わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

孤独を甘やかす…山手通り

2010-11-25 21:55:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

椎名林檎「罪と罰」

高校をドロップアウトし、福岡から上京、妖艷、美貌、衝撃、波乱、古風なセンスを持ち、日本におけるオルタナティブロックを定着させ、今はバンド「東京事変」と並行で活躍している椎名林檎。

そんな、2006年トリノ冬季五輪でカーリング日本代表として出場し、その後は引退状態で結婚と出産、2010年バンクーバー冬季五輪ではカーリング中継の解説を行い、日本代表の活躍ぶりに刺激を受け、一児の母として現役復帰宣言した小笠原(旧姓小野寺)歩と同じ生年月日、かつ同じ潜在能力である彼女でありますが(彼女も一児の母であるがシングル)、

彼女の特徴とこだわりは、
詞には漢字や文語調の言葉、仮名遣い(歴史的仮名遣いではない)を多用。時に白目を剥き、巻舌を織り交ぜながら歌う。

また、「新宿系自作自演屋」を自称していた。これは、1990年代前半に一世を風靡した渋谷系をもじったもので、何故そう名乗ったのかと聞かれると、「ジャンルは何系か?という質問にいちいち答えるのが面倒くさかったから」、あるいは「小奇麗な渋谷系と差別化するため」などと答えている。

大のベスト・アルバム嫌いであり、過去に幾度となく「自分は絶対にベスト・アルバムをリリースしない」と公言している。

実際、椎名の妊娠・出産後に、本人の活動再開の兆しが一向に伺えないことを危惧したレコード会社側がベスト・アルバムのリリースを要請した際も、断った。そこで、2枚組カバー・アルバム「唄ひ手冥利~其ノ壱~」が代替案としてリリースされた。

CDの収録曲の合間の3秒程度の無音状態を嫌い、自身の作品ではそれを省いている。

イチローの大ファンである。テレビ番組で「ICHIRO-MONDOW ~Two Chairs~」、「僕らの音楽」で対談もしている。東京事変の楽曲「スーパースター」は、イチローをモデルに作ったと本人に伝え、イチローは「スーパースター」という言葉は大嫌いだが、歌詞の最後のフレーズで「私の」が前に付いていた事が非常に良かった、と感想を述べている。

ビッグコミック・スピリッツでの漫画家の吉田戦車との対談で、彼に強い影響を受けたと告白。「椎名林檎」という芸名も、「吉田戦車」という単語を発音した場合の語感を参考にしたという。

2003年に手術によって除去された鼻の下のほくろについては、「小学校時代に女優の沢口靖子やマドンナのように口元にほくろのある女性に憧れて、ペンで書いていたら本物になった」とする本人の談がある。

この曲は、

2000年1月26日に、シングル「ギブス」と同時にリリース。

1999年初旬「ここでキスして。」のリリース後に椎名が過労から化膿性炎症を発症し全ての活動を休止、自宅療養していた際に書かれた。音楽性としては1970年代風のロック・バラードであると指摘されており、椎名はこの楽曲を巻き舌を用いて歌っている。更に楽曲にはゲスト・ミュージシャンとして元BLANKEY JET CITYの浅井健一がギターで参加している。

この楽曲は、前作「本能」に続き、大衆的に成功を収めており、オリコンシングル・チャートで最高位4位を記録。シングルは累計で54万枚以上を売り上げている。

楽曲のミュージック・ビデオは木村豊が監督を務め、ビデオは、椎名が中古で買った1970年製のメルセデス・ベンツ通称「ヒトラー」を、ルパンⅢ世の石川五ェ門の斬鉄剣を意識したまっ二つに切るというコンセプトの元で制作された。

ビデオで椎名は眉を全剃りし両目の周りが真っ黒に塗られた容貌で刀を一振りし、車を真っ二つにしている。このビデオは評価を受け、2000年のSPACE SHOWER Music Video Awardsでは最優秀女性アーティストビデオ賞を受賞した。

ではどうぞ。
きれいに二分した(斬るのに2000万かかったとか)ヒトラーは富士山の麓の高原で爆破され、ヒトラーが弔われている。「ヒトラー」の亡骸は撮影終了後廃車とはされず、東芝EMIの美術倉庫に保管されることとなった…

椎名林檎さん、小笠原歩さん、

「お誕生日おめでとうございます。」


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