「息長氏は秋永氏である。」の顛末記

秋永氏探求から紐解く日本古代史

秋永氏探求から紐解く息長古代史9

2011-11-15 | 古代史

大胆な想像ですが、スサノオとツヌガアラシトは同人物とも考えられます。

 

スサノオが神話の中の神でツヌガアラシトが実体のある神のように感じてしまいます。

 

宇佐神宮の由来にあるスサノオの子、五十猛命の末裔の辛嶋氏が比売大神(天照大神)を持ち込んだのも合点がいきます。

 

香春神社の近くに須佐神社が幾つか在るのも怪しく感じます。

 

ただ、スサノオの子である五十猛命神(いそたけるみことかみ)が天照大神の子であるかは不明ですが、天照大神は結婚していないと言われています。天照大神の後を継ぐ天之忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)はスサノオが天照大神の子を創った事になっています。

 

(出雲の伝承では、五十猛命は父であるスサノオと一緒に出雲にやってきた事になっています。五十猛命はアカルヒメが新羅で産んだ子。とも考えられなくも無いです。)

 

ウィキペディアで崇神天皇を調べてみますと、紀元前148年から紀元前29年までの生涯となっています。

 

私の感じでは、当時はどう解釈しても120年も長生き出来たとは考え難いです。

 

別の説として3~4世紀に実在した王と捉える人達も少なくないとの由。当時は1年に2歳年をとるので、紀元258年とか318年に没した説を唱える人もあるそうです。

驚くべきに、神武天皇が崇神天皇のことで、第2代~第9代は実在しない説が有力である由。

 

そうなると、歴史の時間軸が大きく変わります。確かに、アカルヒメが天照大神にスサノオがツヌガアラシトに思えない事もない様にも感じます。

 

香春の地に立ってみると、ツヌガアラシトの匂いがプンプン感じたのを思い出します。

 

 

 

 

 

 

 

 


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