わしやま

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絆を乗せたラブソング

2011-08-12 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

GLAY 「summer FM」

わしやま音楽祭では初登場です。

概要を。

1988年にTERU・TAKUROを中心に結成。その後TAKUROの高校時代の友人であったHISASHI、さらに上京後、地元が一緒で顔見知りだったJIROを加え、1994年5月25日にシングル「RAIN」でメジャーデビュー。

1995年に「Yes, Summerdays」が注目を受け、1996年に「グロリアス」がヒット。その後2ndアルバム『BEAT out!』がオリコン初登場1位を獲得。以降「BELOVED」「口唇」「HOWEVER」などがヒット。1997年に発売のベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』が当時の歴代アルバムセールス1位の約488万枚を記録し、1998年から1999年までのベストアルバムブームのきっかけとなった。また1998年2月にはコンサートチケット予約の電話が殺到して電話回線がパンクするという事態も起き、その出来事が新聞に掲載されるほどにまで人気が絶頂した。

それ以後も1998年に同時リリースされた「誘惑」「SOUL LOVE」などヒット曲を連発。「サバイバル」が歴代ビデオシングル1位を記録。1999年3月には東京ドームで5日間のライブを決行。同年7月31日、幕張メッセ屋外有料駐車場で『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO'99 SURVIVAL』を行い、2011年現在日本最多、有料ライブに限れば世界最多の約20万人を動員した。12月には「Winter,again」で第41回日本レコード大賞を受賞(後に、レコード大賞受賞を巡り、解散の危機になっていたことが明らかになった)。

また同じEXTASY RECORDSからCDをリリースしたLUNA SEAと1999年12月に東京ドームで対バンを行った。この1998年から2000年はビジュアル系ロックバンド全盛期と呼ばれ、同時期にブレイクしたL'Arc〜en〜Cielと共に当時の音楽界を牽引していった。当時のGLAYは自らヴィジュアル系を名乗るなど肯定的な姿勢を示していた(現在のGLAYについてはヴィジュアル系ではないとする見方が強いが、このことについてメンバー自身は特に否定的ではない)。

2000年代に入ると爆発的な人気は収束を見せるが、以降も度々GLAY EXPO等の大規模野外ライブを行い、また2010年現在までシングルまたはアルバムで各年ごとに少なくとも1作品はオリコンチャート週間1位を獲得しており、ファンの支持は根強い。この年代において特筆すべきライブとしては、2002年に日中国交正常化30周年を記念して北京にて『GLAY ONE LOVE in 北京』を決行したことが挙げられる。この時には中国最高指導者江沢民への表敬訪問を実現した。

2005年に事務所を独立、2010年には自主レーベルを設立するなど近年は独立志向が強い。デビュー以来2011年現在に至るまで活動休止を宣言したことはなく、新譜の発売やライブ活動を毎年コンスタントに行っており、総じて精力的に活動を続けている。

2011年現在シングルでは「口唇」「HOWEVER」「誘惑」「SOUL LOVE」「BE WITH YOU」「Winter,again」「ここではない、どこかへ」「とまどい/SPECIAL THANKS」の8作品が、アルバムでは『BELOVED』『REVIEW-BEST OF GLAY』『pure soul』『HEAVY GAUGE』『DRIVE-GLAY complete BEST』の5作品が日本レコード協会からミリオン認定を受けている。オリコンの集計では「口唇」「ここではない、どこかへ」を除く6作品がミリオンセラーとなっており、シングルミリオンセラー作品数はB'z、Mr.Childrenに次いで日本歴代3位である。

2011年現在レコード会社は「フォーライフミュージックエンタテイメント」に、レーベルはメンバーが自ら設立した「loversoul music & associates」に所属している。ただし自主レーベルに所属しているとはいえフォーライフミュージックエンタテイメントは日本レコード協会に所属しているので、GLAYはインディーズではなくメジャーである。

この曲は、1999年、17枚目のシングル「ここではないどこかで」のカップリング曲で、

TERUのラジオが5年目に突入した記念にTAKUROが作った曲である。歌詞のシチューエーションは千葉市の稲毛海岸と、bayfmの周辺である。

アップしたのは、幕張メッセ特設ステージにて行った音楽界では史上最多20万人動員野外ライブ「GLAY EXPO」より。

バンド名の由来は、

造語。音楽のジャンルが黒(ロック)でもなければ白(ポップ)でもないという意味である。ビートルズがバンド名を造語にしたことに因み、TAKUROがGRAY(英語。"灰色"の意)の"R"を"L"とした。また函館の冬空の色(灰色)にもかけている。また、灰色には不純なイメージがあると思われるからともいわれる。

しかし、2010年5月25日に放送されたDON!(日本テレビ系)にて「名前の由来は?」との質問にTAKUROは「前は、黒でもなければ白でもない・・・と言っていたが、実際は響きですね。」と語っている。

単なるスペルミスだったと語る同級生の記事がフライデーに掲載されたことがある。
BOØWYの様に誰でも知っている英単語をわざとスペルを変えて名乗るのがカッコイイとして、Lにしたと語っていた事もある。


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