わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

振り向かなくても奴がいる

2011-02-24 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

Chage & Aska「Heart」

この曲は、1994年鈴木保奈美さん主演映画「ヒーローインタビュー」の主題歌。

鈴木さんがらみでいえば、わしやま音楽祭では、浜田省吾「悲しみは雪のように」、「愛という名のもとに」(本人主演TVドラマ「愛という名のもとに」)、尾崎豊「Oh My Little Girl」(本人主演TVドラマ「この世の果て」)がある。

そんなアンタッチャブル柴田英嗣と同じ潜在能力の鈴木さんは、1990年代はドラマ、映画に精力的に活躍、一度は結婚するが、互いの仕事が忙しいことを理由に離婚、しばらく芸能活動をするも、「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「食わず嫌い王」にとんねるず石橋貴明のエスコートで出演、そのことがきっかけで互い一回の離婚歴とも重なり、再婚し、以後は芸能活動を休止し、出産、子育てに専念し、2011年NHK大河ドラマ「江」に久々のドラマ出演とナレーションで復活、今に至る・・・

また、本日はASKAさんのお誕生日ということでアップしました。

ニューミュージック全盛の1979年、福岡県内の大学生だった宮崎と柴田(小田和正さんが言いづらいためか二人を本名で呼んでいるらしい)が、ヤマハ主催のオーディション「ポピュラーコンテスト」の九州代表として出場し、合格を果たし、「ひとり咲き」でメジャーデビュー、当初は演歌フォークと言われ、1980年3枚目のシングル「万里の河」でオリコンチャート初のTOP10入りを果たしヒットし、その後は地道に活動をし、演歌フォークからデシダルチックなアップテンポなサウンドに変貌をし、時代は昭和から平成へ、音楽も歌謡曲からJ-POPへ代わり、ニューミュージック系と言われた音楽アーティスト(サザンオールスターズ、松任谷由実、小田和正、竹内まりや、長渕剛、矢沢永吉、井上陽水など)やバンド系(バンドブームのあおり)が音楽界の主役的存在となり、彼らも乗っかる形で、1991年シングル「SAY YES」の超大ヒット(15週1位という快挙と売り上げは歴代6位)をし、一躍人気アーティストとなり、出す曲常に上位にランクインしていた。

この曲は1994年デビュー15周年を記念して、37枚目のシングルとしてリリースされたナンバーで、オリコンチャート1位、年間14位という大ヒットで、「YAH YAH YAH」にやってます。

この曲で松田聖子のシングル総売上史上最多枚数を抜き総売上約1350万枚に達成、1990年代前半を代表するバンドとなった。

それから相変わらずの活動をしていたが、2010年に無期限活動休止に入り、二人はソロ活動をしてますが、そんなコージー富田(お誕生日おめでとう)と同じ潜在能力のASKAさんの近況ですが、インフルエンザでライブ延期になったとのことで、詳細伝えると、

2011年1月9日(日)
ASKA 1月11日・12日福岡サンパレスホテル&ホール公演延期のお知らせ(1/18チケット一般発売情報追加)

「ASKA CONCET TOUR 10>>11 FACES」
2011年1月11日、12日 福岡サンパレスホテル&ホール公演延期のお知らせ


2011年1月11日(火)、12日(水)福岡サンパレスホテル&ホールにて予定しておりました
「ASKA CONCERT TOUR 10>>11 FACES」公演は、ASKA本人がインフルエンザであると診断されたため、
下記の通り公演を延期させていただく事となりました。



【2011年1月11日(火)公演 振替公演日程】
2011年3月1日(火)  福岡サンパレスホテル&ホール
開場17:30  開演18:30


【2011年1月12日(水)公演 振替公演日程】
2011年3月2日(水)   福岡サンパレスホテル&ホール
開場17:30  開演18:30

ご鑑賞を予定されていた方、公演を楽しみにお待ちいただいておりましたファンの皆様には
多大なるご迷惑をおかけ致します事、深くお詫び申し上げます。

詳細はオフィシャルページにて。



常時ハリセン、BON!

2011-02-24 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

ジョージ・ハリスン「What is Life(美しき人生)」

本日はジョージ・ハリスンのお誕生日ということでアップしました。出生届けでは25日になっていて、世間的に25日に浸透しているが、実際は24日ということを本人がインタビューで語っていることから本日にしました。

この曲は、ビートルズ解散まもない1970年のアルバム『オール・シングス・マスト・パス』からの第2弾シングル。

イギリスでは既に「マイ・スウィート・ロード」のB面として発表されていたため、イギリスではリリースされなかった。

『ビルボード』誌では、最高位10位を獲得し、『キャッシュボックス』誌では、最高位7位を獲得し、1971年度年間ランキング48位を記録している。

レコーディングではピッコロトランペットとオーボエも使用されたが、ミキシングの段階で外された。2001年に発売された『オール・シングス・マスト・パス~ニュー・センチュリー・エディション~』では、この曲のインストゥルメンタル・ヴァージョンがボーナス・トラックとして収録され、そこではピッコロトランペットとオーボエも含まれている。

1972年、オリビア・ニュートン=ジョンによるカヴァー・ヴァージョンがシングル・ヒットした。またジョージのオリジナルは、映画『グッドフェローズ』などに登場する。


甘く危険なスネ夫

2011-02-24 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

Sweet 「Fox on the Run」

この曲は1975年アルバム「荒廃の街角」に収録されたナンバー。

デウ゛ィッド・ボウイ、Tレックス、ロキシーミュージックなどグラムロックを代表するバンドのひとつで、

1968年7月、フォンタナ・レーベルよりシングル「スローモーション」でデビューするが、商業的に成功せず、直後にEMI傘下のパーロフォン・レーペルに移籍した。ここで3枚のシングルをリリースしたものの、これも商業的な成功には至らず、1971年、RCAに移籍した。

ヒットメーカーのマイク・チャップマンとニッキー・チンが作詞作曲した「ファニー・ファニー(Funny Funny)」がイギリスのチャートで13位まで上昇、さらに次にリリースしたシングル「コ・コ(Co-Co)」がイギリスで2位、アメリカでも99位に初ランクされた。その後はリリースするシングルの多くがチャートインし、スウィートはイギリスのポップ・ロック・シーンにおいて地歩を築いていった。

1979年、ブライアン・コノリーが脱退してソロ活動を開始。スウィートは残った3人で活動を継続したが、ヒットに恵まれず、1981年に解散した。1985年に再結成し、1991年に再び解散。1993年に「Andy Scott's Sweet」名義で再々結成され、現在に至る。