特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

人間の本能とは

2005-02-08 20:31:01 | 祈り
 私は三浦綾子(みうらあやこ)さんの小説が好きで、ご主人の三浦光世(みうらみつよ)さんが書かれた本も含めて、ほぼすべての著作を読んでいます。
 三浦綾子さんの代表作『氷点』を読んだのは学生時代。そして本格的に読み始めたのは社会人になってからだったと思います。『塩狩峠』を会社の同期が勧めてくれたのが最初でした。

 現在でも「三浦綾子記念文学館」の賛助会員で、昨年(八月七日)旭川で開催された三浦綾子『氷点』40周年記念懇親会にも東京から泊りがけで参加したほどの大ファンです。

 その小説『氷点』のテーマは“原罪(げんざい)”です。一言で言えば、人間は生まれながらにして、“罪を背負っている”ということになります。

 一月二十三日の主日礼拝の説教で“オンヌリ教会”のハ・ヨンジョ牧師先生が“人間の罪”について触れられている箇所がありました。ここにその一部をご紹介しようと思います。

**********一月二十三日主日礼拝より**********(ヨハネによる福音書 第十七章 十二~十九節)

 
『人間の本能というのは“愛”ではなくて“憎しみ”です。黙っていても“憎しみ合う”のが人間です。
 人の本能は“分かち合い”でなく“所有”です。“平和”ではなく“戦争”です。
 初めのうちは“平和”のように思えるでしょう。初めは“分かち合う”ように見えるでしょう。初めは“愛している”ように思うでしょう。しかし時が経てば、腐敗した人間の本質が自然と現れてくるのです。
 
 人間は“一致”するよりも、しばしば“分裂”します。“分裂欲”があるんです。何故、お互い黙っていても“争い”、“批判し”、“別れて”しまうのか?理由は簡単です。その中に(人間の中に)罪があるからです。“罪の根”があるからです。“道徳”と“教養”そして“教え”によって、初めのうちはなかなか“罪”が見えないんです。しかし、しばらくすると、人間の中に“罪のかたまりである根”があらわになるんです。
 
 人には“所有”しようという“欲望”があります。“所有に対する欲望”ですね。他人を“支配”しようとする“権力に対する欲望”。そして人を信じない“疑心”の本能が備わっているんです。結局は、信じると言いながら、他人を疑い、一つになろうといいながら別れて、争ってしまうのが人間です。

(中略)

 イエス様がいらっしゃたのは、一言で言えば“和解させる者”としてこの地上においでになりました。
 どうぞみなさんも“トラブルメーカー”ではなく、“ピースメーカー”になってください』

翻訳・文責:特上カルビ

 写真は三浦光世さんが品川教会で講演をされた際に直接サインを頂いた日韓対訳聖書(私の宝物です)。

「カフェラテ二つね!」

2005-02-08 16:07:21 | ソウル見て歩き
 雨が降ると言っていたのに結局降らず。曇りのち晴れ。最低気温2度。

 三連休初日、七時に起床。朝食後ソウル市庁近くのソウル市立美術館(写真)へ出かけた。旧正月の三連休中は無料観覧ができるのだ。そのほかにも慶福宮(キョンボックン)や徳寿宮(トクスグン)などの故宮では、韓服(ハンボク=韓国の伝統衣装)を着ていると入場無料になるといった嬉しいサービスを実施している。

 この時期都心部のオフィス街は人も車も空いているので、いつもよりのんびりとした雰囲気だ。美術館内も空いている。『第三回ソウル国際メディアアート・ビエンナーレ』ということで映像を中心とした多様な展示作品が目を引く。気に入った作品の前で思う存分映像観賞を楽しんだ。学芸員による無料のミュージアム・ツアーも一日に数回実施しているので、韓国語を解せる方にはお薦めだ。

 お昼前に美術館を出て、徳寿宮(トクスグン)のすぐ脇にある“ダンキンドーナッツ”に入った。日本からは撤退してしまった“ダンキン”だが、お隣の国ではあちこちで見かける。私が会計を済ませて、コーヒーが出来るのを待っていると日本から来たオバサマ二人がご来店。レジカウンターに来るなり「カフェラテ二つね!」と見事な日本語でご注文。さすがオバサマ。怖いもの無しだ!店員も場所柄“外国人観光客慣れ”しているのか“カペラッテ”であることを察し、笑顔で応対していた。

 その光景を一部始終見ていた私のほうが恥ずかしくなってしまい、思いっきり“ワタシ ニホンゴ ワカリマセン!モード”になった。私は“超”が百個ぐらいつく小心者だ。外国へ行った時は、現地の言葉が話せないとうだけで、罪悪感に駆られてしまう。

 そんな訳で、私が今まで行ったことがある外国は韓国を除いて“アメリカ領(ハワイ,グアム,サイパン)”、“中国(香港,上海)”、“台湾(台北)”、“ロシア(ウラジ・オストク)”、“オーストラリア(シドニー,エアーズ・ロック)”しかない。

 日本語が明らかに通じる場所(ホテルなど)を除いては、英単語を並べただけの英語だったり、指をさしたり、ただ笑うだけだったりしたが、韓国で生活を始めてからは外国語に対する“免疫”が出来たようで、以前ほどの“過剰なアレルギー反応”は見られなくなった。

 だからと言って、外国の街中にあるお店に入って「カフェラテ二つね!」と思いっきり日本語で注文するだけの勇気は未だ持ち合わせていない。

 韓国のファーストフード店ではコーヒーの紙コップ代として50ウォンを価格に上乗せするのが普通だ。“ダンキン”でもほとんどの店で同様のシステムを取っている。飲み終わった紙コップをレジカウンターに持っていくと、50ウォンを返してくれる。いわゆる保証金(デポジット)というわけだ。

 例のオバサマ二人が私の席の斜め後ろのテーブルに座った。

 「カフェラテの紙コップ、飲み終わられたら、カウンターに返すと二つで100ウォン戻って来ますよ」と教えてあげようかと思ったが、「そんなコト知ってるわよ!」などと言われると超小心者の私は“困ったチャン”と化してしまうので、“ニホンゴ ワカリマセン!モード”のままお店を出てきてしまった。もちろん自分の紙コップの保証金50ウォンは返してもらった。

 こんな自分の性格がどうしても好きになれない。