わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

血を地で行くのが吾道

2010-11-24 21:45:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

Sid Vicious「My Way」

セックス・ピストルズの2代目ベーシスト。極度の麻薬中毒者としても知られる。パンクロックを地で行く生き方から、彼を「パンクの精神」と呼び、崇拝する人間はイギリス国内外問わず数多い。

この曲は1974年アデランスのCMに出演したことがあるポール・アンカが、歌手引退の噂があったフランク・シナトラのために書き下ろし、シナトラの代表するスタンダードナンバーで、熱唱しすぎると周りがドン引きするおじさん方のカラオケスタンダードナンバーを、パンクを地で行く生きざまを魅せたシド・ヴィシャスがヘタクソに歌いカバーしたパンクロックナンバー。

そんな大竹しのぶと同じ潜在能力のシドであるが、

元々彼は、セックス・ピストルズの熱狂的なファンの一人であり、ファンの頃からピストルズの記者会見中に記者が邪魔でピストルズが見えないと言ってその記者を殴るなど、目立った存在だった。シドという芸名は、ジョニー・ロットンが昔飼っていたハムスターの名前から。そしてそのハムスターがジョニーの父親に噛み付いた事からヴィシャス(凶暴な)という苗字が付け加えられた。ピストルズのライブで初めて怪我人が出た際も、原因は当時ただの客の一人であったシドがステージに向かって投げたビール・グラスがその男性の顔面を直撃して割れた為である。

ルックスが良く、ヴォーカルのジョニー・ロットンとファッション関係の専門学校時代の友人でもあった。その縁もあってか、初代ベーシストにして唯一の作曲者グレン・マトロックがセックス・ピストルズを脱退すると、バンドのマネージャーであったマルコム・マクラレンの誘いがあって、後任のベーシストとなった。加入した当初は全くベースを弾いたことがなく、またその後も大して上達はしなかった。残されている数少ないシド在籍時のライブビデオでは、ベースの音が確認できる。

専らライブではベースで客を殴ったり、喧嘩ばかりしており、胸に剃刀で「FUCK」と刻み、血まみれになりながらベースを提げた姿などは有名である。そのパンクを地で行く生き方は多くの若者の支持を集め、後期ピストルズにおいてロットンと人気を二分した。過激な伝説とは裏腹に、本来は非常に気弱で貧弱な青年であったと言われ、セックスピストルズ在籍時にはロットンにいじめ抜かれたという(ロットンは「ヴィシャス(意地悪いという意味もある)」という芸名について「奴の性格から一番遠い名前をつけた」と語っている)。

ピストルズ解散後、この曲を含むソロアルバム『シド・シングス』をリリースした。

しかし、以前から耽溺していた麻薬のためスキャンダラスな行動を繰り返す。

1978年10月13日には、ニューヨークにあるホテル、チェルシーのバスルームで恋人のナンシー・スパンゲンの死体が発見された。真相は明らかでないが、凶器のナイフがシドの所有物であったことから、麻薬で錯乱したシド自身が刺殺したとも言われている。

警察には逮捕されるものの、レコード会社が多額の金を払い、保釈された。

その後も自殺未遂を起こしたり、パティ・スミスの弟をビール瓶で殴るなどの騒ぎを起こした末、1979年2月2日に麻薬の過剰摂取により死亡した。

短い生涯であったがそのカリスマと過激なパフォーマンスに人々は魅了され彼はパンク・ロックの伝説となった。

この曲を含むアルバムの制作の際、いくつかのカバー曲候補があり、当時ブレイク寸前のゴダイゴ(タケカワユキヒデ、ミッキー吉野らがいるグループ)のナンバーも含まれていたとか。。。





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