わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

さとりずむ

2011-02-20 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

Nirvana「Come As You Are」

本日はボーカルとギターを担当していたカート・コバーンのおたんじょうびということであっぷしました。

1987年に結成し、1989年にメジャーデビューを果たし、1990年代前半にアルバム「Nevermind」、「IN UTERO」の商業的大ヒットとともに新たなロックジャンル「グランジ」を確立するも、そのことを批判的な路線で走っていたコバーンの矛盾的な葛藤が生じ、そのことで何度も自殺未遂をし、1994年4月5日自ら命を絶ち、バンドは自然消滅した。

この曲は1991年バンド2枚目のアルバム「Nevermind」に収録されたナンバー。

曲はコバーンがギターリフを8秒演奏するところから始まる。コバーンはリフで淡々とした感じを出すためにエレクトロ・ハーモニクス・スモール・クローンギターペダルを使用している。ヴァース部分はムーディーに抑えられている。コーラスに入ると、曲はフルボリュームになる。ダイナミクスの変化はニルヴァーナが良く使ったテクニックである。この曲はコバーンの長いギターソロが収められている。ヴィグはカートは長いソロを弾かなかったといっている。

コバーンは「Come As You Are」の歌詞を矛盾して書いているという。そして、この曲が「人々についてと彼らはどう行動するべきか」を描いているという。

そんな山本モナと同じ潜在能力のコバーンですが、音楽的嗜好特に好きなアーティストにピクシーズ、メルヴィンズ、ソニック・ユース、マッドハニー、サウンドガーデン等のグランジバンド以外にも、レッド・ツェッペリン、初期のエアロスミス、キッス、エコー&ザ・バニーメン、ブラック・サバス、AC/DC、ビートルズ、セックス・ピストルズ、ブラック・フラッグ、R.E.M.、ティーンエイジ・ファンクラブ、ヴァセリンズなどのロックバンドを挙げている。一番好きなアルバムにはイギー&ストゥージスの「ロー・パワー」(邦題:淫力魔人)を挙げた。特にR.E.M.は「一度でいいからR.E.M.みたいな曲を書いてみたい」と言わせるほどだった。また、キッスのポスターを部屋に飾っていた時期もあり、キッスの楽曲「Do You Love Me」をライブでカヴァーしたこともある。
パール・ジャムのヴォーカリスト、エディ・ヴェダーの言動全てを嫌悪し始終、非難を続ける。ヴェダーの存在自体を何故か毛嫌いしていただけのようであるが、二人がプレスを通して展開した非難の応酬は異常であった。後に同じ境遇にいることを共感し、和解する。

ガンズ・アンド・ローゼズとは壮絶な対立関係にあり、それは当時のファンを二分するほどだった。カートはガンズに対し、「あいつらは金のために音楽をやっていてロックじゃねぇよ」「ガンズ・アンド・ローゼズにはファッションしかない。俺たちにはパッション(情熱)がある。」と発言している。元々アクセル・ローズはニルヴァーナのファンであったがカートが一方的にアクセルとガンズ側を批判したため対立関係が生まれた。カートの死後アクセル以外の元ガンズメンバーとニルヴァーナメンバーは和解し、元メンバーのバンド、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーは「ブリーチ」収録の"Negative Creep"をカバーしている。

カートは他にもヴァン・ヘイレンやモトリー・クルー、エクストリームなどの商業的なバンドの多くを大嫌いだと公言している。

日本のバンドでは少年ナイフ・ボアダムスを評価しており、全英ツアーで共演もしている。

今日は天国でロバート・ジョンソン、ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリスンらのロック仲間と祝っているでしょうか・・・


勝ってバカヤロー!!負けてバカヤロー!!

2011-02-20 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

「燃える闘魂・アントニオ猪木のテーマ:炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~」

本日は燃える闘魂アントニオ猪木さんのお誕生日ということであっぷしました。

まずは

語録一覧

「いくぞー! 1! 2! 3! ダーッ!」

「元気ですかーっ! 」

「馬鹿ヤロー!」

「元気があれば何でもできる! 」

元々はステーキレストラン店長の標語から借用。

「馬鹿になれ!」
IGF設立時にはその後に"しかし紳士たれ"が付加されていた

「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」
本来はプロボクシングにおける、チャンピオン認定の際に付される条件。認定証にも明記されていたが、ガッツ石松が真に受けて
腕力沙汰を引き起こしたため削除された。

「私のアゴの筋肉は鍛えられています 」

「たとえ時に試合を休むことがあっても激しいいい試合を見せる方が大事だと思うから、おめでとうとは言わない」
ジャイアント馬場がデビュー以来3000試合無欠場記録を達成した時の談話。もっとも、猪木は馬場と組んでインターナショナル・タッグの防衛戦が組まれていたのを雪で会場入りできずに穴を開けたことがある

