わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

一生一度の人生

2011-08-07 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

小原乃梨子「のんきなのび太くん」

本日は彼女が2代目として25年間声優を務めた(1979年から2005年までテレビ朝日版「ドラえもん」において)のび太くんのお誕生日ということでアップしました。


のび太くんとは・・・

勉強は駄目、スポーツも駄目、何をやらせても冴えない少年。

物語は彼の不幸な将来を変えるために、未来の子孫であるセワシからドラえもんが送られたことから始まる。

以降、困りごとがあったり、トラブルに巻き込まれるとドラえもんに泣きつき、ひみつ道具に頼ろうとする。

それに応じて出したひみつ道具を応用することに関しては、時折天才的なひらめきを見せるが、結果的に失敗することが多々ある。

大長編シリーズおよび映画シリーズでは上に述べた欠点が希薄になり、しばしば勇敢な少年として描かれる。

このことは作品内でもスネ夫に、のび太は大長編だとかっこよくなるという旨のセリフを言わせている。


特技は睡眠、あやとり、ピーナツの投げ食い、鼻くそを丸めての射撃、漫画を読む。

何をやってもダメで、ジャイやスネにいじめられ、周りから叱られてばかりいながらも大人になって、学校一のヒロインしずちゃんと結婚するというめでたい男になっていくのだけど、そんな中、横山泰行著「のび太という生き方」があり、のび太の研究をまとめた内容で、今その本を読んでますが、


のび太は屈していても夢や希望は常に持っていて、ジャイやスネなどに馬鹿にされ力で押されても、あきらめない心は最強であるもの、性格が完全主義でなく、中途半端なもので、自分が楽しみにしている特技で自分なりの満足を得て、まさにのんびりしている魅力があるのではないでしょうか・・・

で、


「のび太という生き方」に対しての感想を紹介。


糸久拓見氏による感想を。(逗子開成中学・高等学校HPより)

 「ドラえもん」はマンガ世紀の最高傑作と言われ、海外でも人気の高い不朽の名作である。このマンガの主人公でダメなやつの代名詞にもなっているのび太について多くの読者は、成績が悪く、運動もまるで駄目、先生や母親に叱られることは日常茶飯事、友だちからはいじめられてばかり、しかし、ドラえもんのひみつ道具が彼に夢を運んでくる…と思っているかもしれない。だが、「のび太という男の子は、じつは想像以上に人生を上手に歩んでいる」と著者は言っている。僕も本書に出会うまで、「ドラえもん」について、小学生向けのマンガとしか思っていなかったし、無理に回を重ねている感があった。しかし、実は大部分のひみつ道具に、常に何らかのメッセージがあり、それらを総括して言うと、何が起ころうと自らの力で解決することが最も良い対処法であるということだ。本書を読んで作者の子供たちへのメッセージが「ドラえもん」の底流にあることを知り、目から鱗が落ちた。また、「ドラえもん」の内容は多様化しており、いじめや、不登校、自殺志願といった問題から、環境問題など、現代社会が抱えている問題を、その問題に対する価値あるメッセージと共に取り込んでいると著者は分析している。このように考えると、「ドラえもん」は非常に奥が深く、「所詮はマンガ」の一言では片付けられないように思う。のび太はひみつ道具の助けや自らが置かれた境遇により、潜在意識の中で眠っていた、優れた資質が現れた。言いかえれば、のび太の中で眠っていた原石がひみつ道具などにより磨かれていった結果、美しく輝く宝石となったのである。僕の中に眠る原石はまだ、宝石にはなっていないけれども、磨くことができるきっかけを可能なだけ掴みたいと思う。

