しましましっぽ

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「太陽を曳く馬」   高村薫 

2014年02月27日 | 読書
「太陽を曳く馬」   高村薫    新潮社   上・下巻

東京赤坂にある永劫寺では、敷地内に別院を構え、永劫寺サンガと称し座禅修行を行っている。
その僧だった末永和哉が、夜寺の外で車に撥ねられ死亡する。
末永はてんかんを患っており、寺にはその保護責任があったと訴えられる。
合田雄一郎刑事はこの事件を調べる為に、関係者と会って話を聞いて行く。
その中に、永劫寺サンガを作り3年前まで代表者だった福澤彰之もいた。
合田は、彰之の息子、秋道が起こした殺人事件の捜査にも加わっていた。
合田が彰之を訪ねたのは、秋道の死刑が執行された日だった。
秋道の事件や、末永がオウム真理教にも属していたことで繰り広げられた議論など、細かく書かれている。








「新リア王」の雰囲気そのままの物語。
刑事合田雄一郎も、仏教の考え方を知り、考える。
オウムは宗教か、そうでないかの議論も細かい。
物語というより、評論のようだ。
自分の存在や生きることの意味や世界との係り方。
突き詰めて考えても、決して結論など出ないだろうに、それをずっと苦しいまでに考えていく。
生きることはもっと、気楽でもいいのではないだろうかと思える。
宗教とは、こんな物なのだろうか。
福澤彰之と秋道は、「新リア王」を読んだ時に受けた印象と違う。
特に、秋道はただ反抗的な普通の若者だと思っていた。
彰之の捉え方もそうではなかったのだろうか。
秋道が逮捕された後に、手紙で書き送った内容は、秋田の草庵で暮らした時には全く考えもしなかったのだろうか。
その手紙も、何となく違和感が。
まず何を息子に伝えたいのか、訴えたいのか。
自分なりの絵の解釈をして、心を知ろうとしたのだろうか。
そもそも、普通の会話が成り立つ相手なのか、秋道の場合分からない。
この物語の核となるのは、福澤秋道と末永和哉だが、2人の考えは書かれない。
秋道は、取り調べや裁判の記録だけ。
末永も実際はどう感じていたのか、それは分からない。
そして、彰之も分からない存在になってしまった。

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