しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「荒神」  宮部みゆき

2015年04月11日 | 読書
「荒神」  宮部みゆき  朝日新聞出版   

五代将軍綱吉の頃。
陸奥永津野藩と香山藩は大平良山を挟んで位置する。
かつて香山藩藩主瓜生家は、永津野藩の土豪に過ぎなかったが、関ヶ原の戦役で東軍に付き立藩が認められた。
公の現状では永津野藩が主藩で香山藩が支藩の間柄だが、永津野の方はそれを苦々しく思っている。
領民を巡るトラブルもあり、お互いに油断のならない存在となっている。
そんなある日、香山藩の小平良山の麓にある仁谷村の村人の姿が消える。
永津野藩の藩主竜崎高持に5年ほど前に、曽谷弾正と言う側近が付いてから、領民を連れ去る事が続いていた。
しかし今回は様子が違い、その調べに行った山番の藩士たちからも連絡が来なかった。
一方、永津野藩の大平良山の麓の村、名賀村の森で怪我をして助けられた子どもがいた。
意識を取り戻した子は「お山が、がんずいとる」と言って怯える。








怪物が現れるが、それは人間の気持ちが作った物。
怨念や呪詛と人の負の念のエネルギーの強さが、実態の在る物を生み出してしまう。
それは今までも物語に出て来る。
しかし、今回はあまりにも実在感があり過ぎな感じで、もう少し曖昧なままの方が好みかも。
そして今回の怪物の規模を考えると、どれ程の思いや恨みが入っているのだろうと思ったが。
それが、以外と小さいと言うか。
出来始めが失敗作というのがアンバランスな感じ。

1番しっくりして面白いのは2つの藩のこと。
永津野藩と香山藩の複雑な難しい関係は、歴史としてもよく分かる。
そこで色々な思いが負のエネルギーとなって、何かを誕生させてしまったという方が分かるような気がする。
山が怒っている、と言う事でもいい。
ただそこで、怪物を作り出そうとした考えはあまり現実味がない。
そして、それに絡んだ曽谷弾正がよく分からない。
怪物を目覚めさせてしまう程の思いは何だったのだろう。
朱音と市之介の生い立ちがもっと丁寧だったら、分かったのだろうか。
朱音も、突然育ちの良い、人の上に立つお台様に相応しい性格になっているのも不思議。
育ちを考えると、もっと村娘の感じになるのではないだろうか。

何となく、基になる柱がなくて、小さい柱が沢山あるような印象。
面白いのだが、物語としては弱く感じる。

気や妖術から出来た怪物なら、もっと人間の気持ちに作用するような妖怪の方が相応しいような。
怪物がしっかりと実体化しているのが、かえって不思議。
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