しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「審判」 藤波瞬平一人芝居 

2016年02月29日 | 観劇
「審判」 藤波瞬平一人芝居  

2016.2.24(水)~2.28(日)  SPACE梟門

作:バリー・コリンズ  訳:青井陽治
演出:三浦佑介(あサルとピストル)
主宰・制作・出演 藤波瞬平

<ストーリー>
第二次世界大戦中、7人のロシア人将校がドイツ軍の捕虜になった。
衣服を全て剥がれ、水の食糧もない修道院の地下室に置き去りにされた7人。
そのうちの1人、アンドレイ・ヴァホフは、今、被告人として法廷に立とうとしている。
極限状況の密室で、一体何が起こったか、誰が何をして、何をしなかったか・・・・・
これは、人間のヴァホフに対して、
審判を下さなくてはならない、私たちの物語である。
           【チラシより】


2時間20分の一人芝居。
舞台は四角く閉ざされた空間という感じ。後ろに細長い鏡が5枚ほどある。
被告として登場する、アンドレイ・ヴァホフ大尉を裁く裁判と言う設定。
舞台は裁判の場所ではなく、7人の将校が閉じ込められた地下室なのだろう。
その地下室の大きさも、歩いて何歩とその説明もあったのだが・・・覚えていない。
客席にいる自分たちは陪審員。
ヴァホフは、陪審員に対する時と、その時の地下室にいる時がある。
こちらに訴える時は、堂々とした鋭い視線。
自分の体験した事を、“あなたたちは裁けるのか”と挑まれている気持ちになった。
自分を有罪なのは間違いないと言いながら、間違っていたとは言わせないと。
これは誰にも裁くことは出来ない。
ヴァホフに詰め寄られると、こんな所に居るのは嫌だと思えた。
こんな裁判に係りたくはなかったと言いたい気持ちになった。

地下室の場面では、それぞれの動きが見えるようで、その時の空気感が伝わって来る。
特別演じ分けている感じもしないのだが、個性が見えて来る。

お芝居とは思えない、真剣な濃く重たい時間。
自分はそこで何を見て感じたのだろうか。
藤波さんが伝えたかった事は「愛」だと言う。
その場では只々圧倒され、何があったのか事実を知って行く事に集中していた。
嫌悪感はなかった。疲れた。

帰り道、色々と考え始めた。
自分は1番はじめにトレチャコフ大佐の事を思った。
自己犠牲の人だと。
隊長としての責任感もあったのだろう。
生き残る為に、何をしたらいいかを考えて、提案する。
もしかしたら、自分が籤に当たるように細工したのかも知れない。
だから、当たった後も静かに受け入れた。
大佐の願いは、自分が犠牲になっただけで発見される事だったのではないだろうか。
そんな事を考えていたら、手塚治虫さん短編「荒野の七ひき」を思い出した。
地球人2人と宇宙人5人、飛行機が爆破して荒野に残された7人。
人のいる基地までは歩いて20日。食料も水もない状態。
こちらも合わせて7人?ひき?(7って意味があるのだろうか。「七人の侍」があるからかな)
宇宙人は、みんな他を助けようとするが、地球人はしない。
地球人が支配する側だったこともあるが。
そんな中、自分の身体を切り取って「タベル?」と差し出し、最後は死んでしまった宇宙人がいた。
自己犠牲は愛だろう。

しかし、トレチャコフ大佐が仲間を食べることを提案した事で、この道が決まってしまった。
もし彼がこの提案をしなかったらどうなっていたのだろう。
それでも殺し合いは起こったのか、それとも餓死の道か。
人間の尊厳を考えたら、全員が餓死の方が良かったのではないだろうか。
人肉を食べる事は、有りだと思う。誰かが死んでいたとしたら。
しかし、動物のようにその対象の命を奪ってしまうのはどうなのだろう。
生存本能はあるが、それだけを優先させたら獣と同じになる。
トレチャコフとしては、自分が死んだらその肉を食べてくれと言い残して自殺するのが正解だったのではないだろうか。

殺して食べる事が受け入れられない人もいた。生理的と心理的と両方の面があると思うが。
自殺した、ヴァホフの幼馴染がそうだったのだろう。
自殺した時、ヴァホフは、自分に何も言わずに死んだ事を辛いと苦しんでいた。
しかし、親しい者にほど、自分は死ぬとは言えないのではないだろうか。
言えば相手を苦しめる事は分かっているから。止められるのも辛いし。
だから、黙って逝ってしまうのではないだろうか。

でも、この気持ちや最後までルービンの世話をしていた事は、ヴァホフが優しい人間だった事を伝えてくれる。
そう、本来のヴァホフは優しい、穏やかな性格だったと思う。
罪を犯したと、自分は有罪というヴァホフだが、ただ事実だけを見てみると、どれ程の罪なのだろうか。
人肉を食べた事は罪にはならないと思うが。
トレチャコフは、自ら死を願っていたと考えれば、自殺ほう助。
2番目のみんなで手を下したのは、殺人ほう助だと思うが、話しを聞くとヴァホフが積極的に手を出したとは思えない。
もしかしたら、見ていただけかも。
それなら殺人を見過ごした罪。
その後は、実際に殺したのはルービン少佐だ。
ルービンを殺そうとして準備していたと言うが、実行出来たかどうかは分からない。

本来、これは法廷に立たせるべき事件ではなかったのだろう。
ヴァホフが言っていた通りに、発見した中尉が2人を撃ち殺し教会を爆破してしまったらおしまいだった。
そこまでではなくても、軍隊という集団であったならば、これを公にはしなかっただろう。
そこで起こった事は、有耶無耶のまま、ヴァホフは最前線に送られて終りだったのではないか。
死んだ兵士は戦死と伝えれば済んでしまう。
遺族に伝える時、食べられる為に殺されたなんて、言えるだろうか。

やはり、発見者のスクリヤビン中尉が見た事を黙っていれば良かったのだ。
何でも真実を伝えばいいと言う事はないのだ。

何故ヴァホフは、地下室であったことをありのまま語ろうと思ったのだろうか。
安全な所にいる人間に自分たちの過酷な現状を伝えたかったのだろうか。
本当にあった事を知っているのはヴァホフ1人。
もしかして、本当の事を語っているのではないのかも知れない、とも思った。
ヴァホフは、死んでいった仲間たちを、多くの人の記憶に刻み付けたかったのだろうか。
何か他にも隠していることがありそうな、策略家の感じの藤波ヴァホフ。
加藤健一氏が演じた時は、また違ったヴァホフだったろうと想像する。
演じ方や、その人が持っている雰囲気でかなり変わりそうなヴァホフだと思う。

色々と思ったり考えたりする要素はたくさんあるが、そこまで。
愛と言うより、辛くて虚しくて悲しくて無力感に申し訳なさ。そんな感じ。
でも、きっといつまでも心に残る。
何か別の機会に、これが浮かんでくるかも知れない。
原作の本も出ているが、読みたいような読みたくないような。
取り敢えず、今はまだ舞台の余韻を。


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