わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

オロロンばい

2011-02-16 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

高倉健「望郷子守唄」

この曲は本人主演映画「ごろつき」の主題歌。

この映画のあらすじは、

押し寄せる不況の波には勝てず大場勇(高倉健)の勤める北九州の炭鉱は廃鉱になった。母と弟妹四人を抱える勇は、ボクサーで活路をひらこうと友人一郎(菅原文太)を誘って故郷を離れた。上京した勇は、早速沢田ボクシング・ジムを訪れ、練習生の村井を倒し、見事に入団を決めた。

ところが花形選手を持たぬジムは、見すぼらしく、会長の沢田(大木実)は、タイから伝わったキック・ボクシングに命を賭けていた。

一方一郎は、大金持ちの未亡人に犬係として雇われ、あてがわれた粗末な小屋で勇との共同生活が始まった。

二人は生活費をきりつめ、故郷へ仕送りを続けていたが、犬の食事を盗み食いしていることが発覚、そのうえ勇が犬の股間にサロンパススプレーをかけ、犬が暴れだし解雇されてしまった。

そんな彼を励ますのは、沢田会長の妹友子(吉村実子)だった。友子を送った勇は、その帰途愚連隊にからまれていた流しの三吉と長吉を助けた。これがきっかけとなって勇と一郎は、大空楽団のメンバーとなり、健さんの持ち歌「唐獅子牡丹」、「網走番外地」を歌いながら盛り場を流して歩いた。

歌の修業とボクシングの猛練習に明け暮れる勇に、チャンスが訪れた。沢田の口ききで、日本チャンピオンの練習台になった勇は、猛烈なパンチを浴びせてKOしてしまった。

それからは連戦連勝、やがてノンタイトル戦が、決定するまでになった。

そんな折り、大空楽団を仕切る浅川(石山健二郎)が、暴力団の唐沢親分(渡辺文雄)に脅迫された。浅川はかつて関東桜田一家の親分だったが、テキ屋の時代は去ったと考え、由緒ある看板を下して久しかった。唐沢はその看板が欲しかったのだ。

ある日勇は、唐沢の運転する乗用車が、新聞配達の少年をはねて重傷を負わせながら平然と逃げ去ったのを目撃した。

これに怒った勇は、唐沢商事で暴力をふるってしまった。唐沢は浅川に慰謝料か、看板譲渡かの二者択一を迫った。

浅川は大空楽団の家と土地を売ることにした。

やがて少年の容体は悪化し、徹夜の看病をした勇は、疲れた身体でリングに上った。そして、苦闘の末チャンピオンを倒したが、勇を待っていたのは既に冷たくなった少年だった。

悲嘆に暮れる勇にさらに悲報が伝わった。楽団の家が唐沢に焼かれ、浅川が殺され、唐沢を襲った一郎も逆に刺殺されたというものだった。

子分に自首させて平然とする唐沢に、男は復讐の炎を燃えあがらせた。もはや友子の涙も、沢田の諌めも、勇の心には届かなかった。

やがて、唐沢の前に姿を現わした勇は、唐沢を刺し倒して、恩人や親友の怨念を晴らしたのだった。

監督はうるる日生まれで生涯261本の映画を残し、父が映画監督の牧野省三、子に沖縄アクターズスクール創設者マキノ正幸、おいに長門裕之、津川雅彦という家系を持つマキノ雅弘。

健さんのキックボクシングの腕前は抜群なもので、口の悪い北九州弁のせりふをスラスラ言える宮城県出身の菅原文太さんは方言のスペシャリストです。


そんな、綾瀬はるかと同じ潜在能力の健さんも本日80歳になられました。

健さんの近況は、2005年(平成17年)、『網走番外地』シリーズで高倉を育てた、恩師である石井輝男監督が死去。翌2006年(平成18年)8月、石井監督の生前の意思により、網走市内の潮見墓園に墓碑が建てられ、遺骨が納められた。“安らかに 石井輝男”と記されたこの墓碑の碑文は、高倉によってしたためられたものである。

2006年(平成18年)11月に行われた天皇、皇后両陛下主催の文化勲章受章者・文化功労者を招いたお茶会に出席して以来、公の場に姿を見せていなかったが2009年(平成21年)10月、同年8月に亡くなった女優の大原麗子の墓参りをしていたことが、2010年(平成22年)8月に伝えられた。また、ファンであるナインティナイン岡村隆史がうつ病がもとで闘病生活を送っていた時に励ましの手紙を書いて送った。

趣味は旅・車・乗馬。

好きなミュージシャンは大塚博堂である。友人にもらったカセットテープを聞いて、自分にない何かがあると感銘を受ける。大塚とよく組んでいた作詞家の藤公之介に、大塚と組んで曲を作ってほしいと電話で頼んだこともあったがこの時は大塚が忙しく、別の作曲家で曲を作るが、その後、まもなく大塚が逝去したため実現しなかった。大塚の曲では『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』『旅でもしようか』『ふるさとでもないのに』を特に気に入っている。直接、会ったことはないが、大塚のメモリアルイベントなどに、一ファンとして何度かメッセージを贈っている。千葉真一と野際陽子の結婚10周年記念には『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』をBGMにして、自ら祝辞をカセットテープに録音してプレゼントしており、千葉と野際からとても喜ばれた。

志村けんと岡村隆史のファンである。志村には、自ら『鉄道員(ぽっぽや)』の出演要請を出し、「お笑い一本」と決めている志村を口説き落とした。『鉄道員』公開以降に志村の番組のトークコーナーに小林稔侍が出演した際にはVTR出演し、志村の演技を褒める一方、共演歴の長く交友のある小林を「セリフを覚えて来ない、気持ちを引き締めてほしい」などと、苦言を呈する体で茶化してユーモアを滲み出させた。また、岡村とは第23回日本アカデミー賞で同席し、岡村の「将来は高倉健さんのような俳優になりたい」というスピーチに笑いが巻き起こる中、高倉は立ち上がって拍手を送った。

キリン「生茶」のCMで共演した総合格闘家の宇野薫によると、高倉は格闘技にかなり詳しく「休憩中に健さんから『UFCの試合をよく観ていますよ。応援しています』と話しかけられ驚きました」と語っている。

世界で一番好きな場所はハワイ。このことについて沢木耕太郎に「ドスを片手に敵地に乗り込む高倉健とハワイの取り合わせは意外なようだが、それは何故か」と問われて、高倉は「人が温かい」ことと、東映時代に過酷なスケジュールをこなしている中で、たまの休みにハワイの海岸で寝て過ごす開放感がたまらなかった、と述懐している。

「男の中の男」って彼のことを指すんですね