お届けするのは
YMO「Cosmic Surfin' 」
今年の「フジロックフェスティバル」の最終日に登場し、今頃は大盛況に終わったと思いますが、
その後もライブてんこ盛りでありあす!
この曲は、椎名林檎が生まれた日にリリースしたデビューアルバムに収録されたナンバー。
細野晴臣によるプロデュースで、坂本龍一と高橋幸宏と3人で楽曲を提供した。
このとき高橋は作曲経験が浅かったため、坂本から作曲の方法を聞いたり、鼻歌を坂本が書き留めて譜面化するなどしていたという。
また、当時細野は本名ではなく「ハリー細野」と名乗っており、プロデューサー名のクレジットも「HARRY HOSONO」となっている。
ジャケットデザインは脇田愛二郎。
アルバム制作費は当時の一般的な製作費の倍に当たる800万円をかけていた。
アルバムには収録されなかった楽曲に、「インド」(仮タイトル)がある。(後にPre-YMO名義で発表)
このアルバムがリリースされた時は話題すらなかったが、翌年にU.S.版がリリースされ、アメリカで話題となり、そこから伝説が始まるのだった...
YMOについて、
神様3人が語録を残しているので、
紹介します。
「たまたま時代の本流をつかんでしまった。時代がYMOを取り入れたのです。」細野晴臣
「YMOの世界進出は、世界最新のテクノロジーで武装するアンドノイド戦士であることが必要条件だった。」坂本龍一
「今は同化の時代でしょ。ロックを聴いて拳をあげるという。気持ち悪いですね。」高橋幸宏
1980年日本武道館より。
YMO「Cosmic Surfin' 」
今年の「フジロックフェスティバル」の最終日に登場し、今頃は大盛況に終わったと思いますが、
その後もライブてんこ盛りでありあす!
この曲は、椎名林檎が生まれた日にリリースしたデビューアルバムに収録されたナンバー。
細野晴臣によるプロデュースで、坂本龍一と高橋幸宏と3人で楽曲を提供した。
このとき高橋は作曲経験が浅かったため、坂本から作曲の方法を聞いたり、鼻歌を坂本が書き留めて譜面化するなどしていたという。
また、当時細野は本名ではなく「ハリー細野」と名乗っており、プロデューサー名のクレジットも「HARRY HOSONO」となっている。
ジャケットデザインは脇田愛二郎。
アルバム制作費は当時の一般的な製作費の倍に当たる800万円をかけていた。
アルバムには収録されなかった楽曲に、「インド」(仮タイトル)がある。(後にPre-YMO名義で発表)
このアルバムがリリースされた時は話題すらなかったが、翌年にU.S.版がリリースされ、アメリカで話題となり、そこから伝説が始まるのだった...
YMOについて、
神様3人が語録を残しているので、
紹介します。
「たまたま時代の本流をつかんでしまった。時代がYMOを取り入れたのです。」細野晴臣
「YMOの世界進出は、世界最新のテクノロジーで武装するアンドノイド戦士であることが必要条件だった。」坂本龍一
「今は同化の時代でしょ。ロックを聴いて拳をあげるという。気持ち悪いですね。」高橋幸宏
1980年日本武道館より。