「息長氏は秋永氏である。」の顛末記

秋永氏探求から紐解く日本古代史

九州王朝を紐解く、垂仁・崇神天皇と欠史8代の王。8

2011-12-05 | 古代史

第4代懿徳(いとく)天皇は、『軽之堺岡宮(かるのさかいおかのみや)』に住み、『畝傍山』の真名子谷(まなこたに)(日本書紀では南の谷)に埋葬した。となっています。 

 

これも、第8代孝元天皇と一緒で香春町の香春神社近くとも想われます。 

畝傍山とは、田園地帯に屏風のように山々の嶺が高さを揃えて田んぼの畝のように長く延びている山の事だそうです。

『畝傍山』は固有名詞とは限らず、解釈が如何にでも出来る事になります。

此の記述より読み解ける事は、畝傍山は東西に延びている山並みである可能性が高い。と

考えられます。

真名子谷は現在認められませんが、8月に出会った柳井秀清(香春町郷土史研究会会長)さんの居られる近くの鏡池の近くの墓地ではないでしょうか。此処も王の墓の口伝が残っていると述べられていました。近いうちに訊ねて観たいと考えています。

しかし、何故この様な山の中に王宮を構えなければならなかったのでしょうか。

答えは一つ、銅や鉄の生産の為だと考えられます。

みやこ町黒田と香春町との間の障子ヶ岳(427m)から七曲峠(新仲哀隧道)の間には、

採銅所が見受けられ、他にも幾つかの採銅所が見受けられます。此の辺りは銅剣・銅矛・銅鏡等の軍事工場としての重要な役割を担っていたものと考えられます。

 

飛鳥(近畿)に移動し、居着いた海人(天人)集団の仲間を支えたものと考えられます。と謂うことは、飛鳥(近畿)においては、可なり多くの、争いごとが起きていたものと推察されます。

そして、その後第10代崇神天皇の時代に採掘の安全無事と採取の増大の為にも、香春神社は祭祀神社として息長氏の霊力が必要とされ香春神社が創建されたのだと考えられます。{第4代懿徳(いとく)天皇の時代も祭祀が行われていた事は謂うまでもありません。}

 

『軽之堺岡宮』の、もうひとつの解釈は、『軽』の地域との堺にある、岡の宮と解釈をして、『記・紀』に出てくる『岡』水門・『岡田の宮』の事を指すとも考えられます。

しかし、この宮がどの辺りであるかは特定できていません。

 

 

 

第3代安寧(あんねい)天皇は『片塩(かたしお)の浮穴宮(うきあなのみや)』に構えた。『畝傍山』の南の窪地に埋葬した。とあります。

 

之も『畝傍山』が如何にでも解釈できます。『片塩の浮穴宮』の場所が不明ですが、此処も片塩や浮穴宮の印象から海岸に近い場所、黒田近くの宮とも考えられ行橋か苅田・朽網あたりとも考えられます。若しくは、北九州黒崎の穴生(あのお)辺りとも考えられます。近くには水巻町の立屋敷遺跡もあり、弥生時代の条件は揃っています。

いずれは解明されるものと想われます。

 

《追補》

12月26日ネットを眺めていましたら、苅田町役場の中には3世紀中頃から後半に構築されたとされる石塚山古墳があり、此処では三角縁神獣鏡を含む銅鏡が十数面他、剣・矛・鏃が出土しており、直ぐ傍には浮殿神社がありました。此の浮殿神社は神明造りで、堅魚木が奇数になっており、男神を祀っています。地元では苅田山笠の集合の場所となっており、この浮殿神社が以前は第3代安寧天皇が居られた浮穴宮とも考えられます。また、直ぐ南の行橋には片塩ではありませんが、片島の地名も見受けられます。

 

 

 

第2代綏靖(すいぜい)天皇は『葛城の高丘』(かづらきのたかおか)に住み、倭の桃花鳥田丘(つきだのおか)、(古事記では衝田岡になっています。)に埋葬した。となっています。

『葛城の高丘』(かづらきのたかおか)は特定できません。探し出せませんので、多分飛鳥の葛城に居たとも想われます。しかし、倭とわざわざ書いて有りますので、北部九州。博多の早良区か西区に埋葬したとも考える事も出来ます。

 

根拠は、第5代孝昭天皇の項で『葛城の掖上の博多山』が早良区に在った為、葛城(此の

言葉は、固有名称ではなく、状況を指す意味にも解釈出来ますので全国至る所で葛城の名称が使われます。)を一応、神武天皇・綏靖(すいぜい)天皇の出身地と思しき地に近い所と考えました。

 

そう仮定しますと、第6代孝安天皇の処で検討しました、吉武・高木遺跡の王墓の主かも知れません。

 

 

《追補》

『葛城の高丘』(かづらきのたかおか)は、最近大分市明野台にある葛木(かつらぎ)の事ではなかろうか、と感じています。高丘と謂う地形的に合致して、衝田岡(つきだのおか)のイメージを彷彿致します。尾張氏の本貫地でもあり、大いに可能性を感じています。

 

 

 

 

 


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