しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「塗仏の宴 宴の始末」   京極夏彦 

2012年02月03日 | 読書
「塗仏の宴 宴の始末」   京極夏彦        講談社文庫

「愉しかったでしょう。こんなに長い間、楽しませてあげたんですからねぇ」。その男はそう言った。
蓮台寺温泉裸女殺害犯の嫌疑で逮捕された関口巽と、伊豆韮山の山深く分け入らんとする宗教集団。
接点は果たしてあるのか?
ようやく乗り出した京極堂が、怒りと哀しみをもって開示する「宴」の驚愕の真相。
       <文庫本裏カバーより>





「塗仏の宴」後編。
長い長い物語で、登場人物も多く、誰が誰だかアヤフヤなところも。
まあ、だいたい分かっていれば支障はないのだが、といい加減かな。
最後まで読んで、よく分からなかったら、戻って確認しようと思っていたが、そこまでしなくても大丈夫だった。
それほど重要ではない人物もいるし、数が必要だったということ。
結局、始まりは昔で、その時の出来事が続いているという壮大な物語。
ただ壮大過ぎて、他のことも書かなくてはならなくなり、かえって焦点がボケてしまった感じもする。
最後に真相が分かっても、何故かそれほど驚きがなかった。
ここまでの過程がどんちゃん騒ぎだったので、シリアス感が欠けてしまったからかも知れない。
黒幕も、何となく漫画チックな感じ。
『絡新婦の理』は、妖しげで静かな、いい雰囲気だったのに。
今までの物語の登場人物が係り、集大成のようだが、まだ続くようだ。
ある程度の結末が付いたが、付かない部分もある。

妖怪談義も面白い。
人間が生きていく上の、自己防衛なのだ。
折り合いを付けて、穏やかに生活出来るようにしていく。
同じように、本音を語らないというのも、他人を思いやると同時に、自己防衛なのだと思う。

自分としては1番気になる関口巽。
一応解決して、のんびりした雰囲気で終わるけれど、関口がどうなったのか。
どんな状態で解放されることになったのか、それが書かれていないのが不満。
中禅寺、榎木津、関口、木場は友人として同等だと思っていた。
今回の榎木津は、まるでスーパーマンのような活躍、と言うか段々人間離れして来た。
カッコよさを通り越して、ギャグになりつつある。
木場は、相変わらずグダグダと悩みつつ、それなりの活躍をしている。
誰もが簡単に掛かってしまった催眠術にも、掛からずにいられたのは何故だろうとも思うが。
やはり、スーパーマン化してきたのか。
中禅寺は、まあ変わらないのだけれど、解決はすべてこの人だけが分かるという主役。
そんな中で、関口の扱いは、あまりにも可哀想。

催眠術が今回の物語のキーワードになっている。
催眠術についてはあまり知らないが、そんな都合よく掛かってしまうものだろうか。
最後に、事実を知った時は、術を解いた訳ではないのに、気が付いている。
ということは、長い年月の間に何かが引き金になって、解けることはなかったのだろうか。
人間を操るゲームが、こんなにもスムーズに行ってしまうのは、腹立たしい。


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