「俺の首をかっきってみろ! 」

「紙一重の差」

「こんなプロレスを続けていたら10年持つ選手生命が1年で終わってしまうかもしれない。ただ、それがファンに対してのわれわれの義務ですから」(1974年、ストロング小林戦の試合後に)

「折ったぞー!」
アクラム・ペールワン戦で、相手の腕を折り

「ちょっと早い大掃除」
1984年9月長州力、谷津嘉章など選手の大量離脱で
「その気で来るなら俺は受けてやるぜー!手前ぇらの力で勝ち取ってみろ、コノヤロー!」(世代闘争勃発)

「神のお告げ」
記者に物事の理由を聞かれた時に良く使われる

「折れ!折れ!」
足4の字固めをかけられながら、ポイントを指で指しながら

「坂口? 片手で3分だよ」
それを聞いた坂口は、「俺は片手じゃなくて両手で1分だ!」答えた。

「相手の力を9引き出して10の力で勝つ」(いわゆる“風車の理論”)

「極める角度が違う、逆だよ」
藤原喜明との試合中、藤原の関節技をかけられながら

「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」

「道はどんなに厳しくとも、笑いながら歩こうぜ!」

「やれるのか、おい!」

「どーですか!」
「どーですか、お客さん!」は井手らっきょのネタであり、猪木自身は実際に「お客さん」とは言っていない

「命がけで勝負します。誰でもかかって来い! その代わりテメーも覚悟して来い!」

「何でもアリのモハメッド」

「秋は行ってしまったけれど、高田の妻は向井亜紀」

「お前はそれでいいや」
リング上で中西学に「お前は何が許せないんだ?」と問い「全日本プロレスに行った武藤です!」と答えたことに対して

「俺は触ってねーですから」
新日の興行がこけた際

「私をミスター・タバスコと呼んでください」

「どうってことねえよ」
多額の負債を背負った際

「馬場さんの死に水は俺が取る」

「ルールを守れ! 殺すぞ!」

「猪木が笑えば世界が笑う」

「出ればタイソン、戻ればヒクソン」

「1! 2! 3! 抱っこしたい!」
笑っていいとも!にゲスト出演した時、こう言って坂下千里子を抱こうとしたらビックリして逃げられた。その時の猪木は少しうなだれていた。

「ブスには気をつけろ!! ブスッと刺されるからな」
テレビの生放送中こう言って出演者を慌てさせた。

「『アントニオ』という名前は日本で『鈴木』や『佐藤』という名前が多いようにブラジルではありふれた名前」
リングネームの由来を聞かれて。しかし「鈴木」や「佐藤」はファミリーネームであるが、「アントニオ」はファーストネームである。



最近ではパチンコ、スロットを出し好評稼働中の中、胆石の手術を行い、胆石除去し無事退院し、退院会見での闘病生活でのコメント

「“胆嚢”の痛みを十分“堪能”した。これまで異種格闘技戦をやってきたが、今回は“石格闘技戦”でした」



その後は全国ぐるりと営業をこなすのだった。。。



アントニオ猪木さんの伝説はたくあんありすぎるので、随時取り上げます。

自分の人生の中で、さまざまな有名人を生で見ましたが、猪木さんは引き締まったあごが印象的で「オーラ」というものを感じました。オーラを感じたのはアントニオ猪木、桑田佳祐、小田和正、佐野元春でした。

「勝負だ!猪木」byマスクマン

真鯉緋鯉

2011-02-20 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

ザ・クロマニヨンズ『オートバイと皮ジャンパーとカレー』

2005年11月に活動休止を発表したTHE HIGH-LOWSの真島昌利が甲本ヒロトにバンド結成を持ちかけ、2人と仕事・プライベートでTHE BLUE HEARTS時代から親交のあるレコーディングエンジニアの川口聡の紹介により、小林勝・桐田勝治が加わってザ・クロマニヨンズが結成される。

2006年春にはアルバム・レコーディングを済ませ、全国各地の夏の音楽イベントにバンド名以外は公表せずに出演を発表するも、ネット上で瞬く間に「ヒロトとマーシーの新バンドでは?」と噂が流れ、デビューライヴとなった大阪でのMEET THE WORLD BEAT 2006の出演前には、ザ・クロマニヨンズの登場アナウンスが流れるや一部の観客から「ヒロトー!」「マーシー!」の掛け声が飛び、「全然シークレットじゃないじゃん」とメンバーは苦笑い。

2006年4月5日、アルバムのレコーディングが終了した甲本と真島は、ローリング・ストーンズのナゴヤドーム公演を見に行った後、名古屋のホテルでこのバンドの名前を決めようと話し合っていた。

その際、甲本が「クロマニヨンズ」というバンド名を提案すると、真島が「おぉう!」と唸ってポケットから紙を取り出し、そこには偶然にも『クロマニヨン』と書かれていたそうで、この偶然によりバンド名が決定したと、本人たちは語っている。

