ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

再稿「へちまのたわごと」—津曲セガン研究批判のために

2018年09月08日 | 研究余話
 このところ気になる研究情報と接している。いずれもセガン研究の開拓者であり、今もなお、セガン研究でリードをしておられる津曲裕次先生の論文だ。一本は「知的障害児教育の創始者エドワード・セガンの家庭及び生地についての研究ノート」(純心福祉文化研究 (6), 13-21, 2008、長崎純心福祉文化研究会)、あと一本は「セガンとその教具について」(モンテッソーリ研究第43号、2010,日本モンテッソーリ協会)。気になる研究情報というのは、前記論文のずばりタイトルとその内容。セガンの生育史。津曲先生がセガンの生育史をどのように描いているのか、そしてそれは先生のセガン研究開拓論文(記念碑的論文)「「白痴の使徒」エドワード・セガンの生涯」奈良教育大学紀要(人文・社会科学) 17(1), 279-298, 1969-02-28)からどれほど変化・発展しているのか、ということ、さらには、ぼくのセガンの生育史研究との異同が大変気になるところである。
津曲先生の最新のセガン生育史記述は2010年のご論稿である。
「生地と青年時代:セガンは1812年1月20日、フランス中部、木材の集散地オーセールで、当地の高名な医師T. O. セガンと敬虔なキリスト教徒の母との間に生を受けた。セガンは、初等・中等教育を生地オーセールで受けた後、パリのリセ、サン・ルイに学ぶ。大学名は明らかではないが、医学校(医学部とも)で内科と外科を学ぶ。云々」
 生地をクラムシーとしていた1969年論文に対して、この論文では、オーセールとなっているほか、母親が「敬虔なキリスト教徒」であったとしている点のみが、新しい。
 津曲先生は、2010年のご論文で、フランスでのペリシエ等によるセガン研究や清水寛編著『セガン 知的障害教育・福祉の源流』(2004年)にも触れた上で、それらの到達とは異なったセガンの生育史(環境)を綴っておられる。はて、セガンが生まれたのがオーセールであること、母親が敬虔なキリスト教徒であったことは、どのような史資料ないしは「言い伝え」に依拠して、確定したのであろうか。また、セガンが医学部で内科と外科を学んだというかねてからの風説を支持なさった根拠はどのような所にあるのだろうか、等々。
 ご高名でお弟子さんもたくさんおられ、先生のご研究やご指導を燈台にして実践・研究をしている機関がたくさんある。そういう方のご発言は重い、重すぎるほどに重い。そして、「セガンの生涯と業績についてはほぼ明らかにすることができた」(津曲、2010)とおっしゃる方からすれば、ヘチマのようにスカスカのぼくのような存在は、存在しないのと同じなのであろう。
 津曲先生のお弟子さんのひとりであるK氏からいただいたメールには次のように綴られていた。
「川口先生のセガンの著書名が書かれていたにも関わらず、その成果を踏まえた論になっていなかった由、いったいどうしたものか、先行研究をもとに、 それを超える研究をせよ、と言われている津曲先生ですので、川口先生の研究を歓迎し、高く評価しておられるものと思っておりました。そして、そう思っております。
 書名を書いたからには、なんらかのコメントがあるべきと思います。以前に、津曲先生が、何の話の中で言われたかは忘れたのですが、孫引きでセガン研究を始めた云々、と言っておられたことを思い出しております。今は滝乃川学園史の執筆を中心に研究していると聞いています。
 日本におけるセガン研究を進めてきた研究者は、川口先生の御著書を見て、自身の研究の不備不足に気づいて、その研究成果の高さに驚いておられると思います。川口先生にそれを伝えないことが不思議です。また、川口先生の残念な気持ちも分かります。」