「息長氏は秋永氏である。」の顛末記

秋永氏探求から紐解く日本古代史

秋永氏探求から紐解く息長古代史10

2011-11-16 | 古代史

ネットで『万葉の旅』のブログを眺めていましたら、興味を注られる事項を発見しました。

 

香春 鏡山の項で次のように出ています。

 

河内王を豊前の国の鏡山に葬る時に手持女王(たもちのめおう)が作る歌3首

 

大君の 和魂あへや 豊国の 鏡の山を と定むる      巻3-417

 

豊国の 鏡の山の 岩戸立て 隠りにけらし 待てど来まさず  巻3-418

 

岩戸破る 手力もかも 手弱き 女にしあれば すべの知らなく 巻3-419

 

この歌3首は河内王の為に詠んだ筈なのですが、天照大神(アカルヒメ)を懸けて詠んでいると思われます。

 

手持女王(たもちのめおう)は当時此処『香春』が、天照大神(アカルヒメ)が居た場所である、と伝承されている事を知っていたとも、考えられなくもありません。

 

河内王が亡くなったのは7世紀の末(694年頃)と謂われていますので、『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)の編纂より前という事になります。

 

『大君』とは河内王天照大神を懸けています。『和魂あへや』は、心が打ち解け和んで出会う二人の様子が伺われます。この二人、どちらも大日孁貴(息長氏?であることが隠されています。

 

手持女王は『たもちめ の おう』とも発音しますが、此処では多分、『たもちの めおう』と呼ぶのかも知れません。となれば、手持 女王となり、これは、祭・祀詞女王としてこの地を治めていたと解釈出来ることになります。

 

其処から導かれますのは、7世紀の卑弥呼(日巫女)であったかも知れません。だから、口伝で天岩戸伝説がこの地であった事を知っていた。と解訳する事も可能です。

 

やはり、アカルヒメは天照大神(大日孁貴)であったように感じられます。

 

 

 

 

 

 

 


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