Whoちゃんの写真ブログ

明るく楽しく元気よくをモットーにした私の生活写真です。
2016年から福岡で新たな人生をスタートさせています。

終戦記念日によせて-その2

2022-08-09 16:33:59 | 日記

 (2) 父から聞いたこと

 戦後満州から鍋と釜を背負って故郷に帰った父からは軍隊の厳しさの話は少なかった。 父は戦後元の公職には復帰できず、苦労して開墾した土地は農地改革で人手にわたることになった。

  その父が戦地で特に印象に残ったことは、日の入りの風景でまさに「金州城外斜陽に立つ」という漢詩のとおりだと感激したらしい。

また、軍隊には様々な職業・いろいろな経験した人が集まっているので、「家なんか簡単に建つ」とも言っていた。今風にいうと軍隊は総合商社だったという意味らしい。

(3) 大叔父から聞いたこと

 当時父の叔父(大叔父)も満州に赴任していた。奉天の近くまでこの大叔父が馬に乗って父に会いにきたらしい。お互いによっぽど嬉しかったらしく、何回もこの話を聞いたことがある。

 大叔父からの話は、戦争について「戦争で鉄砲の弾は前からだけくるんじゃないぞ!後からもくるんだ!」ということだった。

 この言葉は、サラリーマン生活を振り返ることができる今でも、特に含蓄のある言葉に思えてならない。

 

* 8月に入っても集団で鳴きつづけているセミ。写真は大型のクマゼミとアブラゼミ(4匹)。

 

 

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終戦記念日によせて-その1

2022-08-06 14:27:06 | 暮らし

 8月15日の終戦記念日が迫ってきた。

  国際情勢も緊迫する中、戦争について私と親戚の話をまとめておくこととする。

 (1) 私の経験から

 とはいっても私は昭和21年の戦後生まれ。

1つ目は、熊本市中心部に住んでいた叔父の住宅。終戦間際の空襲の焼夷弾で風呂場だけが真黒に焼けていた。戦後まだ厳しい生活の中、風流ではないが、風呂に入りながら、夜空の星を眺めたことを覚えている。

2つ目は、熊本の小学生の時、朝鮮戦争に出撃中のB29の大編隊。真夏の暑い時期、青空と白い雲の中で大きな機体が10数機づつかなりの高度を飛んでいた。いくつもの編隊を組んで北上するその姿はキラキラと奇麗で光って見えた。

「朝鮮に行きよるぞ!」「日本はアレ(B29)に負けたんだ!」というような言葉を誰かが発したことを覚えている。

 * 夏の厳しい暑さが続いているが、花が少なくなっている今、百日紅のサルスベリが赤い・白い・ピンクの花を咲かせている。

 

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