ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

闘う白痴の教師・セガンの誕生

2018年02月09日 | 研究余話
 セガンを「白痴の教師」(l'insttuiteur des idiots)として雇用したのは、「パリ救済院等総評議会(略称)」(le conseil général des hôpitaux, des hospices, et des secours à domicile, à Paris)という、言わば、パリ中の医療機関・救済機関の総元締め機構。セガンから、その統括大臣である内務大臣のところに、「白痴の教育に携わりたい、どこでもいいから世話してほしい」という嘆願書のようなものが出されていた(セガン28歳)。当然、「身体検査」があれこれとなされたことは言うまでも無い。その結果、男子不治者救済院と女子不治者救済院の2院に「白痴の教師」との肩書きで、白痴の子どもたちの医療に関わる精神科医の下に配属されることになった。精神科医の医療プログラムの一環としての教育実験を、医師の管理の下で行うというのが任務である。
 セガンは、女子不治者救済院では勤務することがなかったが、男子不治者救済院での教育活動報告書の冒頭で、このように綴っている。「予め定められたプログラムに沿って教育を行うべきだったのでしょうか?いえ、私はそうは思いません。私が築き上げた方法ならば確実に子どもたちは発達するのですから。」
 医療計画に造反し、自ら開発してきた教育内容と方法とで白痴教育を実践するエデュアール・セガンはこうして誕生した。雇用条件の低劣さに反して志は極めて高い青年であった。まさに、「ボロは着てても心は錦~♪」である。もちろん無風であるはずもない。
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2 コメント

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Unknown (tomo)
2018-02-11 16:50:35
「ボロは着てても心は錦~♪」ですか!
ますます会いたい、青年セガン!
さまざまな医師との葛藤の中で、子供たちの「発達」こそが、彼の生き甲斐だったのではないだろうか?なんて、本を読んで思っています。
Unknown (川口幸宏)
2018-02-11 19:43:21
tomoさん、コメントをありがとうございました。フランス革命の国なのだから民主主義が強いはずだ、と考えられるのですが、実は、きわめてヒエラルキーが強い社会です。医療世界においては医師が絶対的な権力を持つ。セガンが教育の場を追われたビセートル救済院児童部門の長はマロンという人、そしてセガンを直接使用管理する人は精神科医の医学博士ヴォアザン。記録に残っているのはこの二人がセガンの存在を「困った」とみていたようです。セガンに肩入れする人はいたけれども、それは心だけで、実際には動いていません。
 セガンの後任となった人に対して「セガンの方法だけを真似しろ、人格はマネするべからず」という忠告をした、と語り継がれています。

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