ネットで『万葉の旅』のブログを眺めていましたら、興味を注られる事項を発見しました。
香春 鏡山の項で次のように出ています。
河内王を豊前の国の鏡山に葬る時に手持女王(たもちのめおう)が作る歌3首
大君の 和魂あへや 豊国の 鏡の山を 宮と定むる 巻3-417
豊国の 鏡の山の 岩戸立て 隠りにけらし 待てど来まさず 巻3-418
岩戸破る 手力もかも 手弱き 女にしあれば すべの知らなく 巻3-419
この歌3首は河内王の為に詠んだ筈なのですが、天照大神(アカルヒメ)を懸けて詠んでいると思われます。
手持女王(たもちのめおう)は当時此処『香春』が、天照大神(アカルヒメ)が居た場所である、と伝承されている事を知っていたとも、考えられなくもありません。
河内王が亡くなったのは7世紀の末(694年頃)と謂われていますので、『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)の編纂より前という事になります。
『大君』とは河内王と天照大神を懸けています。『和魂あへや』は、心が打ち解け和んで出会う二人の様子が伺われます。この二人、どちらも大日孁貴(息長氏?)であることが隠されています。
手持女王は『たもちめ の おう』とも発音しますが、此処では多分、『たもちの めおう』と呼ぶのかも知れません。となれば、手持 女王となり、これは、祭・祀詞女王としてこの地を治めていたと解釈出来ることになります。
其処から導かれますのは、7世紀の卑弥呼(日巫女)であったかも知れません。だから、口伝で天岩戸伝説がこの地であった事を知っていた。と解訳する事も可能です。
やはり、アカルヒメは天照大神(大日孁貴)であったように感じられます。
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