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「十二国記 東の海神 西の滄海」(再読)  小野不由美

2019年10月07日 | 読書
「十二国記 東の海神 西の滄海」(再読)  小野不由美  講談社文庫   

十二国の中の雁州国。
即位して長く善政を布いた梟王の心に魔が訪れ、国は荒廃した。
その後の延麒が王を探し出す事が出来ず、30年の天寿尽きて斃れる。
荒廃は進み、土地に緑はなく民の数も少なくなる。
次の延麒は胎果として蓬莱の国に生まれる。
六太と呼ばれた子は4歳の時、戦さ続きで焦土となり貧しさから親に捨てられた所を見つけられ十二国に戻る。
六太は13歳の時、蓬莱で王となる小松尚隆を見つける。
小松尚隆は戦国時代、戦に巻き込まれ国主になった途端に国を失ったの男だった。
延王尚隆が王となって20年。
国土が少しずつ復興して緑が蘇っていたが、まだまだ各州までは手が回らず復興の途中だった。
そんな時、六太を更夜と名乗る少年が訪ねて来る。
延麒は18年前に妖魔に乗った子どもと知り合い、名前のないその子に更夜と名付けた事があった。
更夜も小さい時に貧しさから親に捨てられ、それを助け世話をしたのが妖魔で、2人には絆が出来ていた。
更夜は、今は元州の官、令尹の斡由に仕え年を取らない仙籍になり、まだ若いままだった。
懐かしく思い喜ぶ六太だったが、更夜は六太を誘拐する為に来ていた。
元州は、王に要求することがあり、六太はその人質となる。






雁州国の延王と延麒の物語。
現在進行形の事態と、2人の出会いが書かれている。
陽子が十二国に来た時のシリアスな物語に反して、こちらはコミカルな味がある。
延王と延麒のやり取りや、取り巻く人達との会話がたまらなく楽しい。
お互いに「馬鹿」とか「ぐうたら」と言いつつ、2人とも心の奥で、とても平和な世界を求めている。
表面はコミカルだが、心の内はとても真摯。
六太の「王がいない世界の方がいい世界になるのでは」という疑問。
専制君主制と民主主義の社会はどちらがいいかと言う事になるのか。
この話題は「銀河英雄伝説」のヤン・ウェンリーの言葉を思い出す。
「専制君主が、良い人なら良いけれど、人は必ず死ぬから良い人が続くとは限らない」と。
しかし、十二国の場合は、仙籍に入れば死なない。
そんな世界なら良い王が治めた方が良いと言う事か。
十二国では、王が道を外れたら麒麟が病んで王も死ぬ事になっている。
しかし、そうなるまで随分時間が掛るようだ。
雁国も、常軌を逸している梟王をもっと早く止める事は出来なかったのか。
そんなに性急に歴史は進んで行かないということかも。
六太の考える平和な世界には王はいらない。
尚隆は優秀な家臣を持ち、任せている。これは民主主義的なのかも。
だから、延王と延麒は良い組み合わせなのだろう。

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