甲本は『めざましテレビ』(フジテレビ系)でこのバンドについて、「ビートルズやストーンズの最初を知らないんだ。その時はまだ、こんなに小さくて。もしかしたら、これからザ・クロマニヨンズを好きになる人がいるかも知れないでしょ。今が最初から見るチャンスなんだ。そんなの良いと思いませんか?」とコメントした。

2006年10月20日、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)のオープニングで、タモリが「新人バンドなんだよね?」と質問すると、甲本は「そうです。ちんちんバンドです」と答えた。また、演奏前のトークでは、甲本が自らのソロ活動について語り、「一瞬で挫けました。やっぱりバンドはいいなぁって思います」や、共演した元THE YELLOW MONKEYの吉井和哉のことについて、「さっき聞いたら吉井くんは『まだ(ソロで)頑張れる』って言ってました」と発言して、スタジオの笑いを誘った。

宣伝をする時にはよく、「我々はザ・クロマニヨンズだぁ」と、メンバーで声を合わせて紹介することが多い。

本日はギター担当の真島昌利さんのおたんじょうびということであっぷしました。

そんな水樹奈々と同じ潜在能力のマーシーですが、自分の趣味や好物、育った地域がモチーフになった曲も多く、野球が好き→「ホームラン」「夏の朝にキャッチボールを」、カレーが好き→「カレーライスにゃかなわない」「カレーうどん」、夏が好き→「夏が来て僕等」「夏なんだな」、TVゲームが好き→「キラービー」(ドラゴンクエストIIIのモンスター名より)、バイクが好き→「風のオートバイ」「オートバイ」「オートバイと皮ジャンパーとカレー」、多摩地区が好き→「花小金井ブレイクタウン」「真夜中過ぎの中央線」「多摩川ビール」など手がけている。またシンガーソングライターとして、近藤真彦、ロンドンブーツ1号2号、松たか子、PUFFY、つるの剛士など楽譜提供もこなしている。

その中からクロマニヨンズ7枚目のシングル「オートバイと皮ジャンパーとカレー」をお届けします。

ボブ・サップってば

2011-02-20 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

Steely Dan「Bodhisattva(菩薩)」

本日はメンバーのウォルター・ベッカーのお誕生日ということでアップしました。

ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーを中心としたバンドで、ロックやポップスを基調としながら、ジャズ的な代理コードや意表をつくコード進行で曲にひねりを加え、一流のスタジオ・ミュージシャンを駆使した高度なアンサンブルを構築、その独特の音世界は内外のミュージシャン、音楽制作者に多大な影響を与えた。テクニカルな面が強調されがちだが、1950年代のジャズやリズム・アンド・ブルースが持つフィーリングを重視しており、ドナルド・フェイゲンの個性的な歌声と奇妙で小説的な難解な歌詞との取り合わせもまた、スティーリー・ダンの個性を際立たせる非常に重要な要素となっている。バンドの入れ替えが激しく、ライブ活動より、音にこだわるスタジオオタク路線に走るため、バンドが嫌なら止めていいよとあっさり単純明快なオタクバンドである。

過去在籍メンバーにはのちにドゥービーブラザーズに加入するジェフ・バクスター、マイケル・マクドナルド、のちにイーグルスに加入するティモシー・B・シュミットなどがいる。

この曲は、2枚目アルバム「エクスタシー」に収録されたナンバー。

このアルバムは、ライブコンサートの間に急いでセッションを行って録音されたためか、シングルでヒットした曲が1曲もなかった。メンバーのドナルド・フェイゲンは、スティーリー・ダンのアルバムとしてはこのアルバムが最も気に入っている作品だと言ったという。

そんな志村けん(お誕生日おめでとう)と同じ潜在能力で同じ生年月日のベッカーのアイーンな経歴として、ギターを担当しているが、

ギタリストとしては、ベッカーは知性的で、味わい深く、リズミカルな演奏で知られ、着実に腕を上げていった。彼のよく知られた演奏の大部分において、彼はファンクやジャズの傾向を強くもったロックスタイルの演奏をしている。

1981年にスティーリー・ダンが解散した後、ベッカーはハワイに移住してプロデューサー活動を始め、リッキー・リー・ジョーンズ、チャイナ・クライシス、マイケル・フランクスなど多彩なアーティストをプロデュースした。彼はイギリスのシンガーロージー・ヴェラのデビュー・アルバムで共演するために、フェイゲンと一時的な再結成をしたこともある。彼らのパートナーシップは、1993年にスティーリー・ダン名義でのツアーを行い、同年にベッカーがフェイゲンのアルバム「カマキリアド Kamakiriad」のプロデュースを行ったことがきっかけで再開した。一方でフェイゲンも後にベッカーのソロデビュー作品「11の心象 11 Tracks of Whack」(1994年)を共同でプロデュースした。2008年に自身の新たなソロ・アルバム「Circus Money」を発表した。

音に頑固、腕は陰ながら一流、音源は時代に沿っても古さを感じないのが特徴です。