太政官札の発行のあと、近代国家の整備のため共通通貨として「円」を採用し、近代的紙幣を導入した。
このお札が「明治通宝(めいじつうほう)」で、1872年(明治5年)4月に発行され、民衆からは新時代の到来を告げる斬新な紙幣として歓迎され、雑多な旧紙幣の回収も進められた。
新貨幣の呼称を円とするとともに、金貨を本位貨幣と定め、金1.5g=1円と定めたのである。新貨条例では、本位金貨に加え、貿易上の便益をはかる目的で1円銀貨(貿易銀)の鋳造と、開港場での無制限通用を定めていた。
日本では西洋式印刷術による初めての紙幣として有名である。
ただ、まだ近代的紙幣の印刷技術がなく、偽造防止のためドイツ・フランクフルトの民間工場で製造された。このことから「ゲルマン札」の別名がある。
これは「エルヘート凸版」による印刷が、偽造防止に効果があるとの判断からである。
太政官札1両を、明治通宝1円として交換された。
やがて「明治通宝」に不便な事があることが判明した。
まずサイズが額面によっては同一であったため、それに付け込んで額面を変造する不正が横行したほか、偽造が多発した。また紙幣の洋紙が日本の高温多湿の気候に合わなかったため、損傷しやすく変色しやすいという欠陥があった。
その後、当初の契約通り技術移転が行われ、印刷原版が日本側に引き渡された。そのため明治通宝札は日本国産のものに切り替えられ、折りしも1877年(明治10年)に勃発した西南戦争の際には莫大な軍事費支出に役立つこととなった。