わしやま

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今はどうですか・・・キレてないっすよ!!

2011-02-05 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは、

平沢進「長州力のテーマ:パワー・ホール」

本日はプロレスラー長州力のものまねをしている芸人長州小力のおたんじょうびということであっぷしました。


この曲を作った平沢さんですが、ミュージシャン、音楽プロデューサー。1979年にテクノポップバンド、P-MODELのメンバーとしてメジャーデビュー。バンドは幾度もの紆余曲折を経て「培養」に入り、現在はソロをメインとして、多彩な活動を行っている。まさに、アミューズ所属のテクノポップユニットPerfumeなどプロデュースしている中田ヤスタカのずっとずっと先を走っているテクノ職人としては大先輩な存在だろう。愛称は「師匠」。

彼の経歴として、

1965年頃、ザ・ベンチャーズに触発されエレキギターを手に取り音楽活動を始める。

1973年頃、「マンドレイク」結成。プログレッシブ・ロックに傾倒していくが、1978年頃解散。解散前には既にP-MODELへの模索が始まっており、マンドレイクのメンバーであった田中靖美と共に「配線上のアリア」を製作。当時、ペプシコーラの倉庫や青果市場で荷物運びのアルバイトをしていた。

1978年頃から1983年頃までヤマハのシンセサイザー教室の講師としても働いていたことがある。この頃、週刊プレイボーイ誌上で行われたシンセサイザーの多重録音コンテストにおいて、平沢の作品「いりよう蜂の誘惑」が入賞する。これは入賞作品を収録したアルバム『驚異の頭脳集団』に収められメジャーリリースされた。

1979年結成のP-MODELリーダー兼ボーカリストとしてメジャーデビュー。その活動と平行して、ペンネームでの楽曲制作を行う。

プロレスラー、長州力の入場テーマ曲であるオリジナル曲「パワー・ホール」を「異母犯抄」というペンネームで作曲した。 また、1986年に同じくプロレスラーのカルガリーハリケーンズのテーマ曲として「ハリケーンズ・バム」をペンネーム「福来良夫」名義で提供。 これらの曲はプロレス・テーマ曲のコンピレーションCDで聴くことができる。

1984年実験的サンプリングユニット「旬」を結成。

1988年12月、P-MODELが「凍結」と呼ぶ所の休止を宣言。

1989年9月、アルバム『時空の水』リリースにてソロデビュー。

1990年代からはソロ活動に平行して、ヤプーズ、島崎和歌子、宮村優子らに楽曲提供し、アニメ作品の音楽製作にも進出。『DETONATORオーガン』、『剣風伝奇ベルセルク』、2000年代には『妄想代理人』や映画『千年女優』、『パプリカ』の音楽を手掛ける。

1991年、P-MODELを「解凍」(活動再開)。1993年、P-MODELが「待機」として再度一時的な休止を宣言。

1994年、7月8日より翌年の1995年3月31日まで『平沢進のテクノ実験工房』がFM群馬にて放送される。同じくパーソナリティーを務めたのは、上野洋子(元ZABADAK)だった。この番組の内容は後にカセットテープで平沢の当時のファンクラブ(HIRASAWA BYPASS)より限定発売された。

またこの頃よりタイのサオプラペーッソン(saopraphetson:第二の女性/平沢の著書やHPでSP2とも表記されることがある)に深い関心を示し、繰り返し現地を訪れ、レコーディング時にコーラスとして協力を仰いだり、ライブアクトとして招聘などをしたことがある。これらの事から東南アジア方面の楽器や音楽の影響を大きく受け、作風にも大きな変化が表れている。その後2004年に平沢と親交が深かった9人のサオプラペーッソンを追悼するアルバム『SWITCHED-ON LOTUS』が製作される。サオプラペーッソンの存在そのものが、創作意欲に大きな影響を及ぼしていると本人は語っており、彼女たちに対して大きな尊敬を以て接していることがその言動から見て取れる。

