大好きな山小屋を紹介します。
『徳本峠(とくごうとうげ)小屋』です。
(↑看板が読みにくいですが、『峠の宿 徳本小屋』と書いてあります。)
全体の写真はこんな感じです。
上高地側から登るとこんな感じです。
今でこそ上高地に入るのには電車とバスを使い、『釜トンネル』を通りますが、
この『釜トンネル』が開通する昭和8年までは、松本から島々谷を延々8時間近く
歩くしかありませんでした!
上高地は四方を山に囲まれた盆地ですから、当然峠を通ります。松本側の峠が
この『徳本峠』です。
因みにもう1つ岐阜側の峠は、焼岳の中腹にある『中尾峠』です。
高村光太郎が結婚前に智恵子さんを伴って来た時も、芥川龍之介が槍ヶ岳に登るのに
上高地へ来た時も、みんなここを通って来ましたし、
ヨーロッパに日本アルプスを紹介したとしてウェストン祭やウェストン碑に名前を残している
ウォルター・ウェストンももちろんこの峠を越えました。
で、どうして大好きなのかと云うと、『初めて泊まった山小屋だから』です!!
「なぁ~んだ」と思われるかもしれませんが、私が山好きになったのは、
2002年上高地で働き始めた年に、旅館の研修に嫌々参加した時からなんです。
6年前までは、上高地は好きでしたが山に登ることは嫌いでした。
と云うか、山を見るのは好きでしたが、重い荷物を担いで汗をかいて長時間歩くことに
何の興味も湧かなかったんです。
その研修は、昔を偲ぶということで島々から二俣、岩魚留小屋を通って
『徳本峠小屋』に泊まって、翌日上高地に下るというコースでしたが、
嫌々登ったのと、スニーカーでいいやと靴を軽んじてしまったこと、
高所恐怖症なのに小屋までの島々谷に『下の見える橋』が連続していたことで、
(こんな橋の連続! 木製だともっと怖い!)
峠直下1時間の『力水』と呼ばれるところで、力尽きてしまったのでした…。
一緒にいった同僚に荷物を全部持ってもらってようやく小屋に着いた時には
足は棒のようになっていて、バンテリンを塗りたくってもこむら返りが
何度も何度も起きました…。
(心の中で)泣きながら食べた夕食は、全部手作りで心のこもった食事でした。
初めて食べた『ハリブキ』の天ぷらは忘れられません!
(ハリブキの葉。この鋭い針が天ぷらにすると気にならなくなるはずが…)
そしてもっと忘れられないのは、梅雨の時季に行ったのにふかふかだったお布団でした!
お陽さまの匂いがするようなお布団で熟睡しました。
そして翌朝、小屋の横から見た穂高。
朝陽を浴びて輝く穂高(明神岳)はいつも見ていた山容とは違って新鮮で…。
この光景をウェストンも光太郎も智恵子も龍之介も見たのかと思うと感慨深く、
感動でした!
この研修の後すぐ登山靴を購入し、その年は蝶ヶ岳や焼岳に登りました。
また、この時に島々谷で見た『カモメラン』は、私を花好きにもしてくれました。
そんな峠に今年は、6月、7月、10月と3回行きました!
去年の7月豪雨で島々谷の登山道が寸断されて通行止めになっていたのが、
いろいろな方々(私の所属しているやまたみでも復旧に参加しました)の尽力により
開通したので、10月には岩魚留小屋まで往復して来ました。
あれから6年経って、少しは歩ける体になりました。
去年から小屋番をされている岩本さんには、いつもいつもお世話になっています。
優しくて楽しい方です。
木造でつっかえ棒をしていないと立ってられない、おじいちゃんのような小屋ですが、
手作りがいっぱいの温かい小屋です。
魅力いっぱいの大好きな小屋です。
島々谷を歩くのは大変だけど、上高地からだと3時間あればゆっくり行くことが出来ます。
長くなってしまいましたが最後に、明神から徳本峠の分岐を右折してしばらく歩くと
こんな橋を渡ります。高所恐怖症の私はとても怖い橋なのですが、
下が見えてしまう橋は、上高地側はこの橋だけなので、ゆっくり渡れば大丈夫です。
出来れば泊まることをお勧めします。(予約もいれた方がいいです。)
ランプの灯りが日常を忘れさせ、古への昔に時間を戻してくれます。
(若返るわけではありませんので、悪しからず…)