随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

阿波踊り

2012-08-14 13:50:46 | 旅日記
阿波踊り①

 
 夏休みといえば、盆踊り。
 盆踊りといえば、やはり徳島の「阿波踊り」
 熱気につつまれて「にわか連」で踊るたのしさ。
  
 ところで、阿波踊りの囃子詞(はやしことば)に、
 「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」
とある。

 


 阿波おどりは、見るよりも踊るほうがはるかに楽しい。
 踊り方には基本があるが、振り付けを覚える必要はなく、初心者でもわずかな練習で踊りを楽しむことができる。 

 現在の徳島での阿波踊りは、「連」というグループ単位で隊列を組み、大通りには観光客のための桟敷(さじき)が設けられ、その観客席の桟敷(さじき)の間を踊り抜ける形式になっている。
むろん観光客も、「にわか連」に参加できるようになっている。
地元の連と一体になって、誰でもが楽しむことができる、徳島の最大の観光イベントとなっている。
 阿波踊りは徳島県下全域で踊られていて、開催期間のお盆には徳島はまさに熱気に包まれる。
 現在は、阿波踊り期間中に、130万人近い観光客が徳島を訪れる一大イベントに成長している。

 阿波の盆踊りが盛んになったのは、蜂須賀家政が天正十四年(1586年)に、徳島藩主となってからであること言われている。
蜂須賀家政は、吉野川流域が米作に不適であることから、藍や塩、紙などの産業育成を図った。
 阿波徳島藩は、表高こそ25万7千石だったが、藍のおかげで、のち実質45万石といわれるほどになった。

 藩の財政が豊かになれば、とうぜん領民も、他郷に比べれば豊かになり、阿波踊りや、人形浄瑠璃などの、伝統芸能が育まれた。
 徳島城下をはじめ阿波は、そのような芸所として伝統芸能が育まれ、個有の文化が展開したところである。

 

 その背景には、阿波「藍(あい)」を中心とした商人の活動が、広範な全国市場を形成したことがある。
 とくに十九世紀に入って、城下に藍大市が建てられるようになり、各地から良質の藍玉をもとめて顧客が殺到した。

 その接待の場となったのは色街であり、さまざまなもてなしの座敷芸能が磨かれた。
 また諸国の芸能も受容され、阿波独特の創造を加え、阿波の諸芸として再生産された。
 座敷芸、三味線流しや、ぞめき踊り(盆踊り)の変遷や、にわか踊りの波及にも、色街の果たした役割が大きかった。

 藍商人が支援者となり、「盆踊り」は年ごとに規模が大きくなっていった。
 そこで生まれたのが「組踊り」で、各町から数百人規模の集団で繰り出し、衣装や持ち物を競いながら、毎年、工夫を凝らした踊りを展開していった。
組踊りは、今の「連」の原型といえる。




 「評判所」が設けられて、踊り審査が行われたため、次第に華美になっていった。 
もう一つ「にわか踊り」がある。
 これは店先で、一人ないし数人で、身ぶり豊かな即興劇を次々と演じ、終われば他の店へ駆けていく「走りにわか」や、歌舞伎役者の着る衣装やかつらを身に付け、寸劇を演じる「歌舞伎にわか」などいろいろあった。
 この踊りも次第に華美になったため「組踊り」同様、徳島藩の取り締まりの対象となり、幕末になっていったん姿を消した。(つづく)
 

チボリ公園

2005-09-18 23:26:58 | 旅日記
妻と二人で、久しぶりの遠出のドライブを計画し、倉敷のチボリ公園へ行ってきた。
チボリ公園はデンマークのTIVOLI PARKと提携して、JR倉敷駅裏の旧倉敷紡績の広大な約4万坪近い工場跡地を活用して作られている。
謂わば公園のテーマパークというところである。

TIVOLI PARKは、1843年、デンマークの首都コペンハーゲンに、感動とロマンにあふれた都市型公園の建設を夢みて、ゲオ・カーステンセンが当時の国王クリスチャン8世から、約6ヘクタールの土地を借りうけ、のちに魔法の庭園とも呼ばれるようになったチボリ公園を誕生させたことに始まる。
世界最古のテーマパークが「TIVOLI PARK」である。

