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今回の兼題「桃」です。
桃の果実のことです。花とかでしたら「桃の花」となります。
桃はみずみずしく甘くて柔らかい夏の果実ですが、季語は「初秋」です。
コレも考えたことのない季語です。
そこで先人の名句を見てみました。
気になった句が「中年や遠くに実る夜の桃 西東三鬼」
三鬼は、自句自解に書いてます。
「中年というのは凡そ何歳から何歳までを言ふのか知らないが、一日の時間でいへば午後四時頃だ。さういふ男の夜の感情に豊かな桃が現れた。遠いところの木の枝に。生毛のはえた桃色の桃の実が。」
西東三鬼は女好きだったみたいで、この桃は女の象徴かと。
そんな目でこの句を見るとエロっぽいかも。
金魚の青春時代はロマンポルノ全盛。
桃尻娘なんて映画があったりして。
なんとかひねり出した一句。
「指の跡桃は泣くのか笑うのか」
桃を強く握ると握ったところに指の跡がつきます。
指の跡がついた桃はうれしいのでしようか、悲しいのでしょうかと言う唄。
どうかな。
「皮を剥く桃の初心毛が刺してくる」
桃の抵抗です。
「缶詰の桃冷ゆるまで待てぬとは 池田澄子」
これは追悼句だそうです。
缶詰の桃は以前はよくお通夜の席などに使われていたのです。
若くして死んだ俳人への哀悼の気持ちが込められているのです。
これはちょっと、金魚には無理。でも良い歌です。
「白桃の浮力が水を光らせる 東金夢明」
解説に白桃をシンクに水を入れて浮かべてみた。
手を放すと桃はゆらりと少し浮く。そして、水中で自重と浮力のはざまを行ったり来たり、指で軽くつつくと沈み切ってしまう直前の危うさでたゆたっていた。
産毛の一つ一つがまとう光は、透明な水をより透明にして想像以上に美しい。浮力というやや硬い言葉と、水を光らせる、という断定的な表現との出会いが、この想像以上の美しさを鮮やかに見せているのだそうです。
「初心毛に光る水玉」は良い光景です。
コレをなんとか。ただ今思案中。
桃の唄を考えていたら俵万智さんの唄を思い出しました。
あのサラダ記念日を桃でやってみようと。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
(俵万智)
上記をそのまま俳句にすると
「おいしいとあなたが言った桃の日よ」 てな感じですかね。
でもそれでは面白くない。もっと夕金魚風に
いい味だあなた言うから桃の日に
これうまい決めた本日桃の日と
てな感じですかね。そんな桃の日を決めておいて次の句です。
ねえあなた桃の日いつか覚えてる 夕金魚
「桃」考え中です