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「息長氏は秋永氏である。」の顛末記

秋永氏探求から紐解く日本古代史

遥かなる痕跡。

2012-03-06 | 古代史

 

大分県別府湾岸の日出町(ひじまち)から杵築市にかけて熊野(くまの)と謂う地域名があります。熊野と謂う地名は各地に見受けられ、珍しい事も無いのですが、この地に真那井(まない)と謂う地名もあります。この「真那井」は京都府宮津にある籠神社奥宮真名井神社を思い浮かべます。また、大神(おおが)の名前も見受けられます。(大神比義と関係がある由。)

これは、2~3世紀頃の「尾張氏」「海部氏」の痕跡と想われます。

 

ネットにて籠神社関係で検索しました所、ブログにて次のように出ていました。

 

{江戸時代に編纂された『丹哥府志』(たんごふし)に、次のような興味深い記述がある。
『神服連海部直(人皇七代孝霊天皇の御宇に熊野郡川上の庄に国府を造る)の子笛連王、母を節媛(ふしひめ)といふ、人皇八代孝元天皇に仕へ奉り、丹波与謝郡比治の里、笛原に国府を造る、比治は今丹波郡比治山の麓、五箇の庄なり。
笛の浦(一に府江原と記す)笛連の府跡なりとて山中に海部の名あり、海部は其父直の姓なり。』}

 

と、京都丹波の事として書かれていますが、之を読みまして、やはり遥か昔の豊後国の痕跡を残している事が感じられました。

 

ちなみに、わたしの孝霊天皇の比定地は福岡県みやこ市勝山町黒田、孝元天皇は福岡県田川郡香春町鏡山(現在、河内王墓と見做されています。)です。ので、地域間の整合は在るものと考えられます。

 

 

 


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