以下は、倉敷チボリ公園のホームページの一部抜粋である。
「多くの小説家や詩人たちからも愛され、なかでもあのアンデルセンはしばしば足をはこび、童話の構想を練った と言われています。都市型公園の基本を忘れず、つねに豊かに進化していくチボリ公園はデンマークの誇りであり、 創設以来2億7千人が訪れたという世界有数の観光スポットです。そして現在もなお、世界中から年間約350万人 の人々が訪れています。

伝統の中に新しい要素を採り入れてきた、歴史と文化の町・倉敷。
1997年7月18日に、デンマークのチボリ公園と提携したプログラムパーク、倉敷チボリ公園が岡山県倉敷市に誕生しました。 倉敷は、白壁の古い町並みを大切に保存し、大原美術館に代表される芸術と、毎年春に開催する音楽祭 で知られる観光都市。このような歴史、芸術、音楽、文化など、コペンハーゲンと共通 するところの多い 魅力的な街に、デンマークのチボリ公園の楽しさ、快適さ、美しさを生かしながら、同時に日本人の感性に フィットした倉敷チボリ公園が創造できることは、とても喜ばしいことです。
時代や年代を超えて、あらゆる人々がそれぞれに「心のやすらぎ」を探し出すことのできる空間を提供する、 新しいタイプのプログラムパーク。倉敷の町が伝統を積み重ねてきたように、倉敷チボリ公園という森も、この白壁の町で、歳月とともにさらに美しく豊かに成長していくことでしょう。」
とある。

出発が予定より遅れ、高速道路の連休による車の渋滞で、倉敷に着いたのは昼を大分過ぎた頃であった。
散策するルートを決めるために、メーンゲート近くにあったバームクーヘンの館で、生ビールを呑んで一休みした。

倉敷チボリ公園は、「約12ヘクタール(3万6千坪)の広大な敷地に豊かな緑と四季折々に咲き誇る花々や、 チボリ湖など「緑と花と水辺」の織りなす心あふるる公園です」とあった。

公園は、大きくは、四つのゾーンに分かれていた。
最初に脚を踏み入れたところが、オールドコペンハーゲンのゾーンであった。
コペンハーゲンに迷いこんだような所で、石畳の道の両側にヨーロッパ風の建物が並び、噴水があり、花壇がある。建物は殆どがお土産ショップであったり、カフェタラスであったりする。
一休みの後、洒落た作りの家に入って見ると、そこはお土産ショップであった。

やはり目的の公園の花々を楽しむべく、すぐに外へでて木々と花壇の間を散策し、沢山配置されている噴水や、ベンチや洒落た家の前で写真を撮りながら散策を楽しんだ。
秋晴れの清々しい天候で、公園の散策には最高の天候に恵まれた。
園内マップを貰っていたが、気分が良いので気儘に散策していると、やがてメーンゲートの近くに戻ってしまった。
公園を謂わば半周した結果になったので、改めて地図を見ながら、奧へ歩くと湖があり、帆船が浮かんでいた。これは、貸し切り専用の水上レストランで中には入れなかった。

随所にヨーロッパ風の建物があり、それがアトラクション施設であったり、レストランであったり、お土産店であった。
もっと森の有るような静かな公園と花壇を楽しみたいと思ったが、遊園地のような雰囲気が強く、日曜日が初日の連休でもあり、子供連れの家族が多かった。
思い切って童心に返り、アトラクションを楽しむことにした。
観覧車に乗ったり、3Dシアター館で動く椅子と連動した立体映像を楽しんだ。
湖の脚漕ぎボートにも乗るつもりであったが、待ち時間が長いので割愛した。

夕方六時から、公園の中央付近にあるコロニーガーデンで、チボリシンフォニーによる音楽イベントを楽しんだ。
秋晴れの気持ちの良い一日で、公園とコペンハーゲンの雰囲気と、アトラクションで遊園地の雰囲気を楽しみ、さらに夜のイルミネーションが灯った雰囲気の変わった公園で、食事を楽しんで帰路に付いた。