渡辺淳一作のエッセイを読みました。この本は平成17年5月から平成18年5月まで「週刊新潮」に連載されたエッセイをまとめられたものです。この本を手にとってパラパラとページをめくっていたら、「この熟年離婚(別居)の理由として、いまひとつ考えられるのが、夫と妻との体力の違いである。もともと女性は男性よりはるかに強い生き物である。」という文章が目に入りました。ちょっと面白そうなので読むことにしました。「弱き者、汝の名は定年後の夫」とか定年後の夫は粗大ゴミにあらず、生きているので「粗大生ゴミ」だとか、かつては働いてお金を運んできたこともあるので、「産業廃棄物」だとか。これは作者が考えられたものではなく、妻たちの本音らしいですけど・・・笑ってしまいました。他にもいろいろ面白いエッセイがありました。「花田家の過ち」「ネオヤクザ・小泉純一郎」「気を読めなくては」「亭主在宅症候群」「カサブランカに見る男と女」など題名を見るだけでも興味がわきます。また、作家だけあり、文学的な表現を楽しむこともできました。「冬遠からじ」ではうんざりして心も滅入ってしまいますが、「春遠からじ」では、春はもうすぐですよ、と心が和みます。「春まだ浅き」、まだまだ寒いですがかすかながら春の気配が感じられます。梅でも咲き始めると「春まだ浅き」を実感できるでしょう。「桜、さくら、サクラ」では古今和歌集の一首「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花のちるらむ」を紹介されています。「梅は正妻、桜は愛人」とも書かれています。梅は一輪でも凛としてあたりが引き締まる。これに比べて桜は、全身で咲き誇り、着飾って華やかな上に、これ見よがしに表に出すぎて抑えるところがないからだそうです。梅は梅のよさ、桜は桜のよさがあります。今年の誕生日には「しづ心なく」花の散るのを楽しみたいと思います。
お気に入り度:★★★★★ 図書館資料 分類番号:E/ワタ