随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

 装飾経

2006-06-27 14:14:12 | 紙の話し
和紙の歴史 


(二)装飾経と絵巻物


装飾経

奈良時代は仏教を「鎮護国家」の基本に据えて、その普及に努め、写経事業も大規模に進められた。これらの写経料紙は、染めて使うのが主流で、主に黄染紙であった。紙を染めるのは、聖なる教典を書き写すため、より美しくするためと、虫害を防いで長く使用するためであった。
より荘厳さを持たせるために、紫紙に金銀泥で書いた装飾経も作られるようになった。この紫紙金字経などから、金銀箔や金銀泥で装飾することがはじまった。このように染めたり、金銀箔をちりばめる加工は、天平文化の中で花開いた。
奈良時代の紫紙金字経に対して、平安時代には紺紙金字経が多く作られた。

 詠草料紙にも紺紙に金銀箔を散らし、金銀泥で書いた者があるが、写経料紙にはもっと細かい技巧が施され、金泥で界線を引き、あるいは金箔を細く切った切金を界線としたものもある。
きらびやかな装飾経の最初といわれ、紫紙、紺紙などに金銀泥で書き、また金銀の切箔・野毛・砂子を散らし、下絵には蓮華をはじめいろいろな草木を配して壮麗な装飾を施したものが装飾経である。
平安時代には、権勢を誇った貴族の手で写経が進められ、浄土信仰と相まって盛んになり、競って装飾経が作られた。此の当時の日記には、写経荘厳、荘厳華美、珍重無極等の文字が示されている。
現存する装飾経で著名なものは、大治元年(1126)藤原清衡が発願してつくつた紺紙金銀泥一切経で、銀界線を引き、金字と銀字を一行おきに交書きしている。