 僕は心配症でマイナス方向に考えすぎだとよく言われる。これは自分でも感じていることで、例を挙げれば数限りないほどだ。また、自分に対する自信もなく、よく失敗してしまう。よく失敗する点は似ているが、僕とのび太との大きな違いは楽観的か悲観的かという点だと思う。のび太はあまり事態を深刻に受け止めることなく、何事に対しても、失敗を恐れずに比較的さらりと対応する。しかし、僕はと言うと、何事も深刻に受け止めすぎる傾向があり、失敗を恐れてなかなか行動に移ることができない。まず、夢を叶えるために、先の事をあまり深く考えず、今取りくんでいる事に全力を尽くし、失敗してしまったら再度チャレンジすればいいという考えを念頭に置いておきたいと思う。「ほかのものが目に入らないほどの集中力を持って目標に打ち込むことで、『くじけない心』は、さらに強さを増すことができる」と著者は言う。「くじけない心」は僕に決定的に足りないものである。しかし、今の僕には一心不乱になって打ち込むことができるものがないので、まずそれを探さなくてはならない。また、のび太はどんなに痛めつけられても、悪口や妬みよりも、「なにくそ」といった反発力の方ヘエネルギーを昇華させている。このように、悪口を口にせず、行動するためには、他人の素晴らしい面を素直に「いいな」と肯定する姿勢が必要で、そういう姿勢が、自分を成長させられるのである。しかし、「いいな」と肯定することはできても、悪口や妬みにエネルギーを使わないのは難しいと思う。これも心のゆとりが関係しているのだろう。本書を読み進めて、夢を叶えるための法則と今の自分との違いを知り、少々落ち込んでいる中で、ただ一つ一致しているものがあった。それは、「欲があまり無い」という点である。この一致は非常に嬉しく思えた。のび太の長所として代表的なものに、優しく何に対しても分け隔てなく接することができるというものがあり、そのような姿勢が楽しく暮らしながら夢を叶える基礎だと著者は言っている。つまり今も社会に根強く残っている差別や偏見を無くし、相手がどんなものであれ、優しく接しようということだ。これは個人がそれぞれ自覚しなくてはいけないと思う。また、藤子・F・不二雄が「ドラえもん」を描いていた頃よりも、大人も子供も忙しくなっているので、その分、ストレスが溜まりやすいと思う。それは少年犯罪の件数が増えていることからも分かる。日々、メディアを騒がせている少年犯罪の中には、両親や学校の先生に見離されたことが原因となっているように見受けられるものがある。親が子供を叱ることは、実は子供がまだ親に信用されており、見離されてはいないことの証なのだということを改めて感じた。

 ダメなやつの代名詞であるのび太から人生について学んだことは癪ではあるが、僕以外にものび太から色々と学ぶべき人々は沢山いると思う。やがて勝ち組となるであろうのび太の生き方を見ていると、大らかに、前向きに、自分を見失うことなく、淡々と生きていく事が大切だと思うし、親や友だち、ひいては社会に受け入れられているという実感もとても大切なことだと思った。また、のび太が夢を叶えることが出来た根本的な理由はドラえもんと出会ったからである。つまり、ドラえもんはロボットの形をした希望そのものであると言える。僕にロボットの形をしたドラえもんはいないけれども、心の中にドラえもんは存在する。希望を持ち続けることにより、心の輝きを失わずに、豊かな人生を送りたいと思う。

果たして大人になったのび太の顔は・・・



OR






どっちだろうか・・・?
そんなレッチリのアンソニーと同じ潜在能力の小原さんですが、

のび太をする前は、「タイムボカン」シリーズのドロンジョなど悪役お色気キャラ、「アルプスの少女ハイジ」のペーター、「未来少年コナン」の主人公コナン・・・という声優生活24年(テレ朝版「ドラえもん」放送開始した1979年基準で)というベテランで、

そんな面白いエピソードを。

『ヤッターマン』の収録中、当時掛け持ちしていた『ドラえもん』の収録スタジオと勘違いし、「ドラえもーん、じゃなかった、ボヤッキー」と言い間違ったことがある。

ところが、その部分はカットされず、そのままオンエアーされた。後のインタビューで小原は、「意外と面白かったのでそのまま使った」との事。(『ヤッターマン』及び一連の『タイムボカンシリーズ』では、台本よりアドリブ優先の考えが強かったことを裏付けるエピソードといえる)

26年間「のび太」を務めた後、

2005年、第14回日本映画批評家大賞で、大山のぶ代ら『ドラえもん』(テレビ朝日版)のオリジナルレギュラー陣4人とともに田山力哉賞を受賞。さらに2006年11月、第11回アニメーション神戸で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに特別賞を受賞。2007年3月には東京国際アニメフェア2007で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに第3回功労賞を受賞。

2007年3月3日、第1回声優アワード功労賞を受賞。

現在もキャリア56年、声優業をこなしている。


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