わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

夜にぴったりなBEAT

2010-11-24 21:20:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

佐野元春「悲しきRadio」

この曲は、1981年にリリースした2枚目のアルバム「HEART BEAT」に収録したRadio(YOU、「レディオ」だよbyジャニーズ事務所社長)の思いを入魂こめて歌ったロックナンバー。

そのころの佐野さんは、デビュー1年が経過したころで、まだ大ヒットには至ってなく無名アーティストな状態であった。

4月に『サウンド・ストリート』(NHK-FM)の月曜日担当になり、同番組の枠で『元春レイディオショー』を開始。

6月にシングル「SOMEDAY」を発表。

これが大瀧詠一の目にとまり、大瀧のプロジェクト「ナイアガラ・トライアングル」に杉真理とともに参加。

3人の所属レーベル・事務所(大瀧と杉はレーベルのみ一緒)が違い、関係者間の調整が長引くことを嫌がった大瀧は7月24日の杉のイベントライブ(ゲスト:大瀧、友情出演:佐野)のステージ上で、ファンに『Niagara Triangle vol.2』の製作をゲリラ的に発表し、既成事実を作って関係者間の調整を縮めるという裏技を使った。

自らのアルバム⇒3枚目のアルバム「SOMEDAY」と『Niagara Triangle vol.2』のレコーディングを並行して制作、大瀧から多くのことをインプットしながら自作にアウトプットしていった。

同年11月には大瀧の「ヘッドフォンコンサート」(渋谷公会堂)に参加、ナイアガラファンクラブのハワイ旅行にも参加するなど、ナイアガラとの交流を深めた。。。

翌年アルバム「Niagara Triangle vol.2」が、大ヒットした大瀧詠一アルバム「A Long Vacation」の続編的アルバムとして話題となり、オリコンアルバムチャートで1位を獲得、そこから佐野さんの知名度を上げるきっかけとなり、しばらくしリリースした佐野さんの3枚目アルバムアルバム「SOMEDAY」がオリコンアルバムチャート4位を記録、多くの若者のハートをつかむこととなる。。。

佐野さんの最近の状況は、NHK教育の「ソングライターズ」、NHKFM「元春レディオショー」と理屈ない中身の濃い内容の番組を持っていて、今の音楽界に不満を持っている中学生、高校生、またそれ以上の方々にはぜひ味わってほしいオススメ番組です。

NHKが縁ということ、今年デビュー30周年ということもあり、2010年NHK紅白歌合戦に出場が確定的と言われている。

そんな近藤春菜(ハリセンボン)と同じ潜在能力の佐野さんですが、

人物像として、

ボソボソとした口調で淡々と平板な、それでいてリズミカルな語り口で、ものまねされることが多い。インタビューなどで『.....そうだね...』と答えるのが口癖。

諏訪優と交流を持ち、アレン・ギンズバーグ、グレゴリー・コルソー、ゲイリー・スナイダーにインタビューを行うなど、ビートニクスへの造詣が深い。2007年の著書『ビートニクス』は、ビート派の作家・詩人たちについての本であり、ジャック・ケルアックが旅した地を再訪した文章や前述したインタビュー等が収録されている。

株式会社ロッキング・オン社長の渋谷陽一は、ROCKIN'ON JAPANを刊行する際「第一号の表紙は絶対に佐野元春しかいないと思っていた」と語っている。一方で渋谷は、デビュー前の佐野に評論家の見地から苦言を呈してもいる(『ロックは語れない』新潮文庫)。

少年時代は、夢と現実の区別があまりはっきりしない情緒不安定な子供だった。

高校時代、家出をし横浜でパントマイマーと共に暮らしていたことがある。

他者に楽曲を提供する際に「Holland Rose」というペンネームを使うときがある。この名前は、佐野がDJを務めるラジオ番組に小学生リスナーが送ってきたリクエストハガキで「ホール&オーツ」を間違えてホーランドローズと書いていた微笑ましいエピソードをヒントに付けたという。

1992年アルバム『スウィート16』は、日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞した。しかし、本人がこのことを知ったのは、受賞から2年後。マネジメント事務所の隅にひっそりと置いてあったトロフィーを見てはじめてその事実に気づいたという。

エピックレコードの全盛期、同レーベルの大ボスとして、同所属歌手(渡辺美里や大江千里など)から敬意を表されている。渡辺美里は自身のインタビューが編集者によって編集されて、自身の発言とまったく違った言葉が雑誌に載っていたことを悲しみ、佐野にその事を告げると、「あっ、そういう事がこれからあったら僕に言って」と渡辺美里に話したと言う。

「霧の中のダライラマ」の曲名が示すとおり「チベット自由と人権の集い」に賛同者として名を連ねており、中国によるチベット侵略に抗議しチベット民族に対する人権侵害に反対している。

基本的にテレビに出演することは少ないが、そこでのトークは印象的でHEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPに出演した時はダウンタウンの松本人志に(トークについていけないので)「佐野さんホンマ勘弁してくださいよ」と泣きを入れられた。

この時、海岸を散策していた時に佐野を遠くから見つめる野生動物に向かって「こっちへ来いよ」と呼びかけたことをダウンタウンに激しく突っ込まれ、年末の特番では「動物愛護賞」を授与されていた。

2006年から2007年9月まで、DonDokoDonの山口智充が司会を務める「MusiG」(よみうりテレビ製作・日本テレビ系)にて、レギュラー出演をしている。2007年、佐野と山口、山本耕史の3人によるユニットThe Whey-hey-hey Brothersを結成し、1枚のシングルを出した。

アップしたものはYouTubeより。

2ikaten61氏(私宛にメールありがとうございます!)による投稿でのオリジナルフォトPVで、この曲にぴったりの夜のハイウェイをイメージするものとなってます。

この曲を通じ、高校生の尾崎豊、吉川晃司、太田光、田中裕二らが自分の突き進む道に往ったのは言うまでもない。

佐野さんの1億円の使い道は「新しい音楽スタジオを作る」とのこと(「ダウンタウンのガキの使いはあらへんで」の「佐野元春500の質問」より)。

さすが「ロックミュージシャン」。


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