しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「わたしのなかのあなた」 ジョディ・ピコー  

2010年05月28日 | 読書
「わたしのなかのあなた」 ジョディ・ピコー   早川書房
  My Sister’s Keeper       川副智子・訳

アナ・フィッツジェラルドは13歳。
16歳の姉ケイトは2歳の時に、急性前骨髄球性白血病と診断される。
アナはケイトのドナーとなるべく、遺伝子操作によってデザイナー・ベイビーとして生まれる。
そして治療のために、臍帯血にはじまり、リンパ球、顆粒球、末梢血幹細胞などを提供して来た。
今度は腎臓移植がケイトの命を生かすために必要になる。
アナにもリスクがある移植を、両親のブライアンとサラは当然のことと考えていた。
アナは、キャンベル・アレグザンダー弁護士のオフィスを訪ね腎臓提供はしたくないと、両親相手に訴訟を起こす。




答えの出ない問題。
しかし、答えが出ないからと言って、そのままにしてはいられない問題。
家族と命がその真ん中にあっては逃げ出せない。
命は本当に重い。
それは、命は単純にその人だけのものとは言えないから。
しかし、誰かのドナーになることは、また違った意味合いを持つ。
相手の命が関わっている時に、自分を優先して考えることに罪悪感を持ってしまう。
アナ自身も本当は決められないことで、葛藤する。
それぞれの思いが丁寧に書かれているが、ケイトの思いだけがない。
それは物語としての演出なのだろうけれど。
ケイトの思いは推測するしかないが、きっとアナと同じなのだろう。

この物語では、生まれてきた経緯からしても、アナの存在はサラにとってはケイトのためにあると感じられる。
母親としては、どうしてもそうなってしまうのだろう。
裁判がどうなろうと、結局アナはケイトの腎臓移植に同意するのではと思ていた。
だからどんな結末になるのかとても興味があった。
が、真正面から向かいあった結末ではなかった。
逃げられてしまった感じ。
やはり難し過ぎるのか。
裁判の決定は、やはりアナには大変なことには変わりがない。
決断をせずに終ってしまった。

命のことを思うと、生きられる人は精一杯生きるのが命を与えられた人の責任。
生きたくても生きられない人がいるのだから。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大相撲夏場所 魁皇1000勝 | トップ | 2010 F1第7戦 トル... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事