しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「月の裏側」 恩田陸  

2006年05月31日 | 読書
「ようこそ箭納倉(やなくら)へ」駅舎を出たところで、三隅協一郎は、多聞を迎える。
箭納倉は掘割にどんこ舟が下っていく、九州にある水郷都市である。
この町で、老人が姿を消し、何日後かに戻って来ると言う不思議な事件が起こり、協一郎はその不思議を多聞に話す為に呼びよせたのだ。
そして調度、協一郎の娘の藍子も嫁ぎ先の京都から、リフレッシュの為に帰郷して来る。
協一郎が飼っている猫の“白雨”がある時、人間の耳にそっくりな物を持って来る。
前にも指の先などを持って帰って来ているというが、それは何日かすると消失していた。
実は、協一郎の弟夫婦も一度姿を消していた。戻ってきた2人は前とは別の者になっていると協一郎は話す。
『盗まれた』人間が違う者になって戻ってくる。
そんな結論に達した時、町中から人々の姿が消える。


はっきり言ってよく分からない。
人を盗んで、何も変わらなかったら、盗む理由はなんだろう。
盗んでいる人(存在?)に、得になっている事はあるのだろうか。
焼いて骨は残らないということは、その前の中身を何か別の物に使っているとか?
それともこれは、盗まれた側の問題なんだろうか。
心が変わらず、寿命も変わらないとしたら、その周りの人に及ぼす影響はないに等しい気がする。人間なんて、他のものになっても、変わらないよ、という。
事実を知ったら、ちょっと気持ちが悪いかも知れないが。
換わりの人間って、手塚治虫さんの「マグマ大使」の「人間もどき」みたいと思ってしまったが、人間もどきは、支配者に操られていた。
この話は盗まれても、盗まれていなくても、関係ない。そんな事は今の人間の生活には関係ないことと言うのだろうか。

町から人間が消えたところは、小松左京さんの様だと思った。
しかし、1度盗んだ人間まで、また盗んでしまったのかと思っていたら、ひっそり隠れていた様だが、それまでにたくさん盗んでいた様だから、あんなに誰もいなくなることはないのではとも思った。
雰囲気を盛り上げる為に大袈裟に表したのかな?
やっぱりよく分からない。はっきりとした結論を求めてはいけないのかな。
タイトルの意味は、人間は月に行ったというが、それはもしかしたら嘘かも知れない。真実は分からない。月の裏側なんて、見えないから。という事?
でも、河童伝説に絡めたり、白雨の意味ありげな行動や、こういう雰囲気は結構好きで、人が消える過程を探っていくところはぞくぞくした。
しかし、分からないと言う事は、面白さを理解出来ていないのかな。

恩田さんの本は初めて読んだ。
名前だけは、最近話題になっている本があるので知っているが、どんなジャンルかという事など、全く知らないでこの本を読んだ。分からないと言いつつ、面白かった。
明確に区別する必要はないと思うが、これはSF?
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