P-MODELの「改訂」を終え活動再開。

1995年、平沢進個人HP「Ghost Web」開設。

1996年11月15日の東京・新宿リキッドルームにおいて、オールナイト・イヴェント“Unfix ♯3 コミュノ・ハイブリディア”が開催された。平沢を含むP-MODELのメンバー4人がそれぞれソロステージを行うというものだったが、平沢は欠席。理由は「風邪のため」と発表されたが、数日後平沢自身がGHOST WEB上において「私は風邪ごときで休むような人間ではない。休んだ本当の理由は言えないが」という発言がなされた。 翌1997年、平沢はそれまで所属していたアイスリープロモーションを離脱し、自ら新事務所ケイオス・ユニオンを設立した。それに伴い上領亘はP-MODELを脱退した。

1999年、プログレッシブ・ロック・バンド、Cluster(クラスター)のメンバーであるRoedelius(レデリウス)および小西健司(4-D・P-MODEL)と、ネット上でのやり取りだけでコラボレーションを行い、「Global Trotters」としてアルバム『Drive』をリリースする。自らが手がける楽曲では独特の裏声を駆使した歌唱法で歌い上げ、歌詞でも「君」を「キミ」と表記するなど特徴的なこだわりが見られる。

2000年、P-MODELが「培養」と呼ばれる所の活動休止を宣言。

2001年7月、「Hirasawa Energy Works」と名付けられたプロジェクトがスタート。これは必要な電気エネルギーの全てを太陽発電に委ねて音楽製作を試みるプロジェクトであった。この際にアルバム『SOLAR RAY』が製作される。その後太陽発電及び、このプロジェクトに賛同するファンの協力による自然からの蓄電(エナジーハンティング)のみを利用したライブ「SOLAR LIVE」を敢行する。

2003年、イラク戦争に際して、これに対する抗議の意思を表すべく「殺戮への抗議配信」と題し、自らの楽曲「高貴な城」「Love Song[2003年バージョン]」の無料配信を行った。これは2010年4月現在でも公式サイト内から無料でダウンロードが可能である。

2003年3月、ペンネーム「坂田四郎」名義としてゆいこのシングル「陸の人よ」(アサヒビール『穣三昧』CMソング)の制作を手掛けている(CM使用部分は平沢が作曲、残りはゆいこ作曲)。

NHK『おかあさんといっしょ』の2003年10月の歌「地球ネコ」を作詞作曲(歌唱は今井ゆうぞうとはいだしょうこ)。幼児向けの番組に提供された楽曲ではあるが、歌詞を多少シンプルにしているだけで平沢の楽曲スタイルは一貫して崩されていない。2006年12月に同番組内で再放送されている。

2008年6月、イタリアのデス・メタル系ヴォーカリストRiccardo Brett (InhVmaN)との共作でマキシ・シングル「Tetragrammaton (テトラグラマトン)」をリリース。

2009年2月、自身の11枚目のオリジナルソロアルバムとなる『点呼する惑星』をリリース。

そんな新山千春と同じ潜在能力の平沢さんのTwitter(twitter.com/hirasawa)の一番新しいつぶやきは、「ちなみにUターン通勤にリカンベントとアップライトを使うのは、使う筋肉がじゃっかん違うからなのであるのと、毎日ジロジロ見られるのも辛いからである。」です。

あまりTVで見かけないようですが、彼は所属団体(西口プロレス)の興行をこなしているようです。

一番新しい情報では(アメバブログ長州小力より)

西口プロレス創立10周年記念興行
2月19日(土) 17:30開場18:30試合開始(いつもより1時間早いです!)
会場:新宿FACE
前売:指定席2500円 自由席2000円(別途ドリンク代500円かかります)

(当日は+500円)



西口プロレス創立10周年記念パーティー
2月19日(土)21:30~23:30
会場:アントニオ猪木酒場新宿店
会費:3500円(お食事・飲み放題付)
※指定席(テーブル番号が指定となります)
お問い合わせ:西口プロレス事務局03-6416-0218



そんな宮村優子と同じ潜在能力の小力さんですが、彼は芸能界屈指のビリヤードが得意で有名です。