わしやま

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俺を泣かせるなよ大木ちゃん

2010-11-28 22:30:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

近藤真彦「スニーカーぶる~す」

TBS系テレビドラマ『3年B組金八先生』(1979年10月から1980年3月放送)で俳優デビューを果たした近藤真彦が、大木優紀さん(テレビ朝日アナウンサー)が生まれた1980年12月12日にシングルのこの曲で、歌手デビューを果たし、シングルで自身最大のヒット曲となっている(2008年時点)。

また男性ソロアイドルとしては初のオリコン初登場1位、ミリオンセールスとなった作品である。

オリコン週間ヒットチャートで1位を記録した。なお、オリコン史上初の「デビュー・シングルで初登場1位を獲得したシングル」となる(デビュー・シングルという括りをなくすと、「およげ!たいやきくん」が史上初のオリコン初登場1位曲)。TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』でも最高1位を記録。同番組では13週連続ベストテン内チャートインを果たした。

2006年1月1日に発売された、歌手デビュー25周年記念商品『マッチ箱 *25th Anniversary Complete Singles Edition*』に、B面曲を含めたマキシシングル・サイズで復刻された。CD-BOXのみで、個別販売はしていない。また、上記BOX『マッチ箱』と同時に発売されたトリビュート・アルバムでは、Scoobie Doが本楽曲をカヴァーしている。

作詞は松本隆、作曲は筒美京平が担当。

この曲は、「男」といえば逞しさを象徴するイメージがあったもの、1970代後半に松本さんが作詞した原田真二「てぃーんずぶるーす」以降のくよくよし、苦い青春を送る10代の男の姿を原田さんが歌っていたが、1980年代からマッチが歌うこととなる。。。

そこそこの歌唱力ながらも、10代の苦い青春を代弁し、共感を持つようになり、今の「草食系男子」というものにつながっていくこととななる。。。

その後マッチは、成長、歌唱力に磨きを上げ、1981年にレコード大賞最優秀新人賞、1987年に「愚か者」でレコード大賞最優秀賞、2010年に歌唱賞を受賞することとなる。。。

ジャニーズ事務所の最年長タレント、事務所取締役、レーシングチーム「KONDO Racing」を運営する株式会社エムケイカンパニーの、代表取締役社長兼チーム監督としての顔も持ち、今年歌手デビュー30周年を迎え、2010年Yahho!検索ワードの人物で1位になった前田敦子(AKB48メンバー)と同じ潜在能力の「マッチ1本火事のもと!」なボンタン(校則違反の学ラン)のポケットに手を入れて「コンドーです!!」by片岡鶴太郎(「SMAP×SMAP」より。水墨画家の顔を持つ鶴太郎が後輩のSMAPに水墨画を教え、SMAPが水墨画を描いて評価するコーナーにて、SMAP一同がモノマネをリクエストされ彼の代表曲「ギンギラギンにさりげなく」のフレーズを披露した)な彼ですが、

自称「日本一の雨男」。特に花火大会を観に行こうとするとなぜか雨天中止になることが多いという。2010年8月に神宮外苑花火大会に出演した際も上空に雲が立ち込め開催が危ぶまれたほど(ただし雨は降らず、大会は無事開催された)。また、2010年のF1日本GPの解説を務めるため、鈴鹿サーキットに赴いたが、豪雨によってレースの予選が中止になるというハプニングに遭遇した。

また、ジャニーズの後輩達に関しては、「本来は同じ芸能界で活動するライバルなので厳しくしなければならないが、自分が一番の年長者で歳も離れているので、慕ってくればつい優しくしてしまう」と発言している。

アップしたのはこの曲が流行った1981年当時の風情映像から(NHKの深夜番組より)。

渋谷の歩行者天国(今は廃止)で当時流行っていたディスコクラブに入るお金が足りず、外に溜まりこんでいた若者たちがブティック「竹の子」で購入した衣装を身にまとい、「アースウィンド&ザ・ファイヤー」、「ABBA」、「イエロー・マジック・オーケストラ」(彼らがしていた髪型「テクノカット」は一大ブームを巻き起こし、10代が通う学校では禁止するところも出ていたが、その頃マッチの髪型「マッチカット」も10代を中心にブームになり、マッチがもみあげがないため、刈り上げたら勝手にテクノカットになっていたため学校側も収束していたとか・・・)のナンバーをラジカセで流し、踊っている模様。

彼らのことを「竹の子族」と呼んでいた。


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