー像。パリの人々は、彼の同棲(非婚)をどう見ていたのか、彼夫婦の「子捨て」をどう見ていたのか、彼の日常生活ぶり(立ち居振る舞い)をどう見ていたのか、そもそもその時代の結婚制度―婚姻の届出を含む―はどのようなものでありルソーにとってそのことがどのような障害となったのか、などなど。
このような「同時代性」にますます興味を覚えた朝。あ、ちょっとは元気が出たな。
○2006年10月、順天堂大学病院に入院し全身麻酔による手術を受けた。その際、完全禁煙を決意し、禁煙は今日まで続いている。喫煙要求は全くない。2006年10月1日は禁煙記念日。
この入院で、かなり精密な検査を受け、両肺気腫に罹病していることを告げられた。改善は望めない。症状を受け入れながら、食事、身体ケアなどをすることによって、症状の悪化を防ぐしかない、と。禁煙だけは続けたが、他の治療や保守に気を配ることを忘れ、夢中になって研究・教育に携わった。以前は体を動かすとすぐ息が切れたり、ゼーゼーと息をしたりする症状に見舞われたが、いつしかそれも気にしなくなっていた。
肺気腫はすっかり忘れてしまったが、代わりに?脳梗塞を罹病した。治療生活が今日まで続く。レントゲンは数回撮影されたが、医師が肺気腫に言及することは一度も無い。ぼくの方から訴えたことがないからだろうか。不治の病である肺気腫、症状が現在どうなっているのか、医師に尋ねた方がいいのだろうか。そんなことが気になる今。
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○お出かけ前のショート・・・
雨の日の診察。心も陰鬱。
今日は、採血、レントゲン、心電図の後でそれらの結果を受けて、脳神経外科の診察。
それが終わると眼科。白内障の進行状況の診察と、なにやらややこしい名前の不治の眼病の進行状況の診察。
オレって、こんな診察のためにだけ、生きているって訳?と、つくづく思ってしまう朝。
○9時~14時 脳神経外科及び眼科診察
*血圧が異常に高い。朝の測定では正常なのだけどな。「様子を見ましょう。きちんと記録を取って次回持参すること、運動をしましょう」とのご指導。
*眼科は変化無し。
*次回、10月4日
○今日のお昼はメガランチ。もちろん、今夜から、いつも通りの節制食事。

○「ルソーはとても人見知りをし、その一方で非常に奇行癖があった」(セガンによる評) へー。ぺらぺらぺらぺら、よう、しゃべる人だと思っていたな、ぼく。
ルソーのアパートに仕事に行ったガラス職人メネトラがルソーと仲良くなり、話しをしたり、遊んだり、ワインを飲んだりしている記述がある。メネトラとルソーが出かけていく先々に人の輪ができたことも綴られている。「ルソーさんだ!」「あれがルソーか、じゃ、隣にいるのは弟か」などという記述によって、ぼくは、ルソーがパリの民衆の間での「名士」(というより人気者)であったことを知った次第である。迫害、逃亡がルソーの人生史のメインだとインプットされていたぼくにとって、彼が人々の輪の中に入り、あるレストランでは人々がルソーを一目見ようと大理石でできたテーブルの上に乗ったためにそれが壊れてしまった、それ以降、ルソー様入店お断り、ということもあったらしい。(パリでルソーとかなり親交のあったガラス職人メネトラ談を元に)
ーテレビやラジオ、週刊誌などがない時代でも、「追っかけさん」という現象は誕生していたんだな。
☆ ジャン・ジャック・ルソー像。パリの人々は、彼の同棲(非婚)をどう見ていたのか、彼夫婦の「子捨て」をどう見ていたのか、彼の日常生活ぶり(立ち居振る舞い)をどう見ていたのか、そもそもその時代の結婚制度―婚姻の届出を含む―はどのようなものでありルソーにとってそのことがどのような障害となったのか、などなど。
このような「同時代性」にますます興味を覚えた朝。あ、ちょっとは元気が出たな。
○2006年10月、順天堂大学病院に入院し全身麻酔による手術を受けた。その際、完全禁煙を決意し、禁煙は今日まで続いている。喫煙要求は全くない。2006年10月1日は禁煙記念日。
この入院で、かなり精密な検査を受け、両肺気腫に罹病していることを告げられた。改善は望めない。症状を受け入れながら、食事、身体ケアなどをすることによって、症状の悪化を防ぐしかない、と。禁煙だけは続けたが、他の治療や保守に気を配ることを忘れ、夢中になって研究・教育に携わった。以前は体を動かすとすぐ息が切れたり、ゼーゼーと息をしたりする症状に見舞われたが、いつしかそれも気にしなくなっていた。
肺気腫はすっかり忘れてしまったが、代わりに?脳梗塞を罹病した。治療生活が今日まで続く。レントゲンは数回撮影されたが、医師が肺気腫に言及することは一度も無い。ぼくの方から訴えたことがないからだろうか。不治の病である肺気腫、症状が現在どうなっているのか、医師に尋ねた方がいいのだろうか。そんなことが気になる今。