和紙の歴史
(三)物語文学と和紙
みちのく紙
平安時代には、漢字を使用する男性は楮の穀紙、かな文字を使う女性は陸奥紙(檀紙)を使用したという。
『源氏物語』には、
「みちのく紙の 厚肥たるに 匂ひばかりは 深からしめたまへり」
『枕草子』には、
「白き清げなるみちのく紙に いとほそうかくべくはあらね 筆して文かきたる」
と、記されている。
平安後期以後の檀紙は、ダンシと読まれ、原料も楮を原料とした紙で、天平時代の檀紙と別ものであるという説があるが、別の説では、もともと楮を原料とした木綿を原料とした、真木綿紙が転訛して「まゆみ紙」となったという。
江戸時代中期の高名な学者でる新井白石が、宝永二年(1705)に著した『紳書抄』に、
「壇紙は陸奥より始まりける也。俗に引合と云ふは是也。男女の心を通ずる玉章に 此の紙を用ゆる故に引合とは申すとかや。」
とある。玉章とは手紙のことである。
また、文化二年(1805)刊の谷川士清著『和訓栞』に、
「ひきあはせ 壇紙をいふ。男女の志を通はす艶書に此の紙を用いしより名づくと いへり西土の書に松皮紙と見えたり。」
とある。松皮紙という名は、壇紙の表面に繭のような荒くて艶のある皺が波打っているところから呼ばれた別名で、鎌倉時代に中国(元)へ輸出され、中国では松皮紙と呼ばれた。
伊勢貞丈の『貞丈雑記』弘化二年(1845)t刊には、
「引合と云う紙は 昔は有て今はなき紙也。色うす黒き紙なる故 うす墨紙とも云ふ。また、陸奥国より出し故 みちのく紙とも云ひし也。」
とあり、また『源氏物語』にみちのく紙とあるのは引合のことであり、うす墨紙も、『源氏物語』須磨の巻などに出ていると書いている。そして、うす墨紙には、引合と宿紙の二種類あるとしている。
さらに明治七年刊の『大言海』には、
「古へ、檀ニテ製セリトゾ。今ハ、楮ナリ」
とあり折衷案をとっている。
『和漢三才図絵』には檀紙について
「厚く白くして...松の皮 繭の肌ににる」
「大高・引合・繭紙・松皮紙などの数名あり。」
とある。
楮紙ながら穀紙とはちがった紙肌であるため、わざわざ檀紙と命名した可能性が高い。雁皮紙のことを、わざわざその肌合いから鳥の子紙という感性からきたものと思われる。
(三)物語文学と和紙
みちのく紙
平安時代には、漢字を使用する男性は楮の穀紙、かな文字を使う女性は陸奥紙(檀紙)を使用したという。
『源氏物語』には、
「みちのく紙の 厚肥たるに 匂ひばかりは 深からしめたまへり」
『枕草子』には、
「白き清げなるみちのく紙に いとほそうかくべくはあらね 筆して文かきたる」
と、記されている。
平安後期以後の檀紙は、ダンシと読まれ、原料も楮を原料とした紙で、天平時代の檀紙と別ものであるという説があるが、別の説では、もともと楮を原料とした木綿を原料とした、真木綿紙が転訛して「まゆみ紙」となったという。
江戸時代中期の高名な学者でる新井白石が、宝永二年(1705)に著した『紳書抄』に、
「壇紙は陸奥より始まりける也。俗に引合と云ふは是也。男女の心を通ずる玉章に 此の紙を用ゆる故に引合とは申すとかや。」
とある。玉章とは手紙のことである。
また、文化二年(1805)刊の谷川士清著『和訓栞』に、
「ひきあはせ 壇紙をいふ。男女の志を通はす艶書に此の紙を用いしより名づくと いへり西土の書に松皮紙と見えたり。」
とある。松皮紙という名は、壇紙の表面に繭のような荒くて艶のある皺が波打っているところから呼ばれた別名で、鎌倉時代に中国(元)へ輸出され、中国では松皮紙と呼ばれた。
伊勢貞丈の『貞丈雑記』弘化二年(1845)t刊には、
「引合と云う紙は 昔は有て今はなき紙也。色うす黒き紙なる故 うす墨紙とも云ふ。また、陸奥国より出し故 みちのく紙とも云ひし也。」
とあり、また『源氏物語』にみちのく紙とあるのは引合のことであり、うす墨紙も、『源氏物語』須磨の巻などに出ていると書いている。そして、うす墨紙には、引合と宿紙の二種類あるとしている。
さらに明治七年刊の『大言海』には、
「古へ、檀ニテ製セリトゾ。今ハ、楮ナリ」
とあり折衷案をとっている。
『和漢三才図絵』には檀紙について
「厚く白くして...松の皮 繭の肌ににる」
「大高・引合・繭紙・松皮紙などの数名あり。」
とある。
楮紙ながら穀紙とはちがった紙肌であるため、わざわざ檀紙と命名した可能性が高い。雁皮紙のことを、わざわざその肌合いから鳥の子紙という感性からきたものと思われる。