わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

ラストソング

2009-08-29 23:45:00 | わしやま音楽祭VOL.1~2(中間1.5)
最後に選んだのは

ザ・ドリフターズ「いい湯だな」

今年で結成45周年を迎えた彼ら。

1964年、前身桜井輝夫とドリフターズから始まり、米軍基地で音楽やちょっとしたジョークのライブ活動を行い、新たに加入したいかりや長介が結構の強力キャラでメンバーとの喧嘩が多く、桜井輝夫、小野ヤスシらメンバーが脱退し残ったのは、いかりやと若手の加藤茶2人で、この年にビートルズがデビュー(日本で)し、若者を中心に爆発的人気となり、その勢いで2年後の来日ライブ決定し、それに彼らの前座担当も決定、出演メンバー名簿提出まで2週間、いかりやは土壇場で高木ブー、荒井注、仲本工事を他バンドから引き抜いたりし、提出に間に合わせることができ、ここで結成となり、1966年ザ・ビートルズ日本武道館ライブの前座を担当、1分間のステージをこなし、ビートルズの固い警戒の中、足早にステージを去り、そこから彼らは徐々に勢いを増して、1969年16年間の生放送を全国の公民館など貸しきって、今まで類のないコントや歌を行い、バラエティ番組の歴史を残した「8時だよ!全員集合!」の冠番組、1970年シングル「ズンゾコ節」がオリコンシングルチャート1位と年間2位という大ヒットと国民的人気者となり、絶頂の中、1973年メンバーの荒井注の脱退で新たに加入した彼らの付き人志村けんが加入、新生ドリフターズでまたもやその勢いは止まずいして「ドリフの大爆笑」の冠番組スタート、彼らのハチャメチャに笑いを提供しつつも視聴者からの苦情も絶えなかったが、メンバーのコントぶりを魅せるでなく、ひとりひとりの才能を生かし、いかりやはドラマ「取調室」(火曜サスペンス劇場内)シリーズ、「踊る大捜査線」、同ドラマの映画版で日本アカデミー賞助演男優賞受賞、高木は得意のウクレレを生かし教育番組で講師として出演や教材を出したり、仲本は体育大学出身ということで全員集合での体操コントを展開、それで観ていた子供の池谷幸雄が全員集合放送終了後の1988年、1992年の五輪でメダル獲得という影響力、舞台役者として数々出演、加藤は志村と組んで「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」を「全員集合」終了後の1年後に枠を受け継ぎ、2人なりの笑いの才能を展開、吉本新喜劇との共演、コントばかりでなく役者として「はぐれ刑事純情派」の刑事役として出演したり、後から加入した志村は加藤と番組をしたり、志村自身の笑いの追求にこだわりメンバーの中初の唯一で「バカ殿様」、「だいじょうぶだぁ~」という冠番組確立、後に出てくるお笑い芸人に影響を与えた。1999年高倉健さんから指名を受け映画「鉄道員」出演も果たしている。脱退した荒井は「何だバカやろう」、「This is the pen」と語録残しつつ、「江戸川乱歩」シリーズの刑事役など脇役で活躍しつつもカラオケ店事業の失敗(設計ミス)など苦しいときもあった。2000年お正月限定ヴァージョンのフジカラーCMで七福神の設定で弁天田中麗奈で新旧ドリフターズ全員集合で6人(1973年全員集合で2~3ヶ月6人でしていた時以来)で出演を果たした。その後2000年、荒井注、2004年、リーダーのいかりや長介の他界で悲しい出来事乗り越え、残りメンバーでマルチに活動を続けている。

暑い夏、忙しさでバテた皆さん、気持ちいい湯ぶねに浸かり、疲れを取り、ごゆっくりということでこの曲を選